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オバマ政権の人質事件対応の転換と、日本への影響

川上泰徳中東ジャーナリスト

オバマ米大統領はテロ組織などによって米国人が誘拐され、人質になった事件への新たな政府の対応策を発表した。「大統領政策指令(presidential policy directive)」として新政策を示し、さらに「大統領令(executive order)」として政府の新たな人事や機構の創設を命じた。「人質の安全と無事に帰還させることを最優先」として、人質の家族が人質解放のために身代金を支払うことを認め、家族を支援するために政府がテロ組織と連絡をとるという具体的な政策の変更である。この米国の政策変更は、日本の人質事件対応に、どのように影響することになるだろうか。

オバマ大統領は24日の記者発表で「私は人質事件の対応策の全面的な見直しを命じた」として、次のように述べた。長くなるが、引用してみよう。

<世界はISIL(「イスラム国」)による、米国人を含む無実の人質の野蛮な殺害に慄いている。それ以上に人質の家族は、自分たちの政府とのやりとりでしばしば不満やいらだちを語っており、私に直接話した家族もある。異なる部局や機関が、いかに調整されていないか、政府による家族の支援が、いかに混乱しており、矛盾した情報がでているか、家族らがいかに政府の官僚主義によってたびたび途方にくれているか。あるケースでは、家族が愛する人を取り戻すための、ある方法を探っていることについて(政府から)脅かされたということもあった。

このようなことは全く受け入れられない。私が数家族と会い、彼らの話を聞いたのも、彼らが家族を取り戻す試みが完全に支援されていると確信させるためであり、それは私の厳粛な義務であった。誠実に絶え間ない努力をしている政府と家族が、一致しているのは、家族が愛する人を取り戻すことが、唯一の優先事項だということである。

人質の家族はすでに十分に苦痛を受けており、彼らが自分たちの政府に無視されているとか、政府の犠牲になっていると感じるようなことがあっては決してならない。昨年、ISILによって息子のジムを殺された母親ダイアン・フォーリーは「米国人として、私たちはもっとうまくできた」と語った。私は全く同感である。私たちはもっとうまくやらねばならない。だから、私は人質事件の対応策の全面的な見直しを命じた。>

ニューズウィーク誌の報道によると、ダイアン・フォーリーさんは米ABCテレビで ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)の幹部から繰り返し、身代金を支払うのはテロを支援することを意味すると言われたと明らかにした、という。ダイアンさんはテレビで「3回脅された。その言葉を聞いて、とても怖くなった。(身代金を支払えば)訴追すると言われた」とダイアンは述べたという。そのような脅しを受けて、フォーリー家はオンライン上での身代金のカンパを中止したという。NSCの広報担当者はABCテレビで「政府の指定した組織や個人への身代金の支払いを、法律は明確に禁じている。また、人質犯に譲歩しないというのは、政府の長年の方針でもある。(身代金の要求に応じれば)さらに多くのアメリカ人が誘拐される危険が高まるだけだ。このような方針は公に示しているし、個人に対しても伝えている」とコメントしたという。オバマ大統領が今回の発表で、「(政府から)脅かされた」と語っているのは、そのことでる。

オバマ大統領は今回、「われわれの米国人の人質を取り戻す作業と、家族への支援を改善するために新しい大統領政策指令(PPD)」を公式に出し、政府機関がその指令を実施することを求める大統領令(EO)に署名したと述べた。

新たな取り組みは次のようなものだ。

(1)人質事件対応の改訂

人質事件への対応の最優先課題は、米国人人質の安全で迅速に取り戻すことである。そのために政府の力のあらゆる要素を使う。米国は米国人を拘束しているテロ組織に身代金を払うような妥協はしないが、政府や人質の家族、または家族を助ける第3者が、人質をとっている組織と連絡をとることを妨げない。さらに政府が、連絡をとろうとする家族や私的な試みについて家族の安全を確保したり、彼らがだまされたりしないようにするために適切な支援をすることもある。

(2)政府の機構整備

ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)のもとに政府の横断的な「人質対策チーム」を設置し、政府の人質政策が迅速に、効果的に実施されるように責任を持つ。上級外交官を人質問題の大統領特使として任命し、人質を取り戻すための外交努力に専念させる。人質を無事に国に戻すための政府横断的な中核部署を置く。すでに連邦捜査局(FBI)で合同チームができて、仕事を始めている。情報機関で人質事件関連の責任者を任命し、情報収集と分析、迅速な情報発信に当たらせる。

(3)人質家族への対応の見直し

人質家族が、自分たちは政府にとっての付け足しや邪魔物ではなく、人質事件に対応する政府のチームの仲間であり、パートナーとして扱われる。政府の合同チームには、家族に対応する調整官を含み、家族が情報を共有できるように、迅速に正確な情報を与える。その調整官は政府の中での家族の声を代表する。

人質家族の対応の見直しのところでは、オバマ大統領は改めて「人質の家族が自分の愛する人を取り戻すために身代金を払っても決して訴追されることはない」と繰り返している。

オバマ大統領は今回の発表で、米国政府が「身代金を払うことはない」としながらも、「テロ組織に妥協はしないが、政府がテロ組織と連絡をとり、人質解放のための家族の働きかけを支援する」という方針を打ち出した。人質が殺されても「テロ組織に妥協しない」ことが、これまでの米政府の方針だったことを考えれば、人質の無事解放を最優先とすると方針転換の意味は大きい。人質が殺されたら政府の対策は失敗とされることになるからだ。家族が身代金を支払う場合に、これまで政府は「政府が指定したテロ組織への身代金の支払いは法律違反だ」と警告していたが、これからは「訴追しない」というだけでなく、テロ組織との連絡などに関して、家族の安全を確保したり、だまされたりしないように支援する、とまで言っている。

オバマ大統領は、発表の中で、身代金支払いについて、「私は大統領として、より大きな国家の安全保障を考慮しなければならない。私は、米国がテロリストに身代金を支払うことはより多くの米国人を危険にさらし、われわれが阻止しようとしているテロに資金を提供することになると信じる」と語っている。

これまでなら、「だから、テロ組織には妥協しない」という政府の強硬姿勢の表明で議論は終わりだった。米国人の人質が殺害されるのは、米国の対テロ強硬姿勢の証ともなった。オバマ大統領は今回の発表の初めに「(人質家族は)自分たちの政府に無視されているとか、政府の犠牲になっていると感じている」と述べたが、それは政府の対テロ強硬姿勢の犠牲ということである。オバマ大統領は「そのようなことがあっては決してならない」と否定したのである。

つまり、今回のオバマ氏の人質問題への方向転換は、「国の安全保障」の名のもとで個人の安全が犠牲になるのではなく、「国が自国民個人の安全を保障する」ことを最優先課題として掲げたことになる。その意味では、方針転換は、国や政府の関係者に、意識改革を迫るものである。

米国は今後、テロに妥協しないという方針は変えないが、「人質解放」を優先課題とする新たな対応策を打ち出している。現実問題としては、「対テロ戦争」を継続しつつ、新たな人質事件対策が実施され、人質解放のために様々な手段が取られることになろう。米国が人質解放を課題とするならば、家族による身代金支払いだけでなく、人質解放を実現するための多くのカードを持っている。米国のすべての関係機関が、人質の安全解放のために力を尽くせば、米国の人質をめぐる状況は大きく変わることになろう。

この米国の方向転換は、日本の人質問題への対応にどのような影響を与えるだろうか。

1月にあった「イスラム国(IS)」による湯川遥菜さん、後藤健二さんが殺害された「邦人殺害テロ事件」の対応に関して5月に公表された「検証委員会の検証報告書」では、「ISIL(「イスラム国」)との直接交渉」について、「ISILから政府に対する直接の接触や働きかけがなく、また、ISILはテロ集団であって実態が定かではないとの状況下、政府は、ISILと直接交渉を行わなかった」としている。

さらに「イスラム国」と個人的なコネがあるイスラム学者の中田考氏が、日本外国特派員協会で記者会見して人質解放についての提案をしたことについて、報告書では「(中田氏は)日本政府がISIL支配地域に2億ドルの人道支援を行うという具体的提案を示し、日本政府が受け入れれば同提案をISIL側につなぐ用意がある旨述べた。しかしながら、中田氏の提案はISIL支援にもつながりかねないものであった」とし、「政府としては、中田氏の提案については受け入れなかったものである」と説明している。

検証委員会の報告書は「事件は極めて残念な結果に終わったが、展開によっては、テロに屈して裏取引や超法規的措置を行ったと国際的にみなされる結果や、ヨルダン政府や同国民との関係に重大な影響を及ぼす結果となる可能性もあったが、全体としてみれば、取りうる手段が限られた中で政府はできる限りの措置をとり、国際的なテロとの戦いやヨルダン政府との関係で決定的な負の影響を及ぼすことは避けられたとの評価も有識者から示された」と評価した。

日本政府の対応は、報告書でも示されている通り、「テロ組織とは交渉しない」というもので、ISとのパイプを持つ中田氏の提案についても「ISIL支援にもつながりかねない」として拒否した。検証委員会の報告書でも、湯川さん、後藤さんがISに殺害されたことについて、「政府の対応の失敗」という認識は薄く、二人の解放のために政府がどのような対応をしたのかは十分に究明されていない。結果的には、人質解放に至らなかった問題点は脇に置かれ、解放に向けた交渉などをしていないことをもって、「国際的なテロとの戦いへの負の影響を及ぼすことが避けられた」と評価する結論となっている。

国際的にはフランスやドイツ、スペイン、トルコなど政府が身代金を支払いも含めて人質解放に力を入れる国がある中で、日本政府が湯川さん、後藤さんの人質事件で、「ISと交渉しない」と強硬姿勢をとった背景には、これまでの米国の強硬な対応があったと考えるしかない。しかし、その米国が人質事件の対応の包括的な転換を行ったことで、日本政府も影響を受けることは避けられない。

オバマ政権は「テロとの戦い」と「人質解放」の両方を活発に遂行しようとしている。日本政府にとって「テロと妥協しない」という姿勢は、自国民の解放のために何もしないことの理由にはならなくなる。今後、米国が人質解放に力を注ぎ、実際に米国人の人質が解放されるようになれば、日本政府も邦人の人質事件で、人質を安全に解放するために何ができるかが問われることになる。

検証報告書では、ISILと直接メールでやりとりをしなかったことについて、「ISILは際立った独善性・暴力性を有するテロ集団であり、理性的な対応や交渉が通用するような相手ではなく、そのような相手に対して、人質を解放するために何が最も効果的な方法かという観点から、メールを通じて直接コンタクトすることではなく、関係各国や部族長、宗教指導者等あらゆるルート・チャンネルを活用し、最大限の努力を行ったものである」としている。

しかし、フランスやスペインがISILと交渉して自国民を解放している実績がある以上、「交渉不可能」ということはできない。要するに日本は「ISILのような相手とは交渉しない」という方針を示していることになるが、そのような論理が通用したのは、米国の立場に従ったためである。今後、米国がISに対しても、人質解放のために交渉すると方向転換するならば、日本がISILとは交渉しない、と突っ張る意味はなくなる。

しかし、そうなった場合に、日本政府にはISILのような相手と、交渉して人質を解放するという政府の意思があるかどうか、解放を達成する能力があるのかどうかが問われる。人質解放は非常に困難な作業であり、そもそも人質をとるような過激派はISでなくても、「理性的な対応や交渉が通用する」相手はないと考えていいだろう。米国でさえ、そのために政府横断的な担当組織を立ち上げるというのだから、もし、日本政府が同様に人質解放に向けた対応をしようとすれば、情報収集、外交工作、現地対策などすべての分野で本腰をいれた取り組みを迫られることになる。

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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