平安京さんぽシリーズ⑧ 町衆が生み出す賑わい「四条通」を歩く(後編)
嵐山へ向かう嵐電の起点となる四条大宮を過ぎると南側が壬生エリアだ。その中心には壬生寺があり、寺院北側には新選組の屯所となった八木邸や旧前川邸が残る。
今年は新選組結成160年を記念して、壬生エリアの壬生寺、旧前川邸東の蔵、新徳寺が、「京の夏の旅」で特別公開している。
このエリアはすでに京都の市内中心部から西側に外れていた地区であり、その先の西院には、平安京内でありながら淳和天皇の時代には離宮が営まれてきた。
西大路四条の交差点北東にある高山寺や、北西部にある西院春日神社には、かつてここが離宮であったことを示す石碑や礎石が残っている。
その先はかつて湿地帯で人が住んだ形跡もなく、寺社などは建てられた様子はない。そのために現在は、様々な企業の工場や大学施設が立ち並ぶエリアとなっている。
ほどなく地名として「梅津」が登場するが、これは梅の木が多く、かつては港であったことを示しており、桂川がこの流域を浸食していたことがわかる。
この地域には梅の名所として知られる梅宮大社があり、四条通に面して鳥居が建ち、参道が続く。
当初、県犬養三千代が祀っていたのを、のちに山城国相楽郡に移し、仁明天皇(在位833~850)の御代に檀林皇后が橘氏の氏神として現社地に社殿を造営したと伝えられる。
酒解神の別名をもつ大山祗神(おおやまつみのかみ)を祭神としていることから酒造家の信仰が厚く、また安産の神としても尊崇されており、境内にまたげ石や産砂をうける風習がある。
桂川に出ると、川向うに朱色の大きな鳥居が目に飛びこんでくる。四条通の西の突き当りに鎮座する松尾大社だ。
大宝元(701)年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が背後の松尾山大杉谷の磐座の神霊を勧請し、現在の場所に社殿を造営したのが起源と伝えられている。
平安京が遷都された後は、賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社の総称)とともに皇城鎮護の神として厚い信仰を集め、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称されてきた。
また秦氏は酒造の技術も日本に伝えたことから、中世以降は醸造の神として人々の信仰を集めてきた。
東西を八坂神社、松尾大社と京都でも屈指の古社に挟まれ、町衆の活気を今なお感じることのできる四条通。
西半分の散策ではかつては衰退していたことも感じられ、まさに平安京の移り変わりを実感できるこの通りをぜひ満喫してみてほしい。