【世界史】「うああ、ヤツらが来たぁ!」けたちがいの強さで敵に恐れられた精鋭集団・3選
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「げえっ、関羽!」
「ナポレオンが来るぞ!」
・・世界史における数々の戦いでは、いわゆる一騎当千。
無双を誇った人物が存在し、これは世界史ファンにとってはロマンの1つ。
しかし、大きな戦局で見たとき、個人の無双には、やはり限界があります。
大きな鍵を握ったのは、やはり何かしらの部隊や、集団のチカラでした。
そこで、この記事ではそうした中でも、とくに無類の強さを誇り
戦いの勝敗・・あるいは国全体までも影響を及ぼした、強すぎる集団“3選”をピックアップし
わかりやすく、解説して行きたいと思います。
曹操軍精鋭隊【虎豹騎(こひょうき)】
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三國志において、中華の覇権を握った武将・曹操(そうそう)。
その麾下にあって、 ずば抜けた武勇と機動力をもって、
数々の戦いで、敵軍を大いに圧倒しました。
部隊の一人一人が、選ばれし“つわもの”で構成されており
具体的には曹操軍内において、兵士100人前後を率いた経験がある・・
あるいは、率いるに相応しい人物を、選抜したと言います。
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その指揮は曹一族みずからが取り、三國志においても最大級のライバルである
袁紹(えんしょう)の息子を、討ち取る大戦果も挙げました。
また猛将・馬超(ばちょう)との戦いにおいても、他部隊と相手を挟み撃ちにして
複数の敵将を討ち取るなど、強さを見せつけています。
他にも数々の戦いにおいて、怒涛の戦闘力を誇っており
曹操の智謀と合わせ、覇道への歩みに貢献した存在と言えるでしょう。
何より、その部隊名のカッコよさにも、思わずロマンを感じてしまいます。
ローマ皇帝親衛隊【プレトリアン・ガード】
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皇帝アウグストゥスが創設した、その名の通り、皇帝直属の近衛兵団です。
同時代においては、皇宮やローマ市内へ常時、駐屯することが
唯一、許されていた軍集団とも言われています。
ローマ帝国軍の中でも、選りすぐりのメンバーを選抜しており、
常時、厳しい訓練を重ねられている、エリート部隊。
歩兵のみならず騎兵も存在し、本拠の防衛を担うとともに、
数々の戦いにも参加し、多くの戦果を挙げたと伝えられます。
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ところが、その戦闘力と影響力は、時が経つほどに増し続け
アウグストゥスが死去したのち、政局にまで影響する存在となって行きます。
皇帝の後継者争いにおいて、プレトリアン・ガード達の支持を得られるかが
大きな鍵を握るようになったほか・・ついにはプレトリアン・ガードの指名で
次期皇帝が決定されるなど、たびたび政争の火種となってしまいます。
中枢の為政者はもちろん、当の皇帝さえ気を遣わずにいられないほどで、
彼らはいったい、何を“ガード”しているのか?
もはや本末転倒な歴史を、歩んでしまいました。
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・・それから時は進み、その力を危惧したコンスタンティヌス帝により
プレトリアン・ガードは、解散させられることになりました。
あまりに“強すぎる部隊”というのも、ときには国にとって、考えものですね。
マケドニア重装歩兵隊【ファランクス】
顔も身体も鎧を着こみ、さらには巨大な盾を持って、ガチガチに防備。
そうした兵が密集して前進する陣形を、通称ファランクスと言います。
古代ギリシャの軍を中心に用いられ、威力を発揮しましたが、
この重装備ではとうぜん動きが遅く、方向転換も大変です。
部隊の前方に関しては、大きな攻撃力と防御力を誇るものの、
ひとたび回りこまれ、側面や背後を突かれれば、脆いという弱点が存在ました。
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そこで古代・マケドニア王国は、そうした装備や戦法を改良。
片手に持つのがスタンダードだった大盾は、ウデに取りつける小型にし、両手を解放。
そして全員に、6メートルにもおよぶと伝わる、サリッサ(長槍)を装備させました。
この改良された、マケドニア・ファランクスは、たちまち威力を発揮。
アテネやテーベなどの連合軍を撃破し、ギリシャ全域の支配に貢献しました。
そして“アレキサンダー大王”の時代になると、彼はそこにペルシャの戦術を加え
ファランクス部隊に、縦横無尽な騎兵や弓兵も加えて、敵を圧倒。
西はエジプト、東はインドまで領土を広げるという、史上空前の、アレクサンドロス帝国を築きました。
なおインドに攻め込んだときは、敵にはゾウを並べた“戦象部隊”が存在。
これには、さすがのファランクス隊も、敵わない・・かに思われましたが、
しかしアレキサンダー大王は、戦闘前に投げ槍に特化した部隊を編成。
投げ槍攻撃に象が驚いて混乱したところ、ファランクス隊が一気に攻め込み撃破。
世にいう“ヒュダスペス川の戦い ”を、大勝利へと導きました。
世界の歴史に影響した精鋭たち
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数ある王国や帝国の中でも、特別に組織された集団。
エリート部隊や親衛隊といった響きには、たいへんロマンもありますが
そうした存在が、実際に情勢を大きく左右することもありました。
歴史というのは、国単位の大きな視点で触れることが多いですが
特定の集団に着目してみるのも、また面白いものです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。