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あなたがランチを決めるとき「脳内」はどうなっているか

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:アフロ)

 糖尿病「予備軍」などと健診で指摘されても暴飲暴食をなかなか止められない、という人は多い。生活習慣病の予防には、年齢や体質、運動量などに見合ったバランスのいい食事を摂り、適正な体重を維持することが大事。とはわかりつつ、個々人がそれぞれ自分の食事量や栄養価などを的確に把握するのは難しい。

あなたはなぜ焼きサンマ定食を選ぶのか

 本来、生物は自分が欲する以上の食べ物を食べたりせず、空腹になれば見つかるかどうかわからないがエサを探しに出かけた。現代の文明社会における我々ヒトは、欲する以上の食べ物に関する刺激を常に受け、食べたいときには十分すぎる食べ物が簡単に手に入る環境に暮らしている。

 逆に女性の「痩せたい願望」などのように、心理的、文化的な要因により、自分の食事量を過小に、あるいは過大に評価することもありがちだ。さらに、メタボなど社会的に「望まれている体型」に対するバイアスが、適正な食事量や栄養価に影響を与えることもあるだろう。

 では、目の前に食べ物があったとき、我々はどうやってその食べ物を脳内で評価しているのだろうか。例えばランチのとき、あなたは焼きサンマ定食にしようか、カツカレーにしようか、迷っているとしよう。焼きサンマ定食は少し高いが青魚なりの栄養がありそうな一方、カツカレーは値段が手頃で午後の仕事で力が出そうだ。あなたの脳の中では、そのときどんなことが起きているのだろう。

 そんな疑問を解くヒントになりそうな論文が、英国の科学雑誌『nature』の「nature neuroscience」に出た(※1)。米国カリフォルニア工科大学の鈴木真介(現・東北大学)らによる研究で、脳の眼窩前頭皮質(Orbitofrontal cortex、OFC)という領域の反応をfMRI(血流などを視覚化する機能的なMRI)を使って調べた。

眼窩前頭皮質が選択肢から価値を評価する

 この眼窩前頭皮質は、前頭葉の下部、眼窩の上にある。この部分には内側と外側があり、それぞれ脳内の各部位とつながっている(※2)。まだ謎の多い脳の領域だが、感覚を統合したり意志決定や報酬系に関係し、食欲とほかの報酬系を快楽と結びつける機能を持つのではないか(※3)などの研究が少しずつ進んでいる。

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眼窩前頭皮質の内側と外側。実験では被験者の眼窩前頭皮質をfMRIで調べた。眼窩、つまり目の上にあるため、MRIで調べるのは難しい部位という。Via:Shinsuke Suzuki, et al., "Elucidating the underlying components of food valuation in the human orbitofrontal cortex." nature neuroscience, 2017

 これまでの研究によれば、我々が複数の選択肢から一つを選ばなければならないとき、価値を評価するなど眼窩前頭皮質には多くの機能がある、と考えられてきた。食べ物や金銭的報酬、消費財などの評価に関係している、という研究もある(※4)。だが、これまでこうした価値の評価がどうやって脳の中に組み込まれ、選択肢の評価項目(属性)が眼窩前頭皮質にどうやって統合されているかわかっていなかった。

 そこで鈴木らは、我々が日々、何を食べようか決めている食事や食べ物に注目し、被験者を集めて実験してみた。実験では、被験者(ロサンゼルス近郊在住の米国人23人)に対し、56種類の食べ物(果物、甘いお菓子、肉料理、ヨーグルト、サラダ、ポテトチップスなど)の写真を見せ、その食べ物にいくらお金(0ドル、1ドル、2ドル、3ドル)を払うかを決めてもらった。

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実験の図。「Red velvet cake」は砂糖やバター、クリームチーズなどによって作られる米国南部のケーキ。このケーキにいくら支払うか被験者に決めてもらい、その後にそのケーキについての栄養価やカロリーなどを評価してもらう。実験では、砂糖は炭水化物に含む、と考える被験者が多かったようだ。Via:Shinsuke Suzuki, et al., "Elucidating the underlying components of food valuation in the human orbitofrontal cortex." nature neuroscience, 2017

 その後、被験者は、それぞれの食べ物に含まれると思われる脂質、塩分、炭水化物、砂糖、タンパク質、ビタミンという6つの栄養素の推定量と食べ物の推定カロリー量を回答する。そして、その間の脳内の眼窩前頭皮質の様子をfMRIを使って調べてみた。

 つまり、支払う金額によって被験者の主観的な価値を調べ、その後に食べ物の属性を主観的な推測で回答してもらった、というわけだ。高い金額を払ってもいい、という食べ物は、その被験者にとって価値がある。もちろん、金額を決める際、あとで栄養価やカロリーについて質問されることは被験者に知らされていない。

 この実験の結果、我々がある食べ物に対して下す価値評価(値段)は、自分がその食べ物にどんな栄養価やカロリー(属性)が含まれているかという主観的な「信念」とも言うべき基準によって決められることがわかった、と言う。つまり、ある食べ物の栄養素やカロリーは個人的な信念として脳の中に表現され、我々はその脳内の信念をもとにして食べ物の価値を評価している、ということになる。

 ランチのサンマカツカレー問題で言えば、あなたが焼きサンマ定食に対して持っている「青魚にはDHAなどが含まれる」といった栄養素などの主観的情報と「魚は身体にいいという信念」が、その日のランチにどちらを食べるか決めさせている、ということになる。カツカレーを食べればパワーが出るだろうが、主観的情報がネガティブでカツカレーへの「愛」が折れそうなら、その選択は却下される。

 眼窩前頭皮質の外側と内側という部位でいえば、脂質、炭水化物、タンパク質、ビタミンという4つの栄養素の推定量について個人的信念の表現は外側だけあった。さらに、それぞれの成分は眼窩前頭皮質外側のそれぞれ異なる活動パターンによって表現され、この活動パターンは被験者がまず食べ物を見てから支払う金額を決める際に特異的に観測された、と言う。

 また、眼窩前頭皮質内側についていえば、脂質、炭水化物、タンパク質、ビタミンの主観的な栄養素のそれぞれを表現した外側亜領域の接続が、価値を評価する際に強化された。鈴木らは、眼窩前頭皮質内側は外側からの信号を統合し、食べ物についての主観的な価値を計算しているのではないか、と考えている。

食べ物の価値は脳内でどう計算されているか

 この論文について、論文研究者にメールで質問し、回答していただいた。

──被験者はどのような人たちで、栄養価やカロリーなどを判断できる人たちだったか。

鈴木「(米国カリフォルニア州)ロサンゼルス近郊の普通の人たちを地域誌やウェブを通じて募集しました。知識レベルで選んだわけではなかったのですが、(栄養価やカロリーについては)それなりに正しく評価できています」

──我々は食べ物の栄養価を個人的な信念、尺度を用いて評価している、ということだが、これらの評価尺度はどのようにして個々人の価値として獲得されたと考えるか。

鈴木「今回の研究で証明できたことではなく私の個人的な推測ですが、適切な栄養バランスの食事をすることは生存に不可欠なので、進化の過程で獲得されたのではないかと考えています。もちろん教育の影響などもあるでしょう」

──眼窩前頭皮質(OFC)には、外側と内側があるということだが、それぞれの役割として、外側に個人的信念が、内側に客観的な評価がある、という関係なのか。

鈴木「それについては、少なくとも今回の研究で証明されてはいません。今回の研究で証明したのは、食品の栄養価の情報が外側で保持されているということです。一方、内側は食品の(栄養価の情報を統合した)価値の情報の計算に主に関わっていると考えています」

──今回の成果で、生活習慣病やメタボリック症候群、薬物中毒、嗜癖行動などの治療に役立てることが可能か。

鈴木「大きな方向性としては、これらの問題の解決につながれば嬉しいですが、今回の研究が『直接』役に立つとは思っていません。今回の研究はあくまで『食べ物の価値が脳の中でどう計算されているのか?』の一端を明らかにした基礎研究だと思っています」

──脳内で価値を評価する機能は、行動経済学における時間選好率やリスク回避、嗜癖行動、渇望(Craving)などと関係はあるか。

鈴木「関係ある、つまり同じような『価値の処理』が関係していると思っています。ただし、この点も今回の研究で証明できたことではなく、私の個人的な推測です」

 もちろん、ある食べ物に対する全体的な評価は、そのときの状況や体調などによって変わるだろうし、一緒に食べる相手の選択に引っ張られることもありそうだ。また、今回の研究の被験者がロサンゼルスの米国人ということで、日本人とは異なった栄養評価があるのでは、という疑問も否定できない。

 ただ、その人がこれまで何をどれだけ経験し、その行為に関する知識がどれだけあるかによる価値評価について、またそれらを文化的な差異をもとに定量化することなどにより、今回の研究は広く普遍性を持つのではないか、と鈴木らは考えている。食べ物に対する正しい評価はメタボリック症候群や摂食障害などの予防に重要だが、そうしたときの脳内の神経機能や心理的なメカニズムを理解する上で今回の研究は重要な成果と言えるだろう。

※1:Shinsuke Suzuki, Logan Cross, John P. O'Doherty, "Elucidating the underlying components of food valuation in the human orbitofrontal cortex." nature neuroscience, doi:10.1038/s41593-017-0008-x, 2017

※2:内側は、記憶をつかさどる海馬や空間認知に関係する嗅内皮質、問題解決などに関係する前帯状皮質、情動や記憶、学習に関係する前視床核などの脳内の各部と強くつながっている。外側は、情動や記憶、意志決定などに関係する扁桃体、パターン運動や報酬、認知機能などに関係する縫線核、相貌認識や心理的推理などに関係する側頭極、外界環境などを把握する大脳皮質の各部位、視床の内側の核などに強く結びついている。

※3:Morten L. Kringelbach, "The Human Orbitofrontal Cortex-Linking Reward to Hednic Experience." nature neuroscience, Vol.6, 2005

※4:Suzuki, S. et al., "Learning to simulate others’ decisions." Neuron, Vol.74, 1125-1137, 2012

※4:Suzuki, S., Adachi, R., Dunne, S., Bossaerts, P. & O’Doherty, J. P., "Neural mechanisms underlying human consensus decision-making." Neuron, Vol.86, 591-602, 2015

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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