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「オバさんになんて誰も興味ない」――と、言ってるギャルも、すべからくオバさんになる。

渥美志保映画ライター

今月の初めにおすすめの映画を【イケメン編】【個性派編】で10本ご紹介しましたが、今回はその【個性派編】から『アクトレス 女たちの舞台』をご紹介します。ジュリエット・ビノシュが「セルフ・パロディかっ!?」と思うような大女優を、キレイに作れば美人風、おばさんに作れば完璧なおばさんという自らの個性をフル活用して演じています。クリスティン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツというハリウッドの人気若手女優2人の演技もなかなかのキレ味!これまたイタい映画ですから、特にアラフォー女性の方々、心の準備をしながら勇気を出して行ってみましょう~!

まずは物語。主人公の40代の大女優マリアは、18歳の時に出演した出世作の舞台『マローヤのヘビ』の再演への出演オファーを受けます。かつて演じたのは奔放で野心家の若いヒロイン、シグリット役で、マリアはこの役を自分の分身のように思っているんですが、今回振られた役はシグリットに翻弄され自殺する40歳のヘレナ

納得いかない大女優。きれいに作ったバージョン。
納得いかない大女優。きれいに作ったバージョン。

40代で40女演じるのは当たり前じゃ!と思うんですが、大女優は全然納得いきません。“あたしは年をとってもシグリットなんだってば”と証明せんとばかりに、初演当時自分に迫ってきた(実は大っ嫌いな)ジイサン俳優相手に――“訪ねてきたら振ったるわ”くらいのつもりで――ホテルの部屋番号を教えたりするんですが、先方からはいつまでたっても何の連絡もありません。イライラしたマリアは、ついうっかり自分から電話しちゃいそうになったりして、見てるこちらは「おいおい、アホか!」と笑っちゃうのですが、リアル40代にはきっと「面白いけど笑えないぞ、ビノシュ!」なーんて気持ちになる人もいるんじゃないかなあ……とかソフトに書いてみたけど、監督のオリヴィエ・アサイヤスはすごいクセ者ですから、かなり斬りつけてくるんですよ~。こわい~。

特に結婚も出産もしてないアラフォー女性って、自分が年を取っているのを理屈ではわかっちゃいても、実感はなかなかおっつかないもんなんですよね、マジで。でも本人のそんな意識なんて知ったこっちゃなく、「老い」は迫ってきているわけです。マリアも、若い付き人ヴァレンティンのフラットな意見をぜんぜん素直に受け入れられないし、シグリット役にぴったりの若手女優ジョアンの自由奔放さも“なんじゃこの小娘?”って感じで、全然理解できません。悲しいかな、完全に柔軟性のなくなった老害ぶり……。普通ならそういう「本当の若さ」に接すると「知らないうちに年取っちまってるな、私……」と思うもんですが、美人とか若さとかを売りに生きてきた人はなかなかそうはいきません。認めたが最後、存在意義を失っちゃうからです。

個人的には、年を取るってそんなに悪いことじゃないと思うんですよ。だって若い頃は「あれをやるな、これをやるな、ああしろ、こうしろ」っていろんな人が私の人生に口を出してきたけれど、今は誰もそんなこと言ってこない。自分で責任を取れば何でも好きにできます。「女として扱われない」ことは、裏を返せば「女のくせに」とか「女だから」って言われる率も少なくなるわけで、それはそれですごーく楽。日本のような国の保守的なマスコミ業界でフリーで働いていると、「お嬢ちゃん」なんてバカにされることもありましたが、それもとーぜんながら皆無になります。それに周囲が女と思わなくても実際には女だし、外野なんて関係なくそれを楽しむ方法もあるし、一緒に楽しむ仲間もいるし

もちろん周囲(特に男性)に女として意識されなくなることを悲しいと思う人もいるでしょうが、何においても「周囲に認められること」に重きを置くと辛くなってしまうものです。だって他人の考えはコントロールできないんだから。「周囲にいい結婚をしたと思われたい」「周囲に貧乏と思われたくない」「周囲にリア充だと思われたい」「周囲に”寂しい女”と思われたくない」と必死になっていると、自分が本当に幸せと思えることが何なのか、見失ってしまいます。周囲に「いつまでも若くて美しい」と思われることこそ命だったマリアは、年老いたことで激変する周囲の扱いの中で、そんなモヤモヤの状態にいるわけです。

付き人ヴァレンティン役のクリスティン・スチュワートは、この役で米女優初のセザール賞受賞
付き人ヴァレンティン役のクリスティン・スチュワートは、この役で米女優初のセザール賞受賞

こういう役を、40歳越えてもなお「オンナオンナ」した役で押し続けてきたジュリエット・ビノシュ(実は51歳)に演じさせるなんて、なんつう意地の悪さ!って思うんですが、それこそがこの作品の狙い。現実と映画はもちろん、映画と劇中劇の境界線なんかも意図的に曖昧にしてるんですね。

例えば結局はヘレナ役を引き受けたマリアがヴァレンティンと一緒にセリフ合わせをする場面が結構あるのですが、マリアもヴァレンティンも途中で急に素の会話に入ったりするので、どこまでが本人の言葉で、どこまでが劇中劇のセリフなのか、よくわからなくなります。また劇中劇でシグリットが起こす騒動は、彼女を演じる若手女優ジョアンが起こす騒動とそっくりです。さらに言えば再演の監督がマリアの出演を説得する時に言う「シグリットとヘレナは同じ人物」という言葉も。

つまりは劇中劇の登場人物も、映画の中の女優たちも、さらにそれを演じている現実の女優たちや見ている観客も、女性は全員が地続き。つまり私たちは誰もがシグリットでありヘレナであり、マリアでありジョアンであるわけです。マリアの悩みや葛藤から逃げられる女性は、この世に誰ひとりいません。もちろん、今は若さゆえに思いっきり強気なジョアンですらも。

つうか世の中オバさんになんか興味ないんで、と言い放つ若毒女クロエちゃん。
つうか世の中オバさんになんか興味ないんで、と言い放つ若毒女クロエちゃん。

そんな中で女優ではないヴァレンティンの存在は、この映画に独特の面白さを与えています。彼女は常に地に足がついた冷静なアドバイスをマリアに与え続けるのですが、結局それはひとつもマリアに届かず無力感に襲われてゆきます。劇中ではそんな彼女が、霧や雲といったものに覆い隠されてしまうというエピソードが2度登場し、なんとも示唆的です。もしかしたら、形を変えながら、でも決して消えることのない霧や雲は、マリアを始めとする全女性を包んでいる不安のメタファなのかも……と、私は思いました。マリアの周囲の雲があまりに深すぎて、ヴァレンティンの言葉はマリアにまったく届かないわけです。マリアの不安の根源は劇中劇『マローヤのヘビ』なわけですが、このタイトルはスイスの山間部シルス・マリアで観測される奇妙な雲のこと。そして映画の原題は「(Clouds of)Sils Maria(シルスマリアの【雲】)」で、ここでも映画そのものと劇中劇は地続きになっています。面白いわあ。

剃毛したものの心の中はぜんぜん諦めてない大女優と、そんな大女優に無力感を覚える付き人
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さてその雲の中から、マリアはどうやって抜け出すのでしょうか。

ラストに出会う小さな光明がなかなかいいんです。ビノシュ演じるマリアのイタさに引きつりながら笑っていたすべてのアラフォーが、「そうだよ、そうだよ、ビノシュ!」と言いながら、少しだけ心が軽くなるような、そんなラスト。もちろん若い子も見るべし。他人事と思ってたらアッという間ですよ~(笑)。女と呼ばれるすべての人に見てもらいたい作品です~。

『アクトレス 女たちの舞台』

10月24日(土)より全国順次公開

(C)2014 CG CINEMA PALLAS FILM- CAB PRODUCTIONS- VORTEX SUTRA- ARTE France Cinema- ZDF/ARTE- ORANGE STUDIO- RTS RADIO TELEVISION SUISSE- SRG SSR

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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