スターリン時代を生き抜きぬいた賢人が、トランプ時代を生きる私たちに贈る金言
年末の忙しい中、映画なんて見てる場合かー!と思っている人も多いと思いますが、「忙しい」は「心を亡くす」と書くのをご存知ですかー。かくいう私も先月末から忙しさにとっちらかってメチャメチャ気持ちがダウンしてしまいました。そんなことにならないためにも!ということで、今回はそんな「心を亡くした」時に見て「ま、いっか」と思える、そして深い部分では哲学的でもある映画『皆さま、ごきげんよう』を、監督のインタビューも交えながらご紹介します。この作品のオタール・イオセリアーニ監督は私の大好きな監督なのです~!ということで、まずはこちらを!
●映画の中で積み重なった時代
映画はフランス革命の処刑場から始まります。
処刑台に運ばれてくる男と、処刑を宣言する男がいて、なぜか編み物をしながらそれを見物しにきた女たちがいます。ギロチンがスパーンと落ちて首がごろんと転がると、編み物の女のひとりがエプロンでそれを受け取ります。
文章で書くとすごーく不気味な場面みたいですが、転がった首はパイプをくわえっぱなし(処刑前にタバコを吸うな!と言われながら断固拒否)だし、どこかコミカルですらあります。イオセリアーニ監督の表現は寓話的で、生々しさが全然ない滑稽本みたいな感じ。ジャック・タチに似ているかもしれません。
この場面の後には、現代の戦争の描写が始まり、さらに本編ともいうべき現代のパリの町に移ってゆきます。こうして積み重なって描かれる時代について、監督はこんな風に答えています。
「スターリン時代、第二次世界大戦、共産主義の嘘、資本主義の嘘……私は様々な時代を経験してきました。すべての革命家は、世界を破壊して、よりよい別の世界を作ろうと謳い上げますが、結局のところ失敗し、それ以前の文化を破壊するだけです。イスラム教徒が破壊したアヤソフィア(イスタンブールの聖堂)の壁画は、支配者が変わるたびに白く塗りつぶされ新しい絵が描かれましたが、そうしたことの繰り返しで14もの層があると言います。火山の噴火による灰に包まれ紀元後2世紀の姿をとどめたポンペイも、発掘で見つかったのは今と似たような無秩序な世界です。いたるところがこんな調子なんです」
つまりこれは、愚かな人間が、それでもどうしたら幸せになれるかを描いた物語。ユニークなのは、演じる俳優がその時代ごとに違う役で登場すること。ギロチンで処刑された男(この物語の主人公)は、戦場では指揮官を、現代のパリでは貧しい労働者や、元貴族のアパートの管理人を演じています。
「迷わせようとしてのことではありません。単に主役の一人に過去を与えただけのこと。私たちには皆そうした様々な祖先がおり、彼らの中では栄光と汚辱、並外れたヒロイズムと汚らわしい卑劣が混じり合っているのです」
●軽やかで品のある「ノンシャラン」としたユーモア
イオセリアーニ監督の映画を形容するとき、よく「ノンシャラン」という言葉が使われます。これはフランス語で「無頓着でのんき。投げやりなさま」という意味なのですが、作品の世界観は、その軽やかな語感も含めて、本当にこの言葉がぴったり。特に「くだらなっ!」と思うユーモアが、それでいながら品を失わないのが、すごく魅力的です。
例えば、現代のパリの1シークエンス。浮浪者としてよぼよぼ歩いてきた主人公の男が、後ろから来たロードローラーに轢かれ、文字通りペラッペラのペッちゃんこになってしまいます。もう一人の主人公の男(革命のときは死刑を執行する側)がやってきて、ペッちゃんこになった男を拾い上げ自宅に持っていくのですが、奥さんはこともなげに「ドアの下の隙間から入れて」。えええ、奥さんもっと驚きなさいよって話で、思わず笑っちゃう場面なのですが――
「通常、ローラーは脆弱なものをつぶすもの。それはいわば権力であって、それが通った跡では、人間は平べったくなってしまうものです。現代はすべての人間がローラーの下敷きになっています――あなたも含めて。平べったくされてしまったことに、本人が気づいていないだけで」
数珠つなぎになった四コマ漫画のようなそうしたエピソードは、その「ノンシャラン」とした空気感でくらましながらも、現代社会を痛烈に皮肉ります。例えば、問答無用で生活の場を奪われる人々――道端でどうにか暮らす不法移民やホームレスだけでなく没落貴族も――を描き、社会に蔓延する「見たくないものは排除する」という社会の不寛容を描き出します。
でもそんな中に「あれ?これ前にもあった気が…」という要素――例えばギロチンから落ちた首を貰った女が、現代のパリでは頭蓋骨を偏愛していること――が盛り込まれているのがミソです。現代社会を批判するだけでなく、善悪の判断や価値基準は時代によって場所によって変わってしまうものだという、あらゆる時代の嘘を経験した監督ならではの歴史観がうかがえます。
●トランプ政権誕生が決定した、その日のインタビュー
取材日はアメリカ大統領選の当日で、さらにトランプ当選の一報が私のインタビュー中に入りました。経済主導で不寛容の象徴のような次期政権が誕生することになったアメリカへの失望を、監督はぜんぜん隠しません。
「クリントンも賢くはないけれど、鎖につないでおいたほうがいい男と比べたら、クリントンのほうがまだマシでした。アメリカは巨大な幼稚園であり、無責任な人の集まりです。その上、趣味が悪い。巨大な資金力で、良くない映画ばかり作っているハリウッドがそのいい例です。ハリウッドは映画をビジネスにしてしまいました。イスラム国をごらんなさい。彼らは釘一本すら作らずに、巨大国が作った武器を使っています。銃、火器、爆弾など、すべて買ったものなんです。これがビジネスの危険性です。相手が誰であれ、時に頭のおかしな敵にさえ、何でも売ってしまうんですから」
そういう世界に生きる人々を、どうしたら平和な時代に作られた美しい文化へ、再び向かせることができるのか。監督はそんなことを考えながら作品を作っていると言います。
映画の中にはこんな場面があります。主人公の男が歩いていた壁沿いに、不意に見知らぬ扉を見つけます。開いて中に入ってみるとそこは美しい庭園で、動物や鳥がのんびりと過ごしています。でも携帯電話で呼び出され扉の外に出た途端、壁にあったはずの扉そのものが消えています。楽園に通じる扉があるけれど、多くの人はそれに気づかなかったり、気づいてもやり過ごしてしまったりしているんですね。
「今という時代は、あらゆる方向において嘘がある、愚かしい時代です。たとえ人間的に生きようとしても、人々はそうした嘘に飲み込まれてしまう。そういう中で“未来を良いものにしたい”と望む人たちが、“そう思っているのは、自分だけではない”と実感できることは、よりよい世界のための第一歩です。そういう人たちが息苦しくならないよう、映画を通じて酸素を送ることが私の仕事です。人間はお互いを殺し合うこと以外のために存在しているのだと、伝え続けることが大事なのです」
(C)Pastorale Productions- Studio 99