井上尚弥や那須川天心らの拳を守る名カットマン、永末“ニック”貴之の職人技
ボクシング、MMA、キックボクシングなどの格闘技に欠かせないのがバンテージ(包帯)である。グローブの下で拳を保護する役目があり、米国では「カットマン」と呼ばれるバンテージを巻く専門職が存在するほどだ。国内ではまだ数少ないカットマンの一人として多くの格闘家を支えるのが、永末“ニック”貴之である。格闘技の現場で永末の仕事ぶりを目撃する筆者が紹介する。
独学で知識を身に付ける
永末がバンテージに興味を持ったきっかけは、米国のカットマン、ジェイコブ“スティッチ”デュランであった。デュランはボクシングの世界戦やUFCで活躍する超一流の職人で、来日した際にPRIDEのレフェリー・ジャッジに向けた講習会にやって来たのだ。当時、PRIDEでバンテージチェックに従事していた永末は、その技術を目の当たりにし、目を奪われたという。「海外ではカットマンだけで生活ができる」ことを知り、デュランのような職人を目指すことを決意。10代の頃に専門学校で学んだテーピング知識を基に、世界中から包帯を取り寄せて、知己の格闘家に頼んで巻いてを繰り返すなど、バンテージ技術を独学で身に付けた。どんな包帯が最も適するのか——研究のために海外からあらゆる素材の包帯を取り寄せ、その費用は約300万円にも及んだ。
安全と打ちやすさを重視
バンテージのいちばんの目的は選手の拳を守ることであることは言うまでもないが、永末はもうひとつ、打ちやすさも徹底的に考える。これまで日本においてバンテージの存在は重視されず、専門知識を持たないジムの会長や引退した選手たちが巻くことが多かったという。手の形状に合わせて、握りやすく、戦術に合わせた形で拳を包む。米国では常識になっているカットマンの技術を採り入れた永末を頼る選手は多く、その代表には井上尚弥や田中恒成、那須川天心らの名が挙げられる。「その日の拳の状態とか作戦に応じて巻き方も変えてくれるんです。皺一つないですよ」と那須川が語る通り、永末の巻くバンテージは美しい。2017年、米国カリフォルニア州のスタブハブセンターでは、井上の拳にバンテージを巻く永末の技術を見ようと現地のカットマンたちが集まってきたほどだ。
格闘家の体作りもケア
米国ではカットマンの仕事は選手にバンテージを巻くこと、ワセリンを使って選手の出血を止めることがセットだが、永末の場合はこれらに加えて、選手のフィジカルトレーニングも引き受ける。作戦を立て、戦術にあったメニューを作り、体作りからケアまでも含めたトータルサポートを受けられることは、選手にとっては大きな利点がある。そして、その成功例が、昨年、圧倒的な強さでRISE DEAD OR ALIVE 55キロ級トーナメントを制した志朗だ。他にもRISE QUEENの寺山日葵、先月のRIZINで活躍した白鳥大珠や井上直樹、ボクシング日本王者の小原佳太や吉野修一郎ら、活躍する選手は格闘技界に幅広く散らばっている。2019年のRISE WORLD SERIES決勝戦で志朗と那須川が対戦した際に、永末は両選手のボディケアからウォーミングアップ、フィジカルトレーニングなどの指導を担当、さらに入場の直前まで赤コーナーと青コーナーを往復して両陣営を掛け持ちした。単に拳の保護のみならず、永末のトータルケアがいかに格闘家に必要とされているかを示すエピソードである。
夢はラスベガスの大舞台
さて、永末がこの仕事を始めた15年前と比べて、日本でのカットマンの地位は格段に向上した。予算を割いてくれるジムや選手が増えたし、バンテージを巻く前の「試し巻き」という言葉がトレーナーたちの間で定着したことは、拳を守り、上手に使うという意識が格闘技業界の中で高まっていることを意味する。格闘技を裏で支える職人に筆者は今後の目標について尋ねてみた。「団体問わず、選手が出稽古に通えるジムを作りたいですし、カットマンとしては日本人で海外にも呼ばれるようになりたいです。まだそんな人は出てないですから。ボクシングの世界戦でラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナとか行けたら最高ですね」という答えが返ってきた。一晩で数百万ドルが動くと言われる華やかな夢舞台で、その技術が発揮される日が来るのは、さほど遠くないかもしれない。
※文中敬称略