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ついに配信開始の『イカゲーム2』を見る前に、新シーズンが100倍面白くなる、シーズン1解説!

渥美志保映画ライター
© 2024 Netflix, Inc.


いよいよ配信開始の『イカゲーム』シーズン2。今回はこの作品を楽しむために、前シーズンのおさらいと、シーズン2をより面白く見るためのポイントを紹介する。

物語の主人公は、無職のギャンブル好きな男ソン・ギフン。愛想を尽かした妻子には捨てられ、いまだに年老いた母親のへそくりを漁りながら暮らしている中年男だ。サラ金に多額の借金返済を荒っぽく迫られたある日、ギフンは地下鉄のホームで見知らぬ男から「ゲームをしないか」と持ちかけられる。パリッとしたビジネスマン風のその男が取り出したのは「メンコ」で、負ければ10万ウォン、支払えない場合は「ビンタ1発」という勝負だ。しこたま殴られながらもそこそこ稼いでホクホクのギフンに、男は言う。「こういうのを数日間やればもっと稼げる」。かくてギフンと同じ借金まみれの456人が謎の施設に集められ、6日間で6種目、命がけのゲームをやることになる。

自分が生き残るために、陥れる誰かを選ぶ

どこか優雅なクラシックやジャズをBGMに、パステルカラーの建物内で行われるどかな「昔遊び」ーー「負けたら即死亡」の「だるまさんが転んだ」、超難関の「雨傘型」を選んだギフンの必死のアイディアに思わず笑う「タルゴナ型抜き」、戦力外の老人の戦略が奇跡の勝利を導く「綱引き」、同志のつもりでペアを組んだ相手と戦うハメになった「ビー玉遊び」、文字通り前を行く人間の屍を越えてゆく「ガラス橋」、そして地面に描いたイカ型陣地で攻守が互いの殲滅を競う「イカゲーム」ーーは、だが敗者は次々と無惨に無情に殺されてゆく。

冒頭はそのシュールな世界観に戦慄しつつ見るのだが、3つ目のゲーム「綱引き」の団体戦からその人間ドラマ的側面は強まる。勝ち抜くために協力した参加者たちは、その「感情のやり取り」によって互いを「死のうが生きようがどうでもいい他人」とは思えない。「誰かの死を容認しなければ、自分が生き残れないこと」「自分が生き残るために、陥れる誰かを選ぶこと」により濃厚な感情が芽生え、隠していた人間性も浮き彫りになってゆく。

特にエピソード(以下Ep)6に描かれる「ビー玉遊び」は痛切だ。「2人組を作れ」という指示を受けた人々は、「綱引き」同様に「この人と一緒なら勝てる」という信頼のもとペアを組むのだが、実際には二人はゲームの対戦相手で、負けた方は脱落、つまり死ぬことになる。人の良くて踏ん切りの悪いギフンは「勝てそうな人」と組むことができず、ずっと気遣っていた認知症気味の老人とペアを組む。結果その勝利は、ギフンにとって自分の偽善を思い知る最も苦いものとなる(その裏にあった真実も、シーズン1を見た人は知っているだろう)。

どのエピソードであれ、展開するゲームにはハラハラしっぱなしだし、そこで暴かれる人間の本性も衝撃的だ。だが中でもEp5は、このドラマが描く世界観をより明確にする最重要エピソードと言っていい。

そのうちのひとつがEp4で明かされた、兵士たちによる脱落した参加者の臓器売買だ。参加者の一人で元医師の「111」はこの摘出手術を請け負う見返りに、兵士から次のゲームの情報を得ているのだが、この時はその情報が得られず、切羽詰まった「111」と兵士たちの間でもみ合いが起こる。そこに自体収拾で現れた運営トップの「フロントマン」は、「このゲームにある”最も大事な原則”を奪ったことが許せない」と、「111」より先に兵士を殺す。その最も大事なものとは「平等」だ。ゲームは「参加者全員が同じ条件のもとで競う、不平等と差別に苦しんできた人たちに与えられた、公平に競える最後のチャンス」であり、つまり「機会の平等」である。

勝者に都合良く作られたルールを、もし破ったら…

だが、「最も簡単な三角」と「最も難しい雨傘」で競わせる「タルゴナ型抜き」や、男ばかりの10人vs老人と女性を含む10人の「綱引き」、ルールも知らずやったこともない外国人にとっての「ビー玉遊び」は、はたして本当に平等と言えるのだろうか。その上、最初にサインさせられた契約書にあるように、参加者はそうしたルールを破っても、ゲームに参加するのをやめても「脱落(死ぬ)」である。ゲームの中断には多数決で過半数が必要で、少数派にはどうすることもできない。

このエピソードと共振するのがギフンの過去である。かつて自動車会社の工場で勤めていたギフンは会社の都合で不当に解雇され、その理不尽にストライキで対抗するも、警察の介入によって見せしめのように暴力的に排除されている。それは「ルールを破った」として、ep6の冒頭でパステルカラーの空間に吊るされた連中と重なる。

失踪した兄を捜して島に潜入した刑事イ・ジュノが見たものは、こうしたルールを巡る理不尽をより際立たせる。島に潜入したジュノは兵士のユニフォームを奪って成り代わっている。臓器売買の現場で受け渡しの役目をすることになった彼は、VIPのための非常用通路を使って外に出るのだが、そこにダイナマイトが仕掛けてあるのを目にする。つまるところ「この世界」で行われている「ゲームのルール」は、彼らVIPたちに都合よく決められており、彼らは「いざとなれば(自分たちの脱出後に)施設ごと吹っ飛ばせばいい」と考えているのだ。ちなみにVIPたちが何をしにここに来るかと言えば、ただ生きのびるのに必死な「人間スレギ(=人間のクズ)」の姿を高みから見物するためである。ギフンが競馬に明け暮れているドラマ冒頭は思い出せば皮肉だが、フロントマンが言うように、彼らにとって参加者たちは人間ではなく「競馬の馬と同じ」なのである。

より過酷な条件になったシーズン2が描くものは

ギフンはその言葉に奮起し、「俺達は馬じゃない。主催者を突き止め、ゲームを終わらせる」とシーズン2は始まる。

ゲームに参加する人たちが最初にサインを求められる同意書には、新たに賞金の分配に関する4つ目の条項が加わった。前回は「ゲームを中断したら、積み立てられた賞金(1人あたり1億ウォン)は死んだ人の遺族に届けられる」というものだったが、今回は「ゲームを中断した場合、積み立てた賞金は残った人間が等分する」。つまり参加者が死ねば死ぬほど、一人あたりのパイの分配は増えてゆく。前シーズン以上に人間の欲望を刺激するこの条項によって、参加者は「ゲームを続けたい派」と「ゲームをやめたい派」に分断される。まるっきり今の世の中そのままである。

再び参加したギフンは、自身の経験から学んだ「ゲームの中で死なない方法」を必死に指南するが、それでは何も変えられないことに気づくのだ。そもそも設定されたルールが理不尽なのに、それを「そういうルールだから」と疑問なく受け入れ、ゲームに参加してしまうことが間違っているのではないか。ファンタジースリラーの形を取っている『イカゲーム』だが、描いているのはそこにある現実にほかならないのだ。

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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