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「クジ引きの役員決めをなくしたい」ただその一心で動いた元PTA会長の思い

大塚玲子ライター
神戸市立本多聞中学校PTA元会長の今関明子さん(写真は今関さん提供)

 毎年春になると「役員決めで泣くお母さんが出た(*)」など辛い話が聞こえてくるPTA。でも実は、今みたいな形じゃなくても、やり方はいろいろあるのです。

 今回登場するのは『PTAのトリセツ』(世論社)著者の今関明子さんです。本には、今関さんが5~8年ほど前、福本靖校長先生とともに取り組んだ神戸市立本多聞中学校でのPTA改革のことが書かれていますが、実はその前、同市立本多聞小学校PTAでも会長として思い切った見直しを行っていました。

 クジ引きをやめて全員立候補にする、広報紙や研修をやめるといった見直しは、最近増えている加入や活動の任意化と比べると地味な印象かもしれませんが、10数年前当時としては、とても大胆な取り組みでした。

 今でも「地域柄、PTA改革なんて言い出せる雰囲気じゃないよ」とお悩みの方は多いと思いますが、そんな方にも多少とも、参考にしてもらえたら幸いです。

 今関さんは結婚後、長野県にいましたが、上の子が小学校に上がるときに夫は単身赴任で海外へ。先々を考え、子どもたちとともに自身の出身地・神戸に帰ってきたということです。下の2人(双子)が小学校に入った2007年、PTAで初めて委員になった今関さんは、翌年度は副会長に、翌々年度からは会長に(2009~2011年度)。なぜ、どんなふうにPTAを見直してきたのか? 聞かせてもらいました。(取材は2020年12月)

*避けられるPTA活動を一掃した理由

――小学校のPTAで活動の見直しを始めたのは、何かきっかけがあったんですか?

 下の子たちが小学校1年のとき(2007年)、私が初めてなったのが広報委員でした。でもやってみると「おかしいな」と。「顔が出たらいけない子がいるから、写真をぼかさないといけない」とか、作ってからの無駄な作業が多いし、その割にあまり読まれてもいませんでした。委員長は、業者の人と締め切りの約束があるからと、子どもが学校を休んでいても、原稿を届けにいったりしなければならない。あまりにも融通が利かない仕事が多いのを見ていて、もうやめちゃえばいいのにと思ったんです。この時期は、参加率の悪い人について「委員を1年やったとカウントするかどうか」の審議みたいなこともしていました。

 翌年度は「2年やらないと(PTAのノルマは)終わらないよ」と言われていて、でも広報委員長になるのは絶対自信がなかったので、副会長になりました。副会長は2人いるので融通しあえて、そのほうがラクと思って。それで終わろうと思ったら「子ども3人いるから、2年間じゃまだ足りない」みたいに言われ、私もそのときはまだPTAは強制と信じ込んでいたから、友達に「私まだノルマあるから一緒にやって。もう広報紙とか話し合ってやめちゃえばいいやん」って言ってみんなで本部になりました。

 自分が「絶対抜けられへん」と思っていたから、みんなを引きずり込んだかたちです。まだ下の子がいる人に「今はいいけど、下の子のときに広報委員長があたる可能性はあんねんよ」「だから今のうちに役員をやって広報紙をやめよう」って。それぐらいの動機でした。

――「大変だから他の人にやらせよう」でなく、「大変だから、みんなラクになれるようにしよう」という発想はすてきです。14年前当時、かなり斬新だったのでは。みんな誘いにのって、広報紙をやめることに?

 そうです。あの頃、本当にみんな強制と思っていたから、一緒に残ってくれたのはまだ下の子がいた人たちでした。私も下にきょうだいがいる人ばっかり探し回って。全保護者にアンケートも取って、なくすほうに賛成が多かったのでやめることにしました。校長先生や先生がたももう、個人情報やプライバシーの問題もあるから、あんまり行事の写真は載せてほしくないけれど、役員さんたちが張り切って作ってくれてるのにそんな失礼なこと言い出せない…、みたいな感じでした。聞いたときは、現実とのギャップに驚きました。

――先生がたは、PTAの広報紙はやめてもらって全然問題ないと思っていることが実は多いですね。研修もやめたそうですが、それはいつ頃?

 3年目は私が会長になってしまい、その頃かな。「身内(役員)ばっかりの研修(*1)、もういいよね」みたいな感じで、毎年春にやっていた研修をやめました。「誰か何か言ってきたら、冬にやればいいね」って言ってたけど、結局誰もやめたことに気付かなかった。先生たちも気をつかってくださり、「お母さんたちも大変ですもんね、もういいですよ」という感じでわかってくれたんです。

――さらに、役員決めのクジ引きもなくしたと。

 会長1年目は本部役員のクジ引きをやめたいために、知り合いで定数を埋めました。2年目はクラス役員もクジ引きをやめて、全員立候補で埋まるようにしました。クジで決まった人は結局、会議には出てこないから、やる人は「クジ引きの人と組んで負担が大きいくらいなら、確実に一緒にやれる自分の友達を誘ったほうがいい」と思っていたので、これもみんな「ああ、いい考え、いい考え」みたいな感じで賛成してくれて。

――最近は、委員の「必ず何人」というのをやめ、「集まらなければ活動自体やめる」という前提でクジ引き・じゃんけんをやめるPTAが多いです。「必ず何人」を変えずに立候補で埋めるのは、相当大変だったのでは?

 そうでもなかったんです。あの頃はみんな「6年間のうち絶対どこかでやらないといけない」と思っていたので、「そのうち広報紙が復活するかもしれないから、いまのうちにやっちゃおう」みたいな感じもあって。

 ただ、クジ引きをしないで済むよう、立候補で埋まるようにするため、みんなが避けたがる活動は徹底的になくしました。そのために広報紙や研修もやめたし、献血や炊き出しもやめて。

*「みんなが困るねんから」の一心だった

――PTAで、献血や炊き出しを!? そういうPTA活動は初めて聞きました。

 地域の団体とPTAで組んで、献血をやっていたんです。2月の土曜日に献血バスを1台用意して来てもらうので、保護者を80人集めないと採算が合わないから、とノルマがあって。今から思えばノルマではなく、PTA側で気を使って本部が立てた目標だったのかも。でも私らの世代、お産で輸血した人も無理だし、若い頃イギリス行った人も無理だし(*)、あとは血液比重が足りない人ばっかりで、献血できる人がほとんどいなくて。それで「PTAで人(血液)を集めることはなかなかむつかしいです、やめさせていただけませんか」と言って。

 「これはやめられへん」「あと少しで永年継続の表彰状がもらえる」とか言われたけど、「献血当番があることで役員に立候補する人がいなくなったら、クジ引きになってしまって、それはとてもよくないことなんです」って一生懸命説明して。たぶん「この人、頭おかしいん違うか?」くらい思われたと思う。でもやめてみたら他校も「なんや、本多聞小PTA、献血やめれたんや」みたいになって、周りの学校もやめ始めたと思います。心苦しくはありました。

――献血はもちろん大事ですが、強制は無理ですよね。もうひとつの、炊き出しというのは?

 毎年(阪神淡路大震災があった)1月17日は炊き出しをする、というのが神戸はほとんどの学校ににあるんです。炊き出しを子どもたちに食べさせて当時をしのぼう、っていう。「毎年1回はやっておかないと、次に地震が起きたとき手順がわからずに作られへんでしょう」というのと、「大釜が錆びるから、年に1回は使わなあかん」というのもあって。うちの学校でもPTAと地域が一緒にやっていましたが、これも「インフルエンザやノロが流行る時期で、当日『子どもが学校休んだから』と欠席する役員さんが多いとちょっと負担が大きくて」ってアンケートにあったのを、地域団体に伝えて。それでやめることになりました。

――神戸のPTAの活動は、そういう震災の影響も受けてきたんですね。

 そう、だから献血や炊き出しやめることには、やっぱりみんなすごい抵抗はあって。「お世話になったのに、献血やめるんか」「神戸の心を忘れるんか」みたいな、「神戸やから」っていう、そこと絡めて感じる申し訳なさはありました。*ちなみに、献血をお断りした地域団体とは、今も協力して活動しています。(* 2021.3.30追記)

――もちろん震災は忘れてはいけないことですが、でもそこでPTAが保護者に活動を強制するのは違いますよね。よく、保護者を守り抜きましたね。

 「保護者の中にできる人がおらへんのに、やるなんて、困るでしょう」って本気で思っていたから。何の後ろめたさもなく、「立候補がいなくなったらクジになるんです」って真顔で言っていたから、みんな「なんかもう通じひん、小学校のPTAは」みたいな感じで。校長先生に苦言を呈した地域の人もいらしたんですけど、校長も「すいません、言うておきます」みたいな感じで。でも「地域に気に入られるようにしろ」とは言わず、ことあるたびに「母親の生活スタイルが変わってきた」と説明してくださっていたそうです。

 あと炊き出しは、小学校のときは結局中学校にもっていったんですよ。「小学生はやらないから中学で」って。中学に入学したら「炊き出し、小学校からまわってきて」ってまた人のやりくりに困ってた。それでもう一回しょうがないから「1か月後に私立高校の入試があるので、インフルエンザやノロで学級閉鎖になると困るとの意見が多いので、やめさせてほしい」って地域の方にお願いに行きました。そのときは福本先生も一緒に説明してくれました。

――ちょっと笑ってしまいましたが、すごいです。地域の年配の方に強く言われたら抗えず、末端の母親たちに強制を続けるPTAや校長がほとんどだと思うので。

 怖いもの知らずやったんやと思います。嫌味ではなく「地域の先輩方もPTA会長をしておられたし、言ったらわかってくれる」って、本気で思っていたから。「PTAで、保護者の立候補がいなくなることは、もう一番困るんです」って。「伝える立場にある私が言わなきゃ、みんなが困るねんから」っていう、それだけでした。

――そこでつい、自分が「いい顔」をしようとしなかったのもえらいですね。

 私は地域で好かれて後で何か役職がほしいとか、市会議員になりたいとか、何もなかったから。今だけしか見えてなかったんだと思います。自分の世代からだけ信用されていたら、あとはもう関係ないぐらいに思っていたので。今から思うと視野が狭かったというか、しがらみが見えていなかったとも思いますが。

 ただ漠然とですが、「この仕組みは常に保護者間のトラブルを生むので、変えてもいいのでは」という、自分の中で大儀みたいなものがあったから。何回も悩むたび、そこに立ち返りました。

*どうしてもクジ引きをなくしたかったワケ

――「クジ引きをなくしたい」と、腹の底から思っていたんですね。何かきっかけが?

 私はあの、クジ引きで誰があたったとか、この理由は却下とか、病気の診断書が出される(*3)とか、山ほど見ていたから。例えばもし、自分が不登校をしていて学校に良いイメージをもたなかったとして、やっと親になり、ほんとはPTAみたいな人の集まり嫌いなのにやらないといけないのはしんどいな、と思ったし。

 子どもが生まれる前、私、カウンセラーの勉強していて、研修の一環でひきこもりの人や不登校の親の会に参加させていただいていたんです。だから、人と付き合うのが苦手で苦しんでいる人がいるのはすごいわかっていて。PTAって、みんなの前でぺらぺらしゃべるのが苦にならない人には楽しい場でも、そんな人ばっかりじゃないねんよって。前に出るのが嫌いな人に、親になったからって嫌な思い思いをさせて、劣等感を持たせるようなことをしたら、そこの子どもだって親の愚痴もきいて、なんか申し訳なく思う。そういうことをしたらいけない、とどっかで思っていて。

 クジ引きで、もう明らかに人付き合い苦手そうな人が「大丈夫。みんなやってきたし、できるから」って軽く言われたり、「実はうちには障害の兄がいて、私も時間が自由にならないので」とか言わされたりするのを見たときの、反感。免除の理由を順番に言って、「今ので免除してあげると思う人は目をつぶって手を挙げてください」「賛成者は少数だったので今のは却下です」とかっていう、えげつない光景を私は見たから。単純な嫌悪感、「いいの? こんなことをして」って。

(続く)

  • *1 PTAの研修会は動員人数のノルマが課されることが多く、そのため本部役員など決まったメンバーがいつも参加することになりやすい
  • *2 2005年に国内で初めて変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が確認され、1980年から1996年の間に英国に1日以上滞在した人は献血ができなくなった。ただし、2010年からは基準がやや緩和され、同1か月未満の滞在者は献血可能となっている
  • *3 PTAは「必ずやらなければいけない義務」とされていることが現状まだ多く、そういったPTAでは、活動をしない人は、病気の診断書の提出などを求められる場合がある

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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