なぜ、こんなにもニッポンの若者たちは“自殺”するのか?
先週「2017年版 自殺対策白書」が公表され、若者の自殺率の多さが国際的にみてもかなり深刻であることがわかった。
若者の自殺率の高さはこれまでにも問題視されてきたが、ご覧のとおり特に20代では死因の半数を「自殺」が占めなどかなりの衝撃である。
「若いんだから病気にはならない。自殺が一位って普通でしょ?」という意見もあるが、これは間違い。
先進国の「自殺」と「事故」の割合は……
日本ー 17.8 : 6.9
フランス 8.3 :12.7
カナダ 11.3 :20.4
米国 13.3 :35.1
欧米の主要国の同年代の若者は事故死のほうが圧倒的に多いのである。
そもそも自殺は2つ以上の理由(ストレス要因)が重なったとき起こりやすいことがわかっているが、
20代の場合「人間関係」に関する悩みが多い。
また、自殺者の98%が、うつ病など精神疾患に罹患していることが数多くの調査研究から確認されている。
奇しくも、先日。世界保健機関(WHO)は、世界でうつ病に苦しむ人が2015年に推計3億2200万人に上ったと発表した。
これは全人口の約4%に当たり、05年から約18%増加。
今後は5人にひとりがかかると警告すると共に、若年層の自殺増にもつながっているとして、早急な対策が必要だと指摘している。
なぜ、うつ病が増えているのか?
格差社会、グローバル化、貧困、薬の多用など、いくかの問題が指摘されている。また、「個人の資質」とする意見もあとを絶たない。
しかしながら私自身は、「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」という立場だ。これまで行ってきた研究でも、確かに性格傾向と精神疾患との関連は認められたが、それはあくまでもリスク要因でしかない。
だって、人は「生きるため」に生まれてくるわけで。だからこそ誰が教えずとも必死に立ち上がり、歩こうとするのだ。
赤ちゃんには生まれてから数時間で母親を見つめたり、表情を真似るようになるなど、身近な人と関わりを持とうとする本能がある。
未熟な肉体で生まれてくる人間は、誰かの世話なくして生きていくことできない。
そこで赤ちゃんはにっこり笑うことで、「私は生きています。私が健康で生きられるように、手助けしてください」と他者とコミュニケーションをとる。
生まれて3カ月の赤ちゃんが「ニコッ」とする仕草は、“3カ月微笑”と呼ばれるが、これこそが赤ちゃんが最初に身に付ける「社会性」なのだ。
つまり、どんなに個人的リスクを抱えている人でも、人は環境でかわる。死にたくて自殺する人はいない。
生きたい、でも生きられない。だからしかたがなく、死、という悲しい選択をしてしまうのである。
では、どんな社会(=環境)であれば、人は生きる力を持ち続けられるのか?
ヒントになるのが、パプアニューギニアのカリル族だ。
ここではうつ病になる人も、自殺をする人も一切確認されていない。
カリル族の人たちには、「その人の価値観を受け入れる」文化がある。
例えばブタのように、もし自分にとって価値あるものを失った場合、その喪失感を部族全体で埋めるための儀式が行われる。
「あなたは大切なものを失ったのですね。そのことを私たちは分かっていますよ。私たちでは物足りないかもしれないけれど、何とかそのあなたの開いた心の穴を埋める手伝いをさせてください」
と歌をうたい、踊る。
つまり、人はみんな違う、と。私にも大切なのがあるように、あなたにも大切なものがあるのね、と。
そして、その人と共に「大切なもの」を弔い、寄り添う共同体が存在するのだ。
「人はみな違う」ーーー。言葉でいうのは簡単である。
でも、実際にそれを受け入れるのは難しく、成熟社会でなければ「みな違う」と認め合うことはできない。
市場経済のど真ん中で暮す私たちは、成長ばかり目指し、成熟することを怠ってきたのであるまいか。
市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在する。
カネ=価値 となった途端、良い大学を出て、良い就職をし、たくさん稼ぎ、良い暮らしをすることが、価値あるものになりがちである。
「ひとそれぞれだよね」だの、「価値観が多様化している」とう文言はよく聞くけど、
まるで国葬のように、同じリクルートスーツを着た若者たちが就活戦線に挑み、
たった一回でも失敗すればレールから外され、
勝ち組だの負け組だの、何を基準にいってるのかわからないグルーピングが行われている社会の、いったいどこに「それぞれ」だの「多様化」があるというのだ。
違いを認めあえない社会とは、共同体が破壊した社会でもある。
自殺は「追いつめられた末の死」であり、「避けることのできる死(avoidable death)」ーーーー。
LGBT、貧困、マイノリティの人たちと一緒に生きて行くことも、成熟である社会であることを忘れないで欲しい。