「政治演説」と「ヤジ」を考える
突然の解散総選挙で選挙運動がたけなわだ。夏の都議会選挙の秋葉原における応援演説でヤジを飛ばされた与党自民党の安倍晋三総裁も次第に声を強め、野党の各党首や候補者も選挙演説に立っている。
北条政子の演説とは
政治的な「演説」と言えば、アリストテレスの『弁論術』があるように、やはり古代ギリシャや古代ローマのものが有名だ。一方、日本における政治的な演説といえば、筆者はまず鎌倉時代の北条政子を想起する。
夫である源頼朝亡き後、鎌倉政権を実質的に差配していたのは北条政子と彼女の姻戚である北条一門だった。1221(承久3)年、後鳥羽上皇は執権の北条義時(政子の弟)を討て、という命令(院宣)を出す。承久の乱だ。
上皇の命令に各地の武士が従おうとするが、政子は御家人らを集めて演説する。「これまで見下されていた武士が人並みに扱われるようになったのは故右大将軍(頼朝)のおかげではないか。上皇は奸臣の甘言に乗せられ、間違った院宣を出しているが、これら奸臣を討ち取って旧恩に報いるべきだろう。だが、上皇にお味方したい者があれば自由にせよ」と。
劇的な場面で出来過ぎかとも思うが、『吾妻鏡』や『承久記』などに同じような描写が書かれているので本当にあったことだろう。彼女の演説により上皇側へ傾いていた有力御家人たちがこぞって鎌倉側へ味方し、承久の乱は鎮圧された。天皇(上皇)の無謬を前提にした日本特有の「君側の奸」理論は、その後もずっと続いている。
政治的道徳倫理と政治的発言の関係
北条政子は御家人たちの倫理観に訴え、源頼朝から受けた恩を返さないのはおかしいと演説したが、道徳や倫理の面から人間の言動を分析した米国の社会心理学者ジョナサン・ハイド(Jonathan Haidt)は、道徳倫理基準には「5つの基盤(支援/害・公平/相互・忠誠/集団・権威/敬意・尊厳/純潔)」があると言う(※1)。これらは政治的な思想信条によっても基盤が変わり、リベラル派は5つの基盤のうち支援や公平に重点を置き、保守派は5つそれぞれを均等に重視する傾向にあるのではないか、とハイドは考えた。
こうしたハイドの仮説を、実際の政党政治の現場の発言などから分析した研究もある。東北大学と東京大学の計算社会科学(Computational Social Science)の研究者は、日本と米国の国会議員の発言を議事録などのテキストデータや議会発言の音声データなどから感情表現を分析し、ハイドの理論に沿って道徳と倫理の側面を評価した(※2)。
すると、米国の民主党議員は支援/害を重視し、ハイドの仮説と同様の結果になったが、共和党議員は公平/相互を重視し、忠誠/集団にはあまり関心を示さなかった。これはハイドの分析とは異なった結果になる。
また、日本の国会議員について分析してみたところ、これもまたハイドの仮説とは違い、リベラル派の議員は5つの基盤の全てに否定的な懸念を表明してきたようだ。
今回の総選挙における日本の政党で言えば、リベラル派は立憲民主党や共産党、社民党あたりになろうか。保守派は自民党、公明党、希望の党、維新の会あたりになるだろう。ハイドは、政治家の道徳や倫理に関する言葉を「美徳(正)」と「悪徳(否)」の2つに分類し、前者は「優しさ、愛国心、遵法」のような「基本的にポジティブな言葉」を意味し、後者は「破壊、裏切り、侮蔑」などの「基本的にネガティブな言葉」を意味する、としている(※3)。
いわゆる「なんでも反対」といった姿勢が、日本のリベラル派の議員の道徳倫理観にうかがえるわけだが、研究者は、これは日本の特殊な政治状況であり、保守派が議会で支配的であってもリベラル派のネガティブな政治的発言がその影響力を中和してきたのではないか、と考えている。
日本で発達した雄弁術
演説の話に戻るが、自由民権運動や大正デモクラシーの頃、日本の政治史でも演説の巧拙、弁論術、というものが一世を風靡する。まだ、ラジオやテレビなどの音声映像メディアが発達せず、実際に目の前で政治家が弁舌を振るう、という手法によってしか市民大衆に訴えかける政治的手段がなかったからだ。
明治期に「雄弁学」を提唱した加藤咄堂は、演説における話法や修辞法、身振り手振りといった身体的な演出などを構築したが、聴衆の心理をどうつかむのかにも腐心したという(※4)。ただ、演説の修辞学と心理学を体系的にまとめ上げ、実際の演説に利用できるまでには至っていない。表現や技術を磨くことはできても、聴衆の心理をつかむことはなかなか難しかったようだ。
聴衆を前にした演説というのは、その都度その現場ごとに環境も違えば聴衆の態度も変幻する。ヤジなどのノイズも入るだろう。音楽ライブや舞台表現にも似た難しさがありそうだが、グレン・グールドなら衆目の前での演説など絶対にしなかったはずだ。
技法としての雄弁術はその後、広告心理学を導入するなどしつつ、日本独自の「雄弁学」として大正デモクラシーの中で発達していく。尾崎行雄や永井柳太郎らによって弁論と雄弁の技法が実践的に高められ、最後に軍部独裁と大政翼賛会に抵抗した斎藤隆夫の「粛軍・反軍演説」によって終焉を迎えることになる(※5)。
ヤジとヘイトスピーチ
さて、演説にとって厄介なノイズになりかねない「ヤジ」についても、古代ギリシャや古代ローマが本家本元だろう。古代ギリシャの演説者は反対派もいる中で演説をしたから、彼らのヤジや妨害に負けずに演説を続けなければならなかった(※6)。
古代ギリシャのサモス島の僭主(※7)ポリュクラテスの後任を議論したマイアンドリオスは、演説の最中にヤジを飛ばされた。そして、そのヤジが的を射ていたものだから恥をかいた、とヘロドトスの『歴史』の中にある。これが古今東西の政治的ヤジの最初のようだ。
ただ、マイアンドリオスは単に恥をかいただけではなく、このヤジによって考えを改め、再び僭主としての支配権を確保するために反対派を呼び寄せて彼らを拘禁した。ヤジがマイアンドリオスをしてポピュリズムより僭主のほうがまだましと考えさせたように、ヤジが政治を動かすこともあるのだ(※8)。
また、英国の政治集会では、その政党や党派の支持者だけが排他的に集まるのではない。一般大衆や対立する勢力が、ヤジったり演者に質問したりするのが普通だった。英国では、こうしたヤジや対立者を排除することは慣例的に許されなかったのである。
だが、英国のファシスト、オズワルド・モズリー(Sir Oswald Mosley)が英国ファシスト連盟(British Union of Fascists、BUF)を設立して排外的な反ユダヤ主義から集会やデモを繰り返し、それに対する反ファシズム運動の側の反対行動が先鋭化して激しく衝突するようになると、牧歌的とも言える英国政治の状況が変わる。
1936年には公共秩序法(Public Order Act、3ヶ月以下の禁固もしくは50ポンド以下の罰金、またはその両方)が制定された。これは英国における初めてのヘイトスピーチ規制法で、公共の場または公共の集会で、脅迫的で侮辱的な言動を禁止などとする内容だ。差別的でヘイトなヤジは禁止されることになる。
現在の日本の公職選挙法では立会演説会が制度的に廃止(1983年に廃止)され、一部有志などが主宰してインターネット公開討論会などが開かれるようになっている。今回の総選挙は、突然の衆議院の解散によるものだったので、公開討論会の回数が従来よりかなり少ない。また、ネット上の討論会では書き込みコメントこそあれ、候補者に向かって実際にヤジが飛ばされようもない。
ヤジはコミュニケーションか
政治集会などでの演説と選挙の演説では少し事情が違うと思うが、演説にヤジはつきものだ。演説は一方通行であり、特に政治的な演説は一種のパターナリズムで、聴衆に「教え聞かす」ことを目的にしていることも多い。
だが、そこにヤジが入れば、双方向のコミュニケーションが生まれる可能性がある。もちろん、政治演説を妨害することを目的にしたヤジは論外だし、政治演説の場に一定の秩序は必要だろう。また、演説とヤジの間に官憲の介入など当然あってはならない。
だが、選挙演説なら聴衆は主権者だし、選挙のための演説は一過性だ。理想論かもしれないが、せっかくの機会なのだ。演説者と聴衆との間に対話があること自体をおかしいとは思わない。さらに言えば、反対意見との議論で演説者の主張を聴衆に訴えることができれば、より効果を発揮するだろう。
このように、ヤジといえど政治的にはある程度の意味を持つ。そして、それはリアルな政治的現実世界におけるダイナミズムであり、インターネットの中にはない身体性のある行動とも言える。
ところで、自民党や公明党の候補者は、固い支持団体に守られてきたからかヤジに対する耐性がない。一方、旧民主党や共産党の街頭演説などで、ちょっとここでは書けないような卑劣な罵声が飛ぶことは日常茶飯事だ。
組織的なヤジが問題視されることがあるが、野党のほうがそれに慣れている。ちなみに、公職選挙法の第225条では選挙の自由妨害罪を示しているが、過去の判例などにより現状では聴衆が演説を聞き取りづらくなるほどのヤジは違法だが、それほどではない場合は適法、という解釈のようだ。
また「こんな人たち」(安倍晋三)とか「黙っておれ」(二階俊博)とか、思わず本音が口をついて出てくる、というのも街頭演説とヤジの興味深いところだろう。「演じる」ことは現代の政治家にとって必須の資質であり、マキャベリに言わせれば演技の出来ない政治家など二流、ということになる。
どこでカメラに「抜かれ」マイクに「拾われ」ているかわからない。ヤジに過剰に反応し、思わず馬脚を現すようでは、政治家として失格と言わざるを得ない。
主権者大衆は常に「劇場型政治」に喝采をおくる衆愚でもなければ、もちろん無知でもない。政治がレトリック的修飾と密接不可分になっている今日、政治家はその「マスク」を安易に脱いではいけないのだ。
※1:Jonathan Haidt, Jesse Graham, "Mapping Moral Domain". Journal of Personality and Social Psychology, 101(2): 366-385. 2011
※2:Hiroki Takikawa, Takuto Sakamoto, "Moral Foundations of Political Discourse: Comparative Analysis of the Speech Records of the US Congress and the Japanese Diet." Originally submitted to the 3rd International Conference on Computational Social Science (IC2S2), July 10-13, 2017
※3:J Graham, J Haidt, BA Nosek, "Liberals and conservatives rely on different sets of moral foundations." Journal of Personality and Social Psychology, Journal of Personality and Social Psychology, 96(5): 1029-1046. 2009
※4:佐藤拓司、「加藤咄堂『雄弁学』の研究─明治・大正期の弁論術と心理学の結合をさぐる─」、The AGU Journal of Psychology, Vol.15, 2015
※5:戦前戦後を通じ、各大学の弁論部から多くの政治家が輩出された。東京大学の弁論部からは芦田均ら、早稲田大学の雄弁会からは竹下登、海部俊樹、小渕恵三、野田佳彦ら、明治大学の雄弁部からは三木武夫、大野伴睦らが出ている。
※6:『デモステネス弁論集』、『ソクラテスの弁明』など。
※7:僭主:古代ギリシアでは基本的に貴族政をとっていたが、政治的影響力を増大させてきた平民の支持を背景に貴族の合議制を抑えて独裁的権力を振るった政治指導者のこと。
※8:名和賢美、「ギリシア民主政思想研究の新視点:ヘーロドトスの『支配権を真ん中に置く』をもとに」、一橋論叢、128(2):174-192、2002