90%のマネジャーをAI(人工知能)にすれば、企業は確実に成長する
一般企業のマネジャー90%が、今すぐにでもAIに置き換えられる理由
私は企業の現場に入り、目標を絶対達成させるコンサルタントです。10年以上、この仕事をしてきて断言できるのは、一般企業のマネジャーの90%以上は、AI(人工知能)に置き換えられるということです。
マネジャーの仕事はマネジメントサイクル(PDCAサイクル)を回すことです。目標から逆算して仮説を立て、計画を立案し、部下に行動させること。そして定期的にチェックして、達成するまで計画案を修正し続けることです。難しいことではありません。
チェス、将棋だけでなく、囲碁の世界でも世界チャンピオンがAIに敗れました。それが今年(2016年)の3月です。人工知能を使って書いた小説が第一次審査をパスしてしまうというニュースも話題となりました。100%人工知能にゆだねることはムリでも、ヒット曲やヒット映画の原案のようなものを創りだすことは、すでに可能な時代が到来しています。過去の大量データを参照し、一般企業における問題解決、目標達成のための仮説を作りだすことなど造作もないことでしょう。
コンサルタントとして現場に入っていれば、わかります。世の中のマネジャーと呼ばれる人たちの大半は「管理者教育」を受けていません。たとえば公認会計士の資格をもつ人が、取得にかかった合計時間は2,500時間とも3,000時間とも言われます。(これだけの時間をかければ合格する、ということではありません)それでは、マネジャー、管理者になるために、一般企業ではどれぐらいの時間をかけて「管理者教育」をしているでしょうか。1日や2日のマネジャー研修などで、最低限のマネジメント能力が身に付くと思いますか。100時間なのか、500時間なのか、正確な必要期間はわからなくとも、10時間や20時間ぐらい学習したからといって入手できる能力ではないのです。属人的な独学。正しい教育を受けていない上司からのOJTに頼っているのが現状です。
前述したように、囲碁の世界チャンピオンが勝てない相手です。数千時間勉強して手に入れたにもかかわらず、会計士や税理士の仕事がAIの存在で脅かされている時代です。(これは大げさではありません)知識もないし、訓練もされていない。常に行き当たりばったりで、なんとなく「マネジメントはこうやるんじゃないの」「部下育成なんてこうすればいいに決まってる」的な発想の人間マネジャーが、AIマネジャーに勝てるはずがないのです。
AIにおけるマネジメントサイクル(PDCA)を考える
目標を達成させるためのプラン(P)をAIが立案できるか? できるに決まっています。仮説立案するための判断材料をそろえておけばよいのです。外部の知見と高速にデータ交換できれば、一瞬でできます。
計画どおり、部下にキッチリ行動(D)させることができるか? できるに決まっています。相手の顔色など気にせず、しつこく「言い訳せずやりなさい」と言い続けることは、AIなら、たやすいことでしょう。
部下も、相手がAIですから、
「そうは言われても、できないときだってありますよ。最近、いろいろあって大変なんですから」
このような、中途半端な言い訳は通用しないとわかるでしょう。
「この行動計画が策定されてから1ヵ月間の、あなたの業務履歴がここにあります。1日平均1時間30分の使途不明時間があります。その使途不明時間を1ヶ月に換算すると30時間にのぼります。これだけの時間がありながら、行動できなかったという理由は単純明快です。面倒くさいと思ったからにほかなりません。本件によく似たケースを他企業の10万を超える事例で調査し、心理傾向を割り出しました。いかがでしょうか?」
まったく反論できない語り口で言い返されるのがオチです。そして、相手の性格を考えたうえで、このように諭されることでしょう。
「1ヶ月前、会議中にあなたは『必ずやります』とみんなの前で宣言しました。もちろん、宣言したからといって、できないときもあるでしょう。しかし工夫することはできたはずです。ご自身で工夫できないときは、私に質問してください。100億を超える過去データから、適切な解決策をご提示できる自信があります。組織の目標を達成させるために、あなたの力が必要です。達成するかどうかは別にして、決めた行動はやりませんか。どうぞよろしくお願いします」
……と。
こう言われて部下が「ムリなものはムリなんです!」と反論しても、マネジャーは生身の人間ではありませんから、
「こんなに言ってもわからんのか。私は君の将来を思って言ってるんだぞ。もういい! 勝手にしたまえ」
などと捨て台詞を言ってはくれません。部下が折れるまで、そしてパワハラにならないギリギリの執拗さで、時にはソフトタッチに、時にはハードな味付けでAIマネジャーは諦めることなく、追い回してくることでしょう。
最大の長所は、AIに「思考のクセ」がないこと
人間の思考プログラムは、過去の体験の「インパクト×回数」でできあがっています。過去の体験が多ければ多いほど、実績があればあるほど、思考プログラムが強固なものになっていくのです。独自のフィルターで物事を見るようになり、これが「先入観」「思い込み」を強くさせます。私はこれを「思考のクセ」と呼んでいます。
年齢を重ねるほどに、この思考のクセは強くなっていきます。つまり認知バイアスがかかり、物事を素直に評価できなくなっていくものです。
「最近の若い子は何を言ってもダメだね。親が悪いんだよ」
「当社は特殊ですからね。他の業界ではうまくいっても、ウチの会社でそういうやり方は通用しないよ」
どんなに客観的なデータに基づく事実を示しても、「そんなやり方でうまくいったなんて、見たことも聞いたこともない」と一蹴するマネジャーは、どこの企業にもいます。というか、ほとんどのマネジャーは、自分の感覚的な判断材料で意思決定をしているのです。
その点、AIには思考のクセがありません。過去の体験に基づいてできあがったフィルターや認知バイアスがない。マネジャーの思考にバイアスがかかっておらず、正しいデータをもとに意思決定しているのであれば、マネジャーが言うことを素直に聞き入れる部下も増えることでしょう。マネジャーに求められる大切な要件は、論理的思考能力以前に、素直さ、誠実さだからです。
ほとんどのマネジャーが抱える3つの問題点
現場で見ていると、マネジメントをするうえで出てくる問題は、たいてい以下3つに集約されます。
● 決めたことを「やらない」
● 決めたことを「やるのが遅い」
● 決めたことを「やり続けない」
セミナーなどで年間5,000名を超えるマネジャーと接しますが、マネジャーたちの悩みは、ほぼこの3つです。目標達成させるためのいいアイデアが浮かばない、などとアンケートに書く人はほとんどいません。アイデアや仮説が正しいかどうか以前に、部下が言うことを聞かない。主体性に欠ける部下に手を焼いている、という悩みが大半なのです。
一部の天才的な人が生み出す発想をAIに求めるのは、まだ難しいでしょう。しかし過去の膨大なデータを組み合わせて、精度の高い仮説を立案することはもう可能です。柔軟な姿勢で、部下に行動変容を促すコミュニケーションをすることもできるでしょう。
マネジャーに求められるのは、何といっても「凡事徹底」だからです。
一台のAIマネジャーが、大量の部課長、間接部門を不要にする
「統制範囲の原則(スパン・オブ・コントロール)」から考えれば、ひとりのマネジャーが統制できる範囲は5から10人程度と言われています。しかし、AIがマネジャーになれば、この概念を超えると私は予想します。それに、多くの企業が抱えている悩みは、マネジメントルールが統一していないことです。「福岡の支店長が名古屋の支店長になったら、とたんに名古屋の成績がアップした」「本社の課長が、仙台の営業所長になったら、仙台営業所の離職率が高まった」ということは、どこの企業にも起こっています。マネジャーが独自のやり方をし、それを会社が統制できていないのです。
今後、少子高齢化が進み、若い人が減っていきます。大企業ではますます「名ばかり管理職」が増えていくことでしょう。「部長」とか「課長」という肩書を持った人がさらに増産されていくのです。まともにマネジメントができないのに、しかもマネジメント対象の部下が少ないのに、管理者としてのアイデンティティを手に入れるのです。
いっぽうで、マネジャーになったことによって、心の悩みを抱える人も増えています。自己管理だけで精いっぱいなのに、複数の部下を面倒見て、結果を出させるなんて無理だ、と思う人も多い。管理者になりたくないから、出世もしたくない人も増えています。AIマネジャーは、この悩みも解決してくれるでしょう。会社が求める「責任」と「権限」を一手に引き受けてくれます。プレッシャーに押しつぶされることもありません。
世の中のプレイングマネジャーは、ほぼ全員「プレイヤー」に回帰していくことでしょう。そして管理能力もないのにマネジャーとしてのさばっている人は行き場をなくすことでしょう。そして何より深刻なのは、何をやっているかよくわからない間接部門の人たちです。「経営企画室」「営業企画部」「業務推進室」「社長室」……。会議に明け暮れ、夜中まで資料作成し、社内に大量のメールをまき散らしている人たちは、1台のAIマネジャーに「この会社の経営に、正しい付加価値をもたらしていません」と言われ、解散させられます。
一般企業のマネジメントぐらい、今のAI技術で簡単に代替可能です。自分の仕事が正しく機能しているかどうか、会社やお客様に対して十分な付加価値を与えているかどうか、あらためて自問自答すべき時代がきたのではないか、と私は考えています。