Yahoo!ニュース

気象報道管制の誤解 太平洋戦争中でも台風情報はラジオ放送されていた

饒村曜気象予報士
古いラジオ(ペイレスイメージズ/アフロ)

太平洋戦争中でも国民に台風情報

 太平洋戦争が終わった8月15日前後に、マスメディア等で様々な特集が組まれています。

その中で、太平洋戦争中の気象報道管制で「住民に気象情報が全く伝わらないため被害拡大」と、よく云われ、多くの人がそれを信じています。

 しかし、昭和17年8月の周防灘台風では台風という言葉は使っていませんが、台風情報がラジオや新聞で報道されています。

例えば、NHKラジオは、第5群たる九州並に中国西部に対して、8月26日22時15分のニュースに引き続き、「8月26日午後中央気象台発表 今夜より明日にかけ、九州南部及西部並に其近海一帯は暴風雨となる厳重警戒を要す」と放送しています。また、中部地方から関東地方の第3群に対して8月27日19時のニュースの後「中央気象台27日午後6時発表 暴風警報。中部地方、関東地方及其の近海は明日中に暴風雨となる警戒を要す。」と放送するなど、合計9種類のラジオ放送が行われています。

 さらに、昭和17年8月28日読売新聞朝刊に「暴風雨来る 中央気象台廿七日午後六時発表暴風警報『中部地方、関東地方及びその近海は明日中に暴風雨となる、警戒を要す』北九州一部で家屋倒壊【福岡電話】廿七日午後博多、大牟田は不通となり、北九州地方一部に家屋の倒壊、電話、電灯線切断などの被害があった。」とあるように、新聞でも報道されています。

 また、この年の9月下旬に近畿~中部地方を台風が襲った時も、「特例暴風警報」が報じられていますので、太平洋戦争中は気象報道管制によって、気象情報が国民に全く伝えられなかったというのは誤解です。

 制約が多い中での伝達であり、効果が半減以下であったために、全く伝えられなかったと同様であり、多くの国民が「全く伝えられていない」と思ったのです。

そして、敗色が強まった昭和18年以降は、制約が大きかった気象情報でさえも、伝達されなくなっています。

特例暴風警報出る

今夕から明朝にかけ

【中央気象台廿一日午前十時発表特例暴風警報】今夕より明朝にかけ四国、近畿地方、東海道方面及び付近海上は暴風になる惧れがありますから厳重な警戒を要します、特に海岸では満潮時の高潮や激浪に注意を要します。なほ中国地方、中部地方、関東地方、奥羽南部及びこれらの付近海上等も風雨がかなりつよくなりませう、中には暴風雨となるところもあるかもしれません、暴風雨になる見込みの時は測候所から特例暴風警報が伝達されますから御注意願ひます

出典:昭和17年9月22日読売新聞夕刊

太平洋戦争中の気象報道管制

 天気予報などの気象情報は、戦争遂行のためには必要不可欠な情報です。このため、戦争になると、少しでも自国を有利にするため、自国の気象情報を隠し、相手国の気象情報の入手をこころみます。これは、昔の話ではなく、今でも状況は同じです。世界各地の気象情報が自由に入手できるというのは、平和の証なのです。

 真珠湾攻撃が行われた昭和16年12月8日の午前8時、中央気象台の藤原咲平台長は、陸軍大臣と海軍大臣から口頭をもって、気象報道管制実施を命令されています(文書では8日の午後6時、表1)。

表1 気象報道管制命令文
表1 気象報道管制命令文

 こうして、気象無線通報は暗号化され、新聞やラジオ等の一般広報関係はすべて中止されました。

ただ、例外として、防災上の見地から、気象報道管制中であっても、暴風警報の発表は、特例により実施されることになっており、全てが禁止されていたわけではありません(表2)。

表2 特令に依り暴風警報発表に関する協定
表2 特令に依り暴風警報発表に関する協定

 この特例による暴風警報の発表が正式に決まったのは、昭和17年8月27日、大型の台風が九州の西海上を北上して長崎県に上陸し、西日本で大きな被害が出ている最中でした。

特例暴風警報の実施は、9月1日からでしたが、これを先どる形で、ラジオ放送が行われ、新聞でも報道されたのです。

周防灘台風

 昭和17年8月27日に長崎県に上陸した台風は、山口県を中心に大きな高潮が発生し、1158名が亡くなっています。図中の丸数字は、時刻ですが、27日の21時ころに山口県に一番接近し、163センチメートルの津波が満潮時刻におきています。

 このため、この台風を周防灘台風と呼ぶことがあります。

 周防灘沿岸は干拓地が多く、海岸低地に工業都市が発達していたこと、これまで災害に見舞われた経験が少なく防災設備が不備だったこと、気象報道管制下であったために、台風についての情報が住民にほとんど伝わらなかったことが高潮被害を拡大させた原因として指摘されています。

 このころの戦局というと、6月5日のミッドウェー海戦の敗北に続いて、8月7日にアメリカ軍のガダルカナル最上陸があり、開戦以来の日本軍の破竹の快進撃は止まり、米軍の本格的攻撃が始まりつつありました。

図 昭和17年8月27日に長崎県に上陸した台風による高潮(単位はセンチメートル)
図 昭和17年8月27日に長崎県に上陸した台風による高潮(単位はセンチメートル)

制約の多い特例暴風警報

特例暴風警報は、戦争遂行に必要な情報でもある天気予報を国民に知らさせないが、大災害をもたらす台風などの時には、「原因を言わず、危ないということだけを国民に知れせる」というものです。

特例暴風警報には次のような了解事項という制限がついていました。

特例暴風警報の了解事項

1 発表する内容は警戒の区域、警戒の時期及警戒の程度に限るものとし、台風等の位置、示度、進行方向及び速度等は表さざるものとす。例へば次の如し。「  地方  日  時   頃より暴風雨になる、警戒を要す」

2 暴風雨の通過後と雖も観測せる結果は発表せざるものとす。

 台風情報は進路や強度なので誤差を伴いますが、具体的な状況が分かっていれば、「台風の進行速度が予想より遅くなっているのでは」とか、「台風が予想より発達しているのでは」など、台風情報の誤差を補うこともできます。第一、具体的に分かっていれば、避難しようというはっきりした動機付けになります。

 周防灘台風の予報精度は、かなり良いものでした。そして、早い段階で中央気象台から各地の測候所に伝達され、役所などの限られたところのみに伝達されていました。

表3 中央気象台から測候所宛の電報(昭和17年8月)
表3 中央気象台から測候所宛の電報(昭和17年8月)

 しかし、国民に伝えられたのはその一部でした。そして、その一部は、一部であったがために住民の避難行動には結びつきませんでした。

 災害時に特別なことするという計画は、往々にしてうまく機能しません。

 私の限られた経験から言えば、災害時にうまく機能するのは、普段行っていることを増強して行う計画ではないか思います。

 日頃から見聞きしている天気予報で、台風の発生と移動を早い段階から知り、台風が接近してきたら台風情報に注意するという下地があって、各種の警報で避難行動を起こして災害を防ぐ(特に人的被害を防ぐ)ことができます。

 その意味では、日々の天気予報も防災情報の一つです。

図、表1、2の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。

表3の出典:中央気象台(1944)、秘密気象報告第6巻より筆者抜粋

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

饒村曜の最近の記事