【光る君へ】ちょっと気になる清少納言とは、どういう性格の女性だったのだろうか
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大河ドラマ「光る君へ」では、清少納言がちょっと気になるところである。後世に残る『枕草子』を執筆した清少納言とは、いったいどういう女性だったのだろうか。
同時期のライバルだった紫式部は、『紫式部日記』の中で清少納言を酷評した。それは、「清少納言はしたり顔で、自慢げにふるまっている女性です。あたかも賢そうにして、漢文などを書いていますが、よく見ると酷いものです」と評価したうえで、その行く末は失敗するだろうと結んでいる。
実は『枕草子』の中には、清少納言自身の噂が書かれている。たとえば、清少納言の悪い噂(根も葉もない悪口)が広まったとき、藤原斉信は殿中において、「なんで、あんな女性をすばらしい人物と思って、褒め称えたのだろうか」ということがあったと記している。斉信は噂を真に受けたのだろうが、そういう噂が流れていたのは事実なのかもしれない。
一方で、源俊賢は清少納言を大絶賛した。藤原公任の書状の末尾に歌の末句が記されており、清少納言は即座にそれが漢詩文を踏まえたものだと理解し、見事な返歌を送った。
それを知った俊賢は、「天皇に申し上げて、清少納言を内侍に推薦しよう」と言ったというのである。清少納言の和漢の素養を伝える逸話として、非常に有名なものである。
後世に成った『十訓抄』は、『枕草子』の香炉峰の雪の段について、清少納言をすばらしい心を持ち、振る舞いもすばらしいと絶賛した。
また、『無名草子』は『枕草子』において、清少納言が仕えた中宮の定子の良いところを書き、中関白の没落のことを書かなかったのは、優れた配慮によるものだと褒め称えた。ただ、いずれも評論といったレベルの話である。
清少納言は高い学識を誇っていたので、それが当時の人々にとって、鼻についた可能性があるのかもしれない。逆に、高く評価する人もいた。それは、清少納言に接する人によって、大きく評価が変わったといえるのかもしれない。
近代以降、『枕草子』が清少納言の自画自賛の記事(特に自分の学識)に溢れていたことから、それは清少納言自身の性格に欠陥があるからだと酷評されたこともあった。
そのような評価を受けて、今も酷評する向きもあるが、実際の清少納言の性格がどうだったのかについては、会った人にしかわからないような気がしないでもない。