なぜ残業は楽しいのか?「残業仲間」はかけがえのない友人?
■2人の上司に呼び出されて怒られた内容は……
以前勤めていた職場で、私は2人の上司から呼び出されたことがある。そして、そのときに言われた言葉が今も強烈に頭に刻み込まれている。
「君はなぜ残業をしないのか?」
今から25年ほど前のことだ。当時の私は、こう言われて少なからず頭が混乱した。
「君はなぜ結果を出そうとしないのか?」
「君はなぜやる気を出そうとしないのか?」
「君はなぜ困っている同僚がいたら手を貸そうとしないのか?」
「君はなぜやることをやらずに先送りばかりしているのか?」
このように怒られるのならともかく、目の前に腕組みをして座っている2人の上司は、私が残業をせず毎日定時でオフィスを後にすることに怒っていた。
私は当時、知的障がい者のボランティアサークルの代表をしており、ボランティア仲間とのミーティング、教育委員会に申請する助成金の手続き、保護者との打合せなどが頻繁にあった。
そのせいで平日の夜はしょっちゅう定時退社をしていたのだ。
「他の同僚が定時内で仕事を終えていないのだから、君も少しは手伝ったらどうだ?」
という言い分ならわかる。しかし、当時の同僚のほとんどは別々のチームで仕事をしていて、手伝いようがなかった。自分のチームの仕事に遅延がないのであれば、定時で帰る権利はある。これが私の主張だったのだが、とてもそれを言える雰囲気ではない。
「残業するのが当たり前だ」
という価値観に支配された上司たちに、とても嫌な感覚を覚えた。
上司が言ったことをやらない部下に「つべこべ言わずにやれ」と言うのならともかく、残業しない部下に「つべこべ言わずに残業しろ」という言い分が、たまらなく嫌だった。
■大嫌いだった残業が体に馴染んでいく体験
結局、言うことを聞かない私に「残業をしないと処理できない仕事量」を与えるという結末に。
その結果、私も見事にその職場の空気に染まっていった。生存本能だろう。残業しないと、ここでは生き残ることができないと感じたのだ。
刺激を与え続けると人間の脳は麻痺する。この心理現象を「刺激馴化」と呼ぶ。
あんなに嫌だった残業も、夜10時、11時までオフィスに居続けることが当たり前の生活に変わった。
不思議なもので、終電を逃すと、さらにダラダラと朝の2時や3時までオフィスに残っている日常を平気で送ることができるようになった。
毎日その時間まで残っている同僚たちの顔ぶれはいつも一緒。仕事の成果ではなく、夜遅くまで残っていることそのものに充実感を感じるようだ。オフィスに人がいなくなればなるほど、表情が生き生きとしてくる連中ばかりだった。
「昨日、何時に帰った? 夜の10時? ああ、それでお前いなかったのか。俺が出張から戻って10時半にオフィスへ戻ってきたときはいなかったもんな」
「あれから朝の4時までいたよ。いったんカプセルでシャワー浴びて7時にまたオフィス来たら、もう部長、出社してた。あの人、出張先で同じだったから、どこで寝たんだろうな。はははは」
恍惚とした表情をしながら笑う同僚。「何がおかしいんだ」と思いながら、調子を合わせて笑う私も私だった。頭が完全に麻痺していたのだ。
■ 定時後に生き生きする人たち
転職してコンサルタントになってからは、完全に昔の私を取り戻した。徹底的に生産性の高い仕事を心がけた。支援先のクライアント企業が不毛な残業をさせているのであれば、強い姿勢で立ち向かった。
時代が変わり、働き方改革が法律で定められた。それに伴い、長時間労働が「悪」とまで言われるようになった。とはいえ、まだまだ「残業好き」は生き残っている。
定時後になった途端に生き生きしてくる会社員をいまだに見かけるのだ。
「定時を過ぎた。10分でも20分でも早く仕事を終わらせて帰りたい」
と焦って仕事をする人もいるが、
「夕方6時を過ぎたので、そろそろエンジンかけるか」
的な感じで、腕まくりをする者もいる。
Z世代の若者には、まったく理解できないかもしれない。しかし私は過去の体験がある。そのせいで「残業好き」の人の感覚を少し理解できてしまうのだ。
定時後、人気(ひとけ)がなくなったオフィスで、気楽に仕事をするのが好き。
休日に、ほとんど誰もいないオフィスに昼から出社し、コンビニで買ったコーヒーとチョコレートを口にしながら、ダラダラと作業をするのが意外と楽しい。
――こういった感覚を理解できてしまうのだ。誰かに迷惑をかけていないのなら、そういう働き方も「あり」だよな、と思ってしまうときもある。
■「残業仲間」はかけがえのない友人?
喫煙コーナーで一緒にタバコを吸っていると、ふだんは交流のない他部署の人と仲良くなり、優れた意見交換の場になったりすることもある。
これと同じように、いつも遅くまで残業している人とは、妙な仲間意識を持つことが多い。
夜9時過ぎにトイレに立つと、少し離れた場所でひとり黙々と仕事をしている人を見つけたとする。すると、ついつい声をかけたくなるものだ。
「今日も遅いですか?」
「ええ。終電には帰るつもりですが。課長はどうなんです?」
「10時には切り上げますよ。土曜日も早いんで」
「あら、土曜日も出勤ですか」
「現場対応が、朝早くからありまして」
「お互い大変ですなあ」
「いやあ、仕事なんて、こんなもんでしょう」
他部署の人と、こんな、ほがらかな会話ができるのも、残業の醍醐味であろう。「残業好き」な人たちにとっては、この働き方がしっくりくるのである。
しかし個人の「嗜好」で働いてはならない。どこかで線引きをしなければ、秩序を保つことは難しい。
「つべこべ言わずに残業しろ」
と言う上司が二度と出現しないよう、お酒やチョコレートと同じように「残業」を嗜好してはならないのだ。長時間労働は、脳の機能を減退させるからだ。
<参考記事>