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卓球女子の韓国代表監督は早田ひな、平野美宇を育てた元日本ジュニア監督だった!「思い出もあるが冷静に」

金明昱スポーツライター
女子ジュニア日本代表監督だった韓国の呉光憲(オ・グァンホン)監督(写真:ロイター/アフロ)

 パリ五輪の卓球女子シングルス3位決定戦で早田ひなと激闘を繰り広げた韓国のエース、シン・ユビン。ゲームカウント2-4で敗れて銅メダルを獲得とはならなかったが、韓国女子シングルスの4強入りは2004年アテネ五輪以来、20年ぶり。しかも平野美宇との準々決勝も大接戦での勝利だったことで、韓国のみならず、日本でも大きな注目を浴びた。

 実はこの早田と平野との対決を複雑な心境で見ていたのが、女子韓国代表の呉光憲(オ・グァンホン)監督だ。シン・ユビンが戦った平野と早田は、呉監督のかつての教え子。実は日本卓球界と深いつながりを持つ人物であることは、関係者以外にはほとんど知られていない。

世界ジュニア団体戦で中国を破った日本…監督は呉氏

 呉監督は1995年に初来日して淑徳大学女子卓球部のコーチに就任。5年目の2000年に1部に昇格させ、同年のインカレで初優勝すると、04年まで史上初のインカレ5連覇を達成した。13年までインカレ優勝は通算11回。無名だった淑徳大学を“常勝軍団”へと育て上げた実績が買われ、2009年から女子日本代表コーチ、2013年から4年間は女子ジュニア日本代表監督も兼任した。

 そこで出会った伊藤美誠、平野、早田などジュニア選手を日本代表選手にまで育て上げ、15年「世界ジュニア選手権」(南アフリカ)の女子団体では、このメンバーを引き連れて当時5連覇中だった中国を下して優勝を果たしている。

【参照】:平野美宇はなぜ強くなったのか―前・女子ジュニア日本代表監督の呉光憲が語る「平野世代」の強さの秘密

「日本の女子代表監督という道も想定していた」

 日本で大仕事をやってのけたあと、母国からの熱烈なオファーもあり17年から韓国実業団チームを指揮。17年当時、呉監督に韓国で会って話を聞いたが、「いずれは日本の女子代表監督という道も想定はしていました。ですが、韓国の実業団チームから熱烈なオファーがあり、(伊藤)美誠や(平野)美宇、(早田)ひなたちとはしっかりとお別れもできずにここに来たのです」と後ろ髪を引かれる思いで日本を離れたと言っていた。

2015年世界ジュニア団体戦で中国を倒して優勝した日本。呉監督の姿も
2015年世界ジュニア団体戦で中国を倒して優勝した日本。呉監督の姿も提供:ITTF/アフロ

 転機が訪れたのは22年1月、女子の韓国代表監督に就任した。韓国でも手腕は高く評価されていたのだが、選手としての実績がない指導者の監督就任は“異例”と言われた。それでも練習場でもベンチでも熱血指導は日本でも韓国でも変わらず、情熱家タイプ。豊富な指導実績が買われ、低迷を続ける韓国女子の立て直しを託されたわけだ。

 そこから韓国は日本のライバルとして立ちはだかり、メキメキと実力をつけてきた。パリ五輪でも韓国は日本との直接対決を意識し、対策も練ってきていたようで、特に呉監督が4年間も指導してきた平野と早田がどのようなプレーをするのかを熟知している。

「4年間で平野美宇の卓球も変わった」

 シン・ユビンが平野に勝った準々決勝のあと、呉監督は平野のプレーについて韓国メディアにこんなことを話している。

「平野美宇は4年間指導してきたので、長所と短所はすべて分かります。しかし、4年間で平野の卓球も変わりました。少しガンコなところがあって、変化を簡単に受け入れるタイプではなかったのですが、今はミドルからフォアドライブを打つレベルになっていた。以前はバックハンドだけで解決しようとしていた」

 また、試合の流れについても「3ゲーム目までこちらの作戦通りだったのですが、平野がウェアを着替えて流れを断ち切りました。それから(シン・)ユビンが少し劣勢になりました。ユビンには6~7ゲームの時に1ゲームだけを考えて、より積極的に勝負するように伝えました。積極的にいくべき。逃げてはだめだと。そこから要求した通りにユビンが勝負した」と振り返った。

ジュニア時代の伊藤、平野、早田の姿も。合宿最終日に呉監督はよく焼肉屋に連れていき、コミュニケーションをよく図っていたという(写真提供・呉光憲氏)
ジュニア時代の伊藤、平野、早田の姿も。合宿最終日に呉監督はよく焼肉屋に連れていき、コミュニケーションをよく図っていたという(写真提供・呉光憲氏)

「懐かしい記憶もあるが勝負は冷静」

 シン・ユビンが3位決定戦で敗れたあとも、呉監督は早田の目を見てがっちり握手し、笑顔で勝利を称えていた。教え子の成長を喜んでいるようにも見えたが、大会前は「昔の思い出は懐かしく記憶していることも多いが、勝負になれば冷静です」と試合では私的な感情は持ち込まないとも強調していた。次は雪辱を果たす気持ちでいるだろう。

 それにシン・ユビンはまだ20歳で、韓国女子卓球界を引っ張るエース。呉監督は「ユビンは強心臓の持ち主。計画性があるのでそれを褒めたい。課題を与えれば自ら練習し、具体的に作戦を考えてくる。パリ五輪は一回り大きく成長するきっかけになった。28年ロサンゼルス五輪では、もっと高い場所に挑戦できると思う」と評価していた。

 4年後のロサンゼルス五輪でも韓国は、日本のライバルとなるのは間違いない。少し想像できるのは試合会場を一歩外に出れば、互いに健闘を称え合っている姿。パリ五輪の卓球はまだ団体戦が残っているが、呉監督と平野、早田は久しぶりの出会いを懐かしみながら、記念撮影でもしているのかもしれない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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