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洞穴の「眼を失ったサカナ」は糖尿病を治せるか

石田雅彦科学ジャーナリスト
メキシコの洞穴(提供: Herbert Mayrl/GAM/ロイター/アフロ)

 鍾乳洞など日の差さないまっ暗な洞穴に生息する生物を洞穴生物というが、その多くは体色が薄かったり視覚を失うなどする。こうした環境により、洞穴生物は地上の生物とは違った生理機能を持つことが知られているが、洞穴生物の一種のサカナから糖尿病予防や治療につながる遺伝的な変化が発見された。

遺伝的「コンデンサ」とは

 中米メキシコから米国テキサス州にかけての淡水に生息するメキシカンテトラ(Astyanax mexicanus)は体長12センチほどの小魚で、観賞魚のネオンテトラなどの仲間(カラシン科)だ。このカルスト地形のこの地域には約30の鍾乳洞があり、メキシカンテトラには地上に生息するタイプと鍾乳洞に生息するタイプ、その中間のタイプがいる。

 このメキシカンテトラの洞穴タイプは目を失っていることが知られ、観賞魚としても人気だ。パチョンという洞穴のメキシカンテトラは完全に目を失っているが、ミコスという洞穴のものは視力のみ失い、地上のものは目も視力もある。

 洞穴のタイプはアルビノのように体色が薄くなっているが、同じ種なので交配して子孫を残すことが可能だ。つまり、卵から孵化したばかりのときには目も視力も持っているが、環境によってその後に視覚の機能を失うなどする。

 この環境の違いに対し、遺伝子がどう変化しているかという研究で知られているのがHsp90というタンパク質だ。Hspは「heat shock protein(ヒートショックプロテイン)」の略で、90はタンパク質の分子量(kDa)となる。

 熱の変化などのストレスが加えられた細胞で多く生まれてくるタンパク質とされ、1998年にショウジョウバエの研究からHsp90が遺伝的な変異の「コンデンサ(capacitor)」の役割をしているのではないかという論文(※1)が出ている。電子回路などで使われるコンデンサは電気を蓄えたり放出したりする部品だが、生物が突然変異に対して持っている抵抗性から生じた変異をHsp90が電気のように溜め込み、バッファ機能として調整するのではないか、というわけだ。

 このタンパク質が分子スイッチのようにオンオフし、ショウジョウバエの場合では複眼や吻、翅などが失われたり形が変わったりした。メキシカンテトラでも視覚機能の喪失に関し、このHsp90が関係していることがわかっている(※2)。

糖尿病の予防や治療に役立つか

 今回、英国の科学雑誌『nature』に、メキシカンテトラの地上タイプと目を失った洞穴タイプの生理機能の違いを調べたところ、糖尿病の予防や治療につながるかもしれない知見が得られたという論文(※3)が出た。米国のハーバード大学医学部などの研究者によるもので、メキシカンテトラは飢餓に抵抗するためにインスリン抵抗性やインスリンの受容体遺伝子を変異させているのではないかという。

 盲目の洞穴タイプのメキシカンテトラは、地上タイプに比べて脂肪を蓄積して飢餓環境に適応している。常に食べ物があるとは限らないため、飢餓状態が長期間続いても体重の減り方も少ない。

 こうした機能に影響を与えているのは、サーカディアン・リズムや代謝速度、体脂肪調節などだが、その遺伝子やタンパク質の役割についてわかっていなかった。研究者が洞穴タイプと地上タイプの血糖値を比べたところ、食べ物を食べた後、洞穴タイプのほうが血糖値が高い傾向にあることが明らかになったという。

 血糖値の長期的な変化についても調べ、地上タイプの血糖値は食事後わずかに低下したが、洞穴タイプの血糖値は有意に上昇し、21日後の地上タイプの血糖値の低下がわずかだったのに対し、洞穴タイプの血糖値は顕著に低下した。洞穴タイプで血糖値を恒常的に調節している機能に異常がみられ、これが洞穴タイプの特徴という。

 研究者は、地上タイプと洞穴タイプとでインスリン受容体遺伝子が違っていることを示しているが、タンパク質の糖化反応で作られるAGEs(Advanced Glycation End Products、終末糖化産物)の蓄積の違いもわかった。この遺伝子の違いを持つ地上タイプと中間タイプのメキシカンテトラは体重を増加させ、洞穴タイプはインスリンの抵抗性が上がった。

 インスリン抵抗性が上がると、膵臓からインスリンが分泌されても細胞などが血液中のブドウ糖を取り込みにくくなり、その結果、血糖値が下がらずに糖尿病になるなどする。洞穴タイプのメキシカンテトラはインスリンの抵抗性が上がったのにもかかわらず、地上タイプと同じ寿命(もしくはそれ以上)であり、インスリンの分泌異常の結果、生じるであろうAGEsの血中蓄積量も少なかった。

 研究者は、洞穴タイプのメキシカンテトラが血糖値のコントロールを失った代わりに何か別の機能を獲得したのではないかと考えているが、関連遺伝子についての詳しい研究はこれからだという。今回の論文ではHsp90タンパク質については言及していないが、もしかすると同じような遺伝的コンデンサが関与しているのかもしれない。

※1:Suzanne L. Rutherford, et al., "Hsp90 as a capacitor for morphological evolution." nature, Vol.396, 336-342, 1998

※2-1:Elizabeth Pennisi, "Cavefish Study Supports Controversial Evolutionary Mechanism." Science, Vol.342(6164), 1304, 2013

※2-2:Elizabeth Pennisi, "Blind cave fish may provide insights into human health." Science, Vol.352(6293), 1502-1503, 2016

※3:Misty R. Riddle, et al., "Insulin resistance in cavefish as an adaptation to a nutrient-limited environment." nature, Vol.555, 647-651, 2018

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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