ゴーン氏「退任後報酬による起訴」で日産経営陣が陥る“無間地獄”
前回の記事【検察の「組織の論理」からするとゴーン氏不起訴はあり得ない】で述べたとおり、検察の「組織の論理」からすると、ゴーン氏に対する検察の処分は「起訴」以外にあり得ない。
しかし、一方で、マスコミの報道で概ね明らかになっているゴーン氏の事件の逮捕容疑には重大な疑問があり(【ゴーン氏事件 検察を見放し始めた読売、なおもしがみつく朝日】)、その後の報道によって事実関係が次第に明らかになるにつれて、疑問は一層深まっている。ゴーン氏を本当に起訴できるのか、と思わざるを得ない。
ゴーン氏の逮捕容疑についての重大な疑問
これまでの報道を総合すると、ゴーン氏の「退任後の報酬」についての事実関係は、概ね以下のようなもののようだ。
ゴーン氏は、2010年3月期から、1億円以上の役員報酬が有価証券報告書の記載事項とされたことから、高額報酬への批判が起きることを懸念し、秘書室長との間で、それまで年間約20億円だった報酬のうち半額については、退任後に退職慰労金やコンサルタント料等の名目で支払う旨の「覚書」を締結し、その後も毎年、退任後の支払予定の金額を合意していた。この「覚書」は、秘書室長が極秘に保管し、財務部門にも知らされず、取締役会にも諮られなかった。秘書室長が、検察との司法取引に応じ、「覚書」を提出した。
ここで問題になるのは、(ア)退任後の支払いが確定していたかどうか、(イ)有価証券報告書等への記載義務があるのか、(ウ)(仮に記載義務があるとして)記載しないことが『重要な事項』に関する虚偽記載と言えるか(金融商品取引法197条では、「重要な事項」についての虚偽記載が処罰の対象とされている)、の3点である。
(ア)の「支払いの確定」がなければ、(イ)の記載義務は認められないというのが常識的な見方であり、マスコミの報道も、本件の最大の争点は(ア)の「支払いが確定していたかどうか」だとしているものが大半だ。
しかし、一部には、(ア)の「支払いの確定」がなくても、(イ)の記載義務があるというのが検察の見解であるかのような報道もある。確かに、有価証券報告書の記載事項に関する内閣府令(企業内容等の開示に関する内閣府令)では、「提出会社の役員の報酬等」について
報酬、賞与その他その 職務執行の対価としてその会社から受ける財産上の利益であって、最近事業年度 に係るもの及び最近事業年度において受け、又は受ける見込みの額が明らかとなったものをいう。
とされている。検察は、それを根拠に、未支払の役員報酬も「受ける見込みの額」が明らかになれば「支払いの確定」がなくても記載義務があるとの前提で、ゴーン氏が秘書室長との間で交わした「覚書」によって、退任後に受ける役員報酬の見込みの額が明らかとなったのだから、(イ)の記載義務がある、と考えているのかもしれない。
「見込みの額」は「重要な事項」には該当しない
しかし、(イ)の記載義務があるとしても、その記載不記載が、(ウ)の「重要な事項」についての虚偽記載にただちに結びつくものではない。
有価証券報告書には、投資家への情報提供として様々な事項の記載が求められているが、そのうち、虚偽の記載をした場合に犯罪とされるのは「重要な事項」に限られる。これまで、「重要な事項」についての虚偽記載として摘発の対象になったのは、損益、資産・負債等の決算報告書の内容が虚偽であった場合に限られている。それらは、記載の真実性が特に重視され、監査法人などによる会計監査というプロセスを経て有価証券報告書に記載されるものであり、「重要な事項」に該当するのは当然である。
それに対して、役員報酬の額は、会社の費用の一つであり、総額は決算報告書に記載されるが、それとは別に、2010年から、高額の役員報酬の支払は、有価証券報告書に記載して個別に開示すべきとされた。個別の役員の報酬が、会社の利益と比較して不相当に高額である場合には、会社の評価に影響する可能性があり、投資判断に一定の影響を与えると言える。しかし、この個別の役員報酬の記載は、会計監査の対象外であり、報酬額が、会社の利益額と比較して不相応に過大でない限り「重要な事項」には該当しないと考えるべきであろう。
ましてや、支払うことが確定していない将来の支払いであれば、実際に支払われた役員報酬より、投資判断にとって重要性がさらに低いことは明らかだ。上記の内閣府令を根拠に、「受ける見込みの額が明らかになった」ので記載義務はあると一応言えたとしても、投資家の判断に影響する「重要な事項」とは言えないことは明らかであり、それについて虚偽記載罪は成立しない。
最大の争点は「退任後の報酬の支払が確定していたか否か」
結局のところ、ゴーン氏の逮捕容疑に関する最大の争点は、「将来支払われることが確定した」と言えるかどうかに尽きる(マスコミ報道でもその点を最大の問題点と捉えている)。
検察は、ゴーン氏が、毎年の報酬を20億円程度とし、10億円程度の差額を退任後に受け取るとした文書を、毎年、会社側と取り交わしていたことや、ゴーン氏に個別の役員報酬を決める権限があったことなどを重視し、退任後の報酬であっても将来支払われることが確定した報酬で、報告書に記載する必要があったと判断したと報じられている。要するに、役員報酬の金額は、2010年3月期以前も、それ以降も約20億円と変わらず、単に「支払時期」だけが退任後に先送りされたと解しているようだ。
しかし、ゴーン氏に「退任後に支払うこととされた金額」は、単に「支払時期」だけではなく、その支払いの性格も、支払いの確実性も全く異なる。
上場企業のガバナンス、内部統制を前提にすれば、総額で数十億に上る支払いを行うためには、稟議・決裁、取締役会への報告・承認等の社内手続が当然に必要となる。秘書室長との間で合意しただけで、財務部門も取締役会も、監査法人も認識していないというのであるから、ゴーン氏の退任後に、どのような方法で支払うにせよ、社内手続を一から行う必要がある。
報道によれば、検察は、「ゴーン氏に個別の役員報酬を決める権限があったこと」を強調しているようであり、それを「支払いの確定」の根拠だとしているのかもしれない。しかし、「退任後の報酬支払い」を秘書室長と合意した時点では、ゴーン氏が自らの役員報酬を決める権限を有しており、約20億円の役員報酬を受け取ることも可能だったとしても、その一部の報酬の支払いを「退任後」に先送りしてしまえば、話は全く違ってくる。退任後に、コンサルタント料などの名目で支払うことについて社内手続や取締役会での承認を得る段階では、既に退任しているゴーン氏に決定する権限はないのである。
実際に、今回の事件での逮捕の3日後に代表取締役会長を解職され、取締役も解任される可能性が高まっているゴーン氏が、「先送りされた役員報酬」の支払いを受けることができるだろうか。
年間約20億円の役員報酬だったのが、2010年以降、約半分の金額となり、残りは「退任後の支払い」に先送りされたことで、「支払時期を先送りした」だけではなく、確実に支払いを受ける金額は半額にとどまることになった。ゴーン氏の意思で、残りの半額については、支払いの確実性が低下することを承知の上で、退任後に社内手続を経て適法に支払える範囲で支払いを受けることにとどめたということであろう。
「退任後の報酬の支払いの確定」と整合する日産側の対応
結局のところ、日産の執行部や財務部門も認識しておらず、取締役会にも諮られていない以上、支払いの確実性は確実に低下しているのであり、日産という会社とゴーン氏との間で、役員報酬の「支払いが確定した」とは到底言えない。したがって、それを有価証券報告書に記載しなかったことが虚偽記載罪に当たらないことは明らかだ。
しかし、それでも、検察は、「組織の論理」から、ゴーン氏を起訴するであろう。
検察は公判で、「退任後の報酬の支払いが確定したものであること」を立証しなければならない。そうなると、今後の日産側の対応が極めて重要になってくる。
ゴーン氏の不正に関する社内調査結果を検察に持ち込んだ西川社長以下の日産現経営陣は、これまで検察との間で「緊密な連携」をとってきたはずだ。検察がゴーン氏を起訴すれば、その後も、検察の主張を裏付けるために協力することになるだろう。
「ゴーン氏への退任後の報酬支払いが確定したもので、それが投資判断に影響する重要事項であるのに、有価証券報告書等に記載しなかった」という検察の主張を肯定するのであれば、日産経営陣は、重要な事項について虚偽の有価証券報告書等を提出して投資判断を誤らせたことに対して対応しなければならない。それに伴い、様々な是正措置をとることが求められたり、サンクションを受けることになるが、そこには、日産経営陣にとって耐え難い困難が待ち受けている。
第1に、毎年、支払いを合意した時点で「退任後の報酬の支払いが確定した」というのであれば、それぞれ時点で「引当金」を計上する必要があったことになる(「引当金」とは、将来の特定の支出や損失に備えるために、貸借対照表の負債の部に繰り入れられる金額)。
検察の起訴事実を肯定するのであれば、2010年3月期に遡って引当金計上を行うべきだったと認めることになり、「過年度決算の訂正」が必要になる。訂正額が2010年3月期の10億円から始まり、毎年10億円ずつ増加し、2018年3月期が80億円に上るとすると、訂正金額の総額は360億円に上ることになる。しかも、2016年3月期以降は、CEOとして有価証券報告書等の作成提出の責任者は、ゴーン氏ではなく西川社長である。過年度決算の訂正の責任は西川社長が全面的に負うことになる。
第2に、このような「過年度決算の訂正」を行い、しかも、その訂正の総額が360億円にも上るということになると、日産は、有価証券報告書等の重要事項の虚偽記載で課徴金納付命令を受けることになる。日産の直近5年間の社債による資金調達は、子会社を含めると国内だけで7000億円を遙かに超えるので、金額の高くなりやすい募集・売出し時の有価証券届出書の虚偽記載が認められた場合には、社債の場合で資金調達額の2.25%であるから、課徴金額は、2015年の東芝の約74億円を抜き、過去最高額となる可能性がある。
そして、第3に、日産は、臨時取締役会でゴーン氏の会長及び代表取締役を解職しており、さらに、臨時株主総会で取締役も解任する方針を明らかにしているが、「ゴーン氏の退任」が現実化した場合、ゴーン氏へ「退任後の役員報酬」を支払うべきかどうかという問題に直面する。検察が主張するとおり、「退任後の報酬」について合意の時点で支払いは確定しており、単に「支払時期が退任後に後送りされているだけ」だとすれば、日産側は、ゴーン氏退任の際に支払わなければならないことになる。また、退任後の役員報酬自体が「違法」とされたのではなく、開示しなかったことが違法とされているのだから、「違法な役員報酬は支払わない」という理由での支払いの拒絶もできない。日産側の経営判断で支払わないとすれば、「支払は確定していた」という前提を否定する重要な間接事実となる。
有価証券報告書等の虚偽記載で起訴された前経営者に、巨額の退任後報酬を支払うなどということは、株主には到底理解されない。しかし、検察の主張と整合性をとろうと思えば、ゴーン氏への約80憶円の支払いを拒絶することは容易ではないのである。
検察のゴーン氏起訴で西川社長らは“無間地獄”に
検察がゴーン氏を起訴し、西川社長以下の日産の経営陣が、検察の起訴と整合する対応をしようとすると、(1)退任後の役員報酬支払についての過年度決算の訂正、(2)過去最高額の課徴金の支払い、(3)ゴーン氏への80億円の役員報酬の支払、という「株主に対する背信行為」を次々とこなしていかざるを得ない。
しかも、「社内手続も取締役会の報告・承認も行われていないにもかかわらず、コンサルタント料の支払等の名目での支払いは確定していた」という明らかに合理性を欠く報告を行った上、引当金計上、課徴金納付命令受け入れという、株主にとって明らかに不利な決定を、ルノー出身の取締役を含む取締役会で決定しなければならないのである。
そして、退任後の報酬の支払いが確定していたと認めて引当金を計上し、課徴金納付命令まで受けた後、もし、ゴーン氏の刑事事件で、検察の主張が排斥され無罪判決が出た場合には、西川社長らは、個人としての損害賠償責任を会社に対して負担することにならざるをえない。
ゴーン氏の起訴後に検察に協力するとすれば、西川社長以下日産経営陣は、まさに「無間地獄」とでも言うべき苦難に直面することになるのである。