石橋凌 孤高の表現者の矜持「これからも手を抜かず本質を追い続け本物のミュージシャン、俳優になりたい」
約5年振りのソロ3rdアルバム『オーライラ』発売。「これまでの最高傑作」
石橋凌。ミュージシャンであり、その圧倒的な存在感を感じさせてくれる演技で、今映画、ドラマに欠かせない俳優でもある。若い人の中には、石橋が“筋金入り”のロックミュージシャンということを知らない人がいるかもしれない。多くの伝説を残してきたバンドA.R.B.のボーカルとして1978年にデビューし、その後ソロとしての活動をスタートさせ、来年は45周年を迎える。8月31日にはリリースした約5年振りのソロ3rdアルバム『オーライラ』を発売。「これまでの最高傑作」と自信を見せるこの作品には、石橋がこれまで貫いてきた思い、稀代のロックンローラーの現在・過去そして未来を映し出す言葉とメロディが詰まっている。この作品のついて、そしてミュージシャンとして、俳優としての仕事の流儀を聞かせてもらった。
「“ネオ・レトロ・ミュージック”という自分の音楽スタイルを追求してきて、これを確立したいという思いで取り組んだアルバム」
前作の『may Burn!』も、色々な音楽が交差して多彩ながらもバランスがとれ、熱さが凝縮されたような一枚だったが、今作もジャズ、ソウル、フレンチジャズ、そしてウンザウンザ(東欧、ジプシーの民族音楽の俗称)などがバンドサウンドと融合。様々な音楽が聴こえてきて、それがロックンロールとして昇華されている。
「ソロとして3枚目で、一貫してどこか懐かしい、でも今の時代に見合った“ネオ・レトロ・ミュージック”という自分の音楽スタイルを追求してきました。これを確立したいという思いで今回の作品作りに臨みました。コロナ禍では自粛期間という、創作する時間がたっぷりあったので“作る”のではなく、言葉とメロディが“ひらめく”のを、喫茶店でノートを開きながら待ちました。もちろん全く降りてこない日もあります。あきらめて喫茶店を出たとたんゲリラ豪雨のように降ってくることもありました。それで慌ててお店に戻って書き留める、そんなこともありました。今でもライヴで歌っている『魂こがして』や『AFTER' 45』も気がついたらできあがっていた曲です。今回は歌詞はもちろんサウンドも“余白”を大切にしました。今、客観的に音楽聴いてもそうだし、例えば日本の映画、ドラマを観ていても、1から10まで説明過多だと思います。それはリスナーにとって、僕は失礼だと思うんですよ。聴いてくれたみなさんが色々なことを想像でき、楽しめる音楽を目指しました」。
「60半ばの男の所信表明であり、これからもこうやって生きていくという決意表明」
ライヴでもバックを務める凄腕ミュージシャン達に、石橋が頭の中で鳴っている音や歌詞の思いを具体的に、丁寧に伝え、アレンジを任せた。タイトルチューンの「オーライラ」は「60半ばの男の所信表明であり、これからもこうやって生きていくという決意表明」である。そして一昨年他界した母親のことや、愛娘に向けた作品、さらにアフガニスタン復興に命をかけ、2019年に現地で銃撃され命を落とした医師の中村哲さんのことを「語り継ぎたい」と書いた曲など、多彩な内容だ。コロナ禍で、“これまで”と“これから”と正面から向き合い自然と出てきた言葉とメロディを紡いだ。そしてそれを届ける懐の深い、圧倒的な“歌ヂカラ”にリスナーはその世界に引き込まれ、歌にそれぞれの思いを映しながら、噛みしめる。ほとんどの曲が一発録りで、曲ができた時の初期衝動、“熱”を大切にパッケージした。
「ミュージシャンには一切ストレスとかプレッシャーを感じない環境を作ることを大切にしていて、それは僕がアメリカで映画の撮影現場から学んだことなんです。表現する演者がいかに気持ちよくできるか。そういう意味では、みんながライヴのように楽しみながら、かつ、ある種緊張感を持って演奏してくれて、やっぱり音が生きていると思います。おふくろのことを歌った『ファンキー バァバ』は、サックスの梅津和時さんがアレンジしてくれましたが、音自体がエネルギッシュに動き回っていたおふくろのことを表現していて、レコーディング現場で音を聴いて、笑ったのは初めてでした。嬉しかったです。みなさんがそれぞれの曲で素晴らしいアレンジを施してくれました。歌についてはこれは俳優を始めてからかもしれませんが、よく昔から“歌はセリフを言うように歌えばいい”と言われていて、その逆も然りで“ドラマや映画のセリフは歌を歌うように喋ればいい”ということを言った人がいて。それはそうだなと、改めて思います」。
「当時A.R.B.は社会派バンドと決めつけられたけど、否定でも押しつけでもなく、自分はこう思うけど、みんなはどう思う?って問いかけたかっただけ。」
石橋のオフィシャルサイトには、石橋凌という人間の過去から現在までを時系列で記したヒストリー、“音楽と映画が学校だった”という読み物がある。そこには表現者・石橋凌を構成するもの、こと、そして人が詳細に描かれている。これを読むとミュージシャンとしてどんな音楽を響かせたいのか、役者としてどんな演技を目指しているのかを読み取ることができる。もちろん新作『オーライラ』には石橋のアイデンティティが詰まっていることも伝わてくる。自分がやりたい音楽をやる、そして“人間”を演じたいという信念を貫き、ここまで辿り着いた。
「A.R.B.としてデビューしても、事務所から求められたのは、当時大人気だったイギリスのベイ・シティ・ローラーズのようなアイドル的な存在のバンドでした。当然政治的、社会的な内容の歌詞は歌うなと言われ、でもそれはロックじゃないし、反発しました。A.R.Bは社会派バンド、メッセージバンドという言われ方をしましたが、ジョン・レノンやボブ・ディランだって1枚のアルバムの中に、ラブソングや家族・友人のことと、反戦、仕事や社会の不条理なことを訴える歌が共存していて、それを日本語でやりたかったんです。俺はこう思うけどみんなどう思う?って、否定でも押しつけでもなく、問いかけたかった」。
恩人・松田優作からかけられた言葉
この時から、本質に沿ってモノを作っていきたいという思いは今も変わらない。会社をクビになり、ワンボックスカーで日本全国のライブハウスを回る日々。そこで石橋の思いを支持してくれる人がたくさんいることを知った。少しずつその音楽は広がっていったが、28歳の時「なかなか思うように自分達の歌が広がらないし、お茶の間まで届いていかない」というもどかしさを、たまたま知り合った恩人の俳優・松田優作さんに相談。「これからは、ミュージシャンとか俳優とかいう壁をとっぱらい、いち表現者として生きてゆけばいい」という言葉をもらい、松田さんから自身が監督と主演を務める映画『ア・ホーマンス』への出演を打診され、ヤクザの幹部役を演じた。石橋がもうひとつの天職と出会った瞬間だった。
2006年A.R.B.から脱退しソロとしてスタート。「自分が目指していた音楽をやりたいし、自分自身がもっと素直に音楽を楽しみたい、ひいてはお客さんに音楽を楽しんでもらいたいという思いからです」
そこからバンドを立て直しながら、役者としての活動を始め音楽と演技をさらに追求していった。松田さんにかけてもらった言葉、その仕事への姿勢、そばにいて見たこと、感じたこと、学んだこと全てが血となり肉となり、石橋の“表現者”としての新たな人生がスタートする。しかし1989年松田さんが急逝。これを機に石橋は音楽活動を封印し、演技に没頭する。2006年A.R.B.から脱退しソロとしての活動をスタートさせる。「自分が目指していた音楽をやりたいし、自分自身がもっと素直に音楽を楽しみたい、ひいてはお客さんに音楽を楽しんでもらいたいという思いからです」。
それが前述したどこか懐かしいけど今の時代に見合うという音楽「ネオ・レトロ・ミュージック」だ。もちろんロックへのこだわりは忘れない。誰にも忖度せず、言いたいこと、感じていることを素直に表現する。そしてお客さんと意見、感情を交差させ、深みのある音楽へと昇華させる。
ずっと変わらない仕事の流儀
石橋はロックミュージシャンとして俳優として、66歳になった今も変わらない、仕事をする上での流儀がある。
「ロックも映画もいってみればどちらも欧米からの借り物文化。日本人はそのまま真似するだけだから猿まねって言われるんです。でも例えば黒澤明さんとか小津安二郎さんとか溝口健二さんが作った映画は、借り物文化の中で徹底的に日本の文化を描き、オリジナリティーを追求し、高めたから世界中から支持されリスペクトされた。音楽もそうあるべき。日本で起こっていることを日本語で歌っていけばいい。だから僕はこれからも手を抜かず、本質を追い続け、本物のミュージシャン、俳優になりたい」。
石橋はこのアルバムを引っ提げて『コンサートツアー2022「KEEP IN TOUCH!」』を9月4日地元・福岡からスタートさせた。全国を旅しながらメッセージを届け、ファンと共に“手を抜かず”音楽を楽しむ。、