世界が注目するフィンランドの新たな才能。国を超えて愛されるデビュー作を振り返る
映画「コンパートメントNo.6」は、2021年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門でグランプリを獲得した1作。
1990年代のモスクワを背景に、この世界からなにか取り残されてしまったような憂鬱な気分の中にいるフィンランド人女性留学生の列車での一人旅が描かれる。
特別にドラマティックなことが起こるわけではない。
ただ、「袖振り合うも他生の縁」ではないが、ちょっとした他者への思いやりがテーマに深く結びつく物語は、世界情勢に緊張の走る、いまだからこそ大切な人間同士のやりとりと届けてくれる。
手掛けたのはフィンランドのユホ・クオスマネン監督。
世界的に脚光を浴びる彼に訊く。(全五回)
世界の人たちに関心を持ってもらえるとは予想もしていませんでした
まず、今回の「コンパートメントNo.6」の話に入る前に、前作「オリ・マキの人生で最も幸せな日」について話を訊いた。
「オリ・マキの人生で最も幸せな日」は、監督にとって長編デビュー作となったが、カンヌ国際映画祭ある視点部門でグランプリを受賞をはじめ、世界の映画祭をめぐり、大きな成功を収めた。この経験をどう受けとめているだろうか?
「正直、驚きました。
というのも、僕としては世界で成功するような映画を撮ったつもりもなければ、そもそも撮るつもりもなかった。
内容的に国内的な作品だと思っていたんです。変な話、フィンランドの人々にまずは届けばいいかな、ぐらいに考えていました。
なので、世界の人たちに関心を持ってもらえるとは予想もしていませんでしたし、考えも及びませんでした。
ですから、カンヌをはじめいろいろな映画祭に出品されていったこと、日本をはじめ多くの国で劇場公開されたことも、驚きのほかなくて、『なんで?』と現実があまりうまく受け止められなかったです。
ただ、やはり自分の作った映画が世界の人々のもとに届くというのはとてもうれしいことにほかなりません。
かなり自分の個人的な思い入れの封じ込められた作品が、世界のみなさんにみていただけて、思いを共有できたということは大きな喜びで、わたし自身の大きな自信になりました。
大きな自信になったことについてはもう少し詳しくお話したい。
『オリ・マキの人生で最も幸せな日』を作るまでにはひとつの伏線があって。
わたしはアールト大学のヘルシンキ映画学校を2014年に卒業しているのですが、その在学中に中編『Taulukauppiaat(ペインティング・セラーズ)』(2010年)を発表しました。
この作品が幸運なことに、次世代の国際的映画製作者を支援するために設立された財団によるカンヌ映画祭シネフォンダシオン部門で受賞することができた。
この賞の特典というのが、そのあと撮る長編のデビュー作を、カンヌで上映できるというものだったんです。
これはわたしにとって幸運であると同時に、いきなり世界最高峰と呼ばれる国際映画祭に出品するという大きなプレッシャーでもありました。
しかも、『Taulukauppiaat(ペインティング・セラーズ)』は作品世界がちょっとダークといいますか。
トーンがシリアスなものでした。この作品をこのようなトーンとダークな内容にしたことにいま後悔はしていません。
ただ、この作品を作ったことで、自分が本来作りたい映画というのはこういうダークなトーンの作品ではない、こういう路線ではないことが明確に分かったんです。
だから、『ペインティング・セラーズ』は高い評価を受けましたけど、それはある意味捨てて、次はガラッと違うスタイル、自分の好みの形にしようと決めました。
ただ、そうなると『ペインティング・セラーズ』を気に入ってくれた人の期待は裏切ってしまうかもしれない。
でも、デビュー作がカンヌで上映していただけるのであればなおさら、自分が心から好きと言える、自分に正直な映画を真摯に作ろうと心に決めました。
こうして完成したのが『オリ・マキの人生で最も幸せな日』でした。
この作品は、国民の期待を背負ったボクサーの一途な恋が描かれています。
でも、何を隠そうそこには、僕の映画作りへの想いが反映されている。
たとえばボクサーの姿を通して、他者からの期待に沿うためではなく、自分のやりたいこと好きなことを突き詰める、といったメッセージが。
ある意味、僕にとっては自身のアイデンティティーを模索していってできた作品で。
この作品を作るプロセスというのは、その時点までの自分自身を出し切るようなところがありました。
そういうわたし個人の想いの入った作品が、結果として世界中で上映されることになって、多くのみなさんに受け入れられた。
という経緯も相まって、わたしにとっては大きな自信になりました」
ノー・ストレスだったといったら嘘になる(笑)
デビュー作が世界的にヒットしてしまうと、2作目がひどくプレッシャーがかかる。それでなかなか2作目に踏み出せないっていう監督もいたりする。
ユホ・クオスマネン監督はどうだったのだろう?
「プレッシャーは、どちらかといえば、『ペインティング・セラーズ』の後の『オリ・マキの人生で最も幸せな日』のときの方が大変だった気がします。
というのも、『オリ・マキの人生で最も幸せな日』を作る前のわたしというのは、単なる学生ですから何者か、誰も知らないわけです。
それがデビュー作で、何者なのか、この作り手は何を語ろうとしているのか、そういうことが判断されるところがある。
しかも、それがカンヌ国際映画祭という世界的映画祭の場であるとなると、どうしても考えてしまうわけです。
(アンドレイ・)タルコフスキーや(ロベール・)ブレッソン、黒澤(明)といった巨匠たちと比べて、自分はそれにたる存在として立っていいものか、どうなのか、そういったことにとらわれてきて、自分を見失いそうになってしまう。
そういうところに追い打ちをかけるように、資金のトラブルが起きたり、制約が生じたりと、作品作りの問題が重なったりする。
僕の場合は、さきほど話したように最後は割り切って、自分の撮りたいものを撮ろうと踏み出せた。
自分という人間をすべてだそうと心に決めることができた。
最後は自分に正直になって取り組むことができたけれども、それでもノー・ストレスだったといったら嘘になる(笑)。
ただ、振り返ると、デビュー作の成功の後の、今回の『コンパートメントNo.6』に臨むときよりも、やはり『オリ・マキの人生で最も幸せな日』の時の方がプレッシャーは大きかったと思います。
今回の『コンパートメントNo.6』に関しては、わりと自然な形ではじめたれた感触があります」
(※第二回に続く)
『コンパートメントNo.6』
監督・脚本:ユホ・クオスマネン
出演:セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフほか
新宿シネマカリテほか全国順次公開中
場面写真はすべて(C) 2021 - Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY