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ネット右翼に法的措置は有効か?倉持麟太郎(弁護士)×古谷経衡(文筆家)Part1

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
倉持麟太郎弁護士と古谷経衡

・対談者紹介

倉持麟太郎 弁護士】

1983年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録 (第2東京弁護士会)。日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。2015年衆議院平和安全法制特。別委員会公聴会で参考人として意見陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

古谷経衡 文筆家】

1982年北海道生まれ。立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)卒業。一社)日本ペンクラブ正会員。著書に『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『日本を滅ぼす極論の正体』『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『愛国奴』(駒草出版)、『道徳自警団がニッポンを滅ぼす』(イーストプレス)など多数。テレビコメンテーター、ラジオコメンテーターなどメディアでも活躍中。

<*この対談はPART2”ネット右翼に「法」という道具を与えた稲田朋美”に続きます。

【1】”余命3年時事日記”問題を語る―弁護士懲戒という行為の本質

古谷:きょうは、まず、弁護士としての倉持さんに、ネット右翼界隈のことを中心に、ちょっとお聞きしたいのです。総論としてまず、ネット右翼と呼ばれる人たちや、彼らが発するヘイトスピーチに対して、果たして法的措置は有効なのかということを、まずご専門家としての倉持さんにお伺いしたいんです。

 と言いますのは、ご承知のとおり、今、『余命3年時事日記』という、割と老舗のネット右翼ブログがありまして、そこが自分のサイトに登録した読者に対して、弁護士の懲戒請求をする書類一式を送りまして(郵送送付)大事件になった事実は、多くのメディアが取り上げ、耳目を集めたのは知っての通りです。

 要するに、ここに何を書いて、ここに何を書いて―という弁護士懲戒のテンプレ―を送りつける。それで、自分の『余命3年時事日記』の事務所なり、何なのか分かりませんが、そこに送り返してほしいと。その懲戒請求する相手というのは、「反日サイド」の弁護士であるということで、これは大変大きな騒動になりまして、懲戒請求された側の弁護士が対抗し請求した個人を訴えるという事態にまで発展しております。

倉持:数百件とか来ちゃいましたよね。

古谷:それで弁護士が、もう、(懲戒請求をされる)心当たりというものがない。全くないというオチ。本人に全く懲戒請求される身に覚えがない。

倉持:佐々木亮弁護士とかね。他にも何人かやられていましたよね。彼自身も不当懲戒請求だということで、反訴というか、懲戒請求自体が権利濫用だとして損害賠償請求したわけですよね。

古谷:それは懲戒請求権の乱用という名目で弁護士が反撃しているんですか。それともなんの名目でやっているんですか。なんの反訴なんでしょうか。

倉持:基本的には反撃です。そのような政治的・イデオロギー的な目的で組織化された懲戒請求というようなものはおそらく懲戒の制度上も想定していなかったでしょう。根本的には「弁護士自治」の建前があって、国家からお金が出ていない代わりに業界の不始末は自律的に処理できます、ということですから。また、ネット右翼の集団懲戒請求自体は訴訟ではないわけですよ。

古谷:そうそう、懲戒請求ですよね。

倉持:はい、弁護士会に懲戒請求をしているので。ただ、懲戒権の濫用が、尋常ならざる量請求への対応自体も含めて彼の権利侵害だということで、多分、民事上の不法行為だといって、不当懲戒請求という形で、損害賠償請求しているんだと思います。

古谷:なるほど。では、逆に、不当でない懲戒請求というのはどういうものなんですか。

倉持:それ、難しいんですよね。弁護士としての「品位を害した」とかいうことが懲戒事由になってますから、入り口は漠然としてます。

 しかし、過去の懲戒請求に対する判断が相当数蓄積されてますから、これと照らし合わせてということにはなると思います。しかし、大量懲戒請求はやっぱり、懲戒事由があるのかどうかということに入る前に、あの数自体が常軌を逸しています。

 だって、本来はその弁護士と直接事件等で関わりをもった人間が何らかの不当性を訴えるという構図が通常なわけです。その弁護士とまったく利害のない第三者であろう人たちが、イデオロギー目的でほとんどただの嫌がらせとしておよそ社会的相当性を逸脱した数の懲戒請求をしているわけですから(笑)。

 懲戒制度の請求権があるかないか、請求に理由があるかどうかというよりは、懲戒制度を使用すること自体の濫用、多分そういうことなんだと思うんですよね。中身に入る前に。

古谷:なるほど。

倉持:本当だったら、中身に全部入っていって、理由があるかどうかを精査するわけです。

古谷:ただ、懲戒請求の文面の中身は全部テンプレだから同じなんですよ。

倉持:そうそう。それ自体がおかしいでしょう。懲戒請求で何かを正すということよりも、懲戒請求をすること自体が目的となっていることの証左です。

 僕に対してもありましたよ、依頼者でも相手方でもないまったく知らない人からのテンプレ懲戒請求。審査すらされずに却下されましたが。懲戒請求は「何人も」可能だという立て付けですが、完全にその市民のために広げた窓口が濫用されています。ここは、キャス・R・サンスティン(米法学者)も指摘するようなネットでの集団極化現象が露になったこの時代において、制度を再考すべきときにきているのかもしれません。

2013年、東京有楽町周辺でのネット右翼系団体のデモ(写真と本文に直接の関係はありません。筆者撮影)
2013年、東京有楽町周辺でのネット右翼系団体のデモ(写真と本文に直接の関係はありません。筆者撮影)

【2】在特会(在日特権を許さない市民の会)とその関係者、続々と敗訴確定ーおよび『新潮45』問題ー

古谷:そういう事件が、余命3年時事日記事件に該当するのかどうか分かりませんけれども、そういう事象があって、現状それが係争中というか、進行中なんですね。それ以外にも例えば、法的なところでいうと、とある在特会系のネット右翼が、在日コリアンのジャーナリストの女性、李信恵(り・しね)氏に対して、「朝鮮のババア」と言ったことについて、これは名誉毀損であるという判断が下されたこと。

 これは最高裁で確定をして被告側に賠償が確定したし、その他にもいわゆるヘイトスピーチみたいなもので、名誉毀損の確定判決が多々出ている。

 例えば在特会については約1,200万円の賠償命令が確定(2014年12月、最高裁)している。その他にもこまごまとしたものがありますけれども、こういう流れってどうお感じになりますか。弁護士として率直に見て。多分、4,5年前は余りなかったと思うんです。まして5年、10年前は。

倉持:なかったというのは、ネトウヨが何か権利侵害行為をかして、それに対して何らかの法的請求をするということ自体でしょうか、それともネトウヨの存在自体がなかったということでしょうか。

古谷:前者ですね。ネトウヨに対して、法でもって、要するに被害を受けた側とか、ヘイトスピーチを受けた側が、法の中で対処していくということはこれまでの歴史でありましたか?

倉持:なかったと思います。少なかったと思う。

古谷:そうですよね。あったとしてもほとんどなかった、ということですな。

倉持:そう。本当に、週刊誌に書かれたスポーツ選手や芸能人が名誉毀損で訴えるとか小説に書かれた個人がプライバシー侵害を訴え出るという世界だけで、いわゆるネトウヨとかヘイトスピーチに対して法的な、一般不法行為で闘っていくみたいな話というのは、多分あまりなかったんですよね。

古谷:全くその通りです。

倉持:しかも、日本は特に、ヘイトスピーチとかに寛容じゃないですか。表現の自由が良くも悪くも広くとるべきだという観念がある。これが、ご都合主義的に利用されているとは思います。何でも表現の自由の看板をかざせば許されるというご都合主義的なエクスキューズです。

 表現の自由を行使するには矜持がいるんですよ。個人の自律と民主主義の価値や情報の多様な流通による他者との出会い等といった根源的な価値へのコミット、覚悟が要求されます。しかし、表現の自由の隠れ蓑に隠れて安全地帯から発言する人々は、本来の意味での表現の自由を行使していません。まさに権利濫用です。

『新潮45問題』なんか、あれ表現の自由ではないですよね、営業の自由です。営業利益を追求していた工場が工場排水垂れ流していたら、廃業になりますよね?『新潮45』は表現の自由の看板をかけた営業の自由なんです、それが少数者の権利を深刻に傷つけたので当然に廃業です。これを「雑誌がなくなることの損失」なんて言っている人間は、今まで自分はそこまで考えて表現の自由を行使していたのかと、問いたいですね。

古谷:悪い意味で寛容なんですよね。

倉持:法的にもっとがんがん、欧米だったら制限せよみたいな話が法曹界や学会とかから出てくる話で、日本でもそういう議論がもっと出てきてよいはずです。しかし、日本の場合は基本的に、ヘイトスピーチを制限せよというと、割とリベラルっぽい、表現の自由をやっているような人たちが、ちょっとそこは慎重になろうよ、みたいなことでブレーキをかけるんですよね。これは、「自由」の前に思考停止していると言っても過言ではないのではないでしょうか。

古谷:それは国家権力にフリーハンド、つまり裁量権を与えてしまうから、みたいな話ですよね。

倉持:そう。だから、ある種の「自由」のバリューフリーみたいになってしまって、表現の自由の内実というよりも、その自由を掲げることそれ自体が自己目的的に一番大事で、その表現の自由の行使を通じてコミットしたい価値は何なんだよ、一体何が本当に大事な価値なのかがわからないような状態になっていたんだと思うんですよ。

 だけれども、やっぱりそういう訴訟提起していくという人が、R・V・イェーリング(独法学者)の『権利のための闘争』じゃないですけれども、イギリス人観光客が宿泊先から法外な料金をふっかけられて、観光客としては観光も終わってるのにそこに滞在して宿泊先を訴えるほうがあらゆる意味でコストがかかるのに、権利のために闘ったと、「私」をこえた「公」の権利のために。これは、ある種、そのような英雄的に立ち上がる人がいないと権利行使の実践は善くならないのだ、という辛さも表現していると思います。

 だから、結局ヘイトスピーチやネトウヨやセクハラ等のハラスメントなんかも、やられた人が、私が一肌脱ぐかといってやるしかないというところもまた、多分、ジレンマではあると思うんですけれども。

古谷:なるほど。

倉持:ただ、そういう人がやっぱり増えてきたというのは、在日コリアンの活動家の方なんかの尽力も大きい。

古谷:前述の李信恵さんが先駆的ですね。

倉持:彼女は支援者がいるわけでしょう。

古谷:もちろんいます。

倉持:そういうのもあるんじゃないですか。社会的資源も整ってきたという。

古谷:なるほど。

写真素材「足成」。イシダヒデヲ氏撮影。写真はイメージです。
写真素材「足成」。イシダヒデヲ氏撮影。写真はイメージです。

【3】ヘイトに対し、立ち上がる法的環境の整備は整いつつある

倉持:つまり、被害者といいますか、ヘイトスピーチやハラスメントの当事者その人が権利侵害を訴えて闘う。ジャーナリストの伊藤詩織さんもそうですよね。立ち上がるというのを言った時に、立ちやすい社会的資源が前よりは増えてきたというのは、あるんじゃないですかね。

 それでも、これによって命の危険を感じたり、この国にいられなくなったりしているわけで。まだまだこの国にはそのような社会的資源が整っているとは言い難いです。これは、人権を語る“リベラル”と自称する人々も権利実践を真剣に議論してこなかったし、この社会に根付かせてこなかったことのツケです。

 憲法論と同じです。いくら法にいいことが書いてあったりそれを奉じていたとしても、思考停止していては、それが社会の隅々に溶け込むことはできません。昨今の日本の人権後進国丸出し状況は、私も含めてリベラルは自戒すべきでしょう。

古谷:これは、なるほど確かに、そのとおりだと思うんですね。もう一つ聞きたいのは、日本にはヘイトスピーチ規制法的なものは、一応この前、できましたけれども、明確にこれをやったら懲役だ、みたいなものってあまりないですよね。

 要するに罰則は無い。理念法しかないというか、実質ないじゃないですか。これってやっぱり、リベラルと目されている弁護士とか弁護士団体とかはどう思っているんですか。日弁連は弁護士の皆さんは強制加入だと思いますけれども、そういうところの忖度(そんたく)みたいなものは、働いていたんですかね。日弁連はとかく国家権力の介入を嫌いますので、ヘイト規制法も理念は理解するけれども、国家による罰則は反対みたいな、そういう雰囲気を大衆からは感じるわけですが。

倉持:日弁連はやっぱりそうでしょうし、憲法学会も大きいでしょうね。

古谷:憲法学会が大きいというのは、どういうことなんですか。

倉持:日本の憲法学会は、ヘイトスピーチ規制というのは、基本的にはやっぱり慎重にというスタンスが大きいですよ。

 これは、先ほども申し上げた通り、「表現の自由」という価値がまず最上段にあるわけです。憲法の教科書にも、特に守られるべき価値だとされている、それはそうだと私も思います。ただし、憲法は「法(law)」ですから、この表現の自由をポエムのように愛するのではなくて、これにより人が深く傷ついたり、社会構造を講話してしまうような権利行使がありうるんだということになれば、法として、これをどう調整するかということを真剣に議論せねばなりませんが、そこを感情的に忌避してしまう傾向があると思います。

 9条の問題と同じです。表現の自由を規制するのは権力だから、一律権力に任せるのは危ない、となってしまいます。

古谷:だから、警察と国家権力が乱用するんだ、という理屈展開になっていくということですよね。

倉持:そうそう。

古谷:乱用するんだといっても、明々白々なヘイトスピーチってあるわけですよね。「朝鮮に帰れ」とか「除鮮」(*福島原発の除染にゴロを合わせて、在日コリアンを排外する”除鮮”という単語が一時期ネット右翼の中で流行した)とかいってね。

倉持:そう。「ゴキブリ」とかね。

古谷:あれはだって、社会通念上の常識で言いますけど、罰則付きで規制したってよろしいじゃないですか。駄目なんですか。実際そういうデモを見てもらって、見聞したら明々白々に分かると思うんですよねえ。

倉持:そう。だから運用者を、極めて根本的に信じていないですよね。1回そういう穴を開けちゃうと、幾らでも適用の例を作っちゃうんじゃないか、みたいな。

 その危惧もわかりますよ。現在の政権を見ていれば、数さえあればなんでもできます。不文律なんかくそくらえ、権力行使に「悩み」がありません。権力が権力を行使するときに「躊躇」する「悩む」。これは、ひるがえって言えば自由の持つ規範力、磁力なんです。これがない権力者を目の前にすれば、たしかに信用はできませんな(笑)

古谷:その根幹にあるのは何なんですかね。幾らでも適用の例を作っちゃうと言ったって、みんな「ゴキブリ出て行け」とは言わないですよね(笑)。

倉持:その辺はだから、9条の議論とかとやっぱり一緒で、要はそういう、1回、鎖みたいなものを外しちゃうと歯止めがなくなっちゃうから、もうゼロにしておこうみたいな。

古谷:しかし、ゼロにしておくのであっても、仮にそういう判断であっても、被害者のほうの人権という問題が起こってくるわけですから、そちらを救済しないといけないというほうが、価値が高いと思うんですけれども、それでも駄目なんですか。

倉持:そのへんはバランスでしょう。「被害者」というのも、もっときめ細やかに見極めないといけない。これもある種のポリティカル・コレクトネスによって“金ぴか”の無敵の権利主体に仕立て上げられていないかということを見極めないといけません、

 今度は、ポリコレによって表現が不当に狭められたり、自主規制の名のもとに正当な表現までもが思想の自由市場から退場させられる危険があります。これも、先ほど話した「悩み」や「躊躇」だと思います。独立した別人格の「他者」の権利を制限し得るときに、自己の権利主張が100%正しく100%権利行使できることなんでできないじゃないですか。どちら側からも、権利行使の「節度」が求められます。でもだんだん変わってくると思いますよ。

 若手の30代、40代の憲法学者なんか、もっと多分、柔軟に考えているので。ただこれも、「柔軟」といって、バリューフリーのサークルみたいになってもらっては困るんですよね。憲法学者は自由や人権の最後の一線を守るロジックを構築する専門職能集団でいてほしいです。実務家でも政治家でもなく、研究者として。

<*この対談はPART2”ネット右翼に「法」という道具を与えた稲田朋美”に続きます。

*お詫び 本文中に登場する李信恵さんの読み仮名が間違っておりました。お詫びして訂正致します。2018/11/28/13:38

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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