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八重樫東のV2戦に見た素晴らしい変貌

本郷陽一『RONSPO』編集長
ソーサに左を叩き込む八重樫東=写真・山口裕朗

「痛てて!」

控え室に悲鳴が響いた。

勝利者インタビューを終えたWBC世界フライ級王者、八重樫東のシューズを松本好二トレーナーが脱がそうとした瞬間だ。

「あれだけ動いたから足の裏の皮がはがれたんですよ」

大橋会長が、靴下を脱がせてみたら、なんでもなくて、周囲は爆笑に包まれたが、それほど八重樫は、12ラウンドを通じて“足”を使った。

「ソーサの間合いを避け、相手のパンチの入り口には絶対に入らないように心がける。相手の打ち気をそらした左右の動き。何パターンかを想定しましたが、ワンツースリーまでのトリプルなら当たると」

参謀、松本トレーナーが作戦を明らかにした。

実は、来日以来、帝拳ジムでソーサはスパーリングをしていたが、帝拳ジムの協力を得て、その内容を伝え聞いていた。

「動かれるとよくないと言うんです。年齢的なものもあるのかもしれない」

その情報が役に立った。

右かと思えば、ブレーキを踏んで左へ。左かと思えば前へ。とにかくフットワークを使い動く。

そして打つ時は、必ずワンツースリーまでパンチをまとめる。

「みっつ、みっつ」

セコンドはうるさいほどそう叫んでいた。

打たれたソーサが慌てると、もうそこにはいない。また足を使ってワンツースリー。激闘王と呼ばれ、打ち合いが代名詞ともいえる八重樫がアウトボクサーに見事に変貌を遂げ、かつて日本人ボクサーを5人も葬っている最強の挑戦者、エドガル・ソーサを手玉に取った。

WBCルールでは4ラウンドごとに採点が公開されるが、4ラウンドが終わって2人がフルマーク。主導権は八重樫の手の中にあった。

「動いて」

「止まるな」

セコンドの大きな声にこたえるかのようにラウンドが進んでも八重樫の足は止まらない。

「最後は、うだうだになって止まってしまい、しょうがなく打ち合うのがこれまでのパターンだったのですが……笑。最後まで動けた、こういうボクシングをしたのは初めてかもしれません。新しいスタイルをひとつ作れたと思います。勝つことに徹しました。倒せなかったのはファンの方には申し訳ないと思っています。最後は倒しに行ったのですが、駄目でした」

大橋会長と松本トレーナーは、最終ラウンドに「倒せ!」と打ち合いを指示した。

本来、目をカットしやすい体質の八重樫だから、ポイントで大量リードをしている時点での打ち合いは大きなリスクである。ボクシングは何があるのかわからないのだ。しかし、プロフェッショナルとして八重樫も、セコンドと同じ気持ちだった。

「倒してやる!」

足を止めて打ち合いを演じた。

その気持ちは場内に伝わった。

6ポイント差が2人、4ポイント差が一人の3-0の大差の判定勝利。八重樫は、KO決着とならなかったことを悔いていたが、私は、随所で当て勘の良さなど、元世界王者の片鱗と怖さを見せていたソーサを相手にパーフェクトと表現していいほど、丁寧なポイントアウトを徹底した八重樫のボクシングは素晴らしい作品に思えた。相手が相手なら、ここにプラスアルファのKO勝利を臨まねばならなかったかもしれないが、敵は、老練なランキング1位のメキシカンなのだ。相手の“入り口”に立たなかったボクシングは絶賛に値するだろう。

「結果的に倒せなかったのはプロとしては失格かもしれないが、ボクシングをよく知る玄人のファンの方には、最高のテクニックを見てもらえたと思う。名チャンピオンがついてこれなかったのですから」

大橋会長も、そう教え子を讃えた。

王者の控え室には、フィジカルトレーナーを務めた土居進氏の顔があった。

12ラウンドを動き続けた足は、実は、準備としては不完全であった。八重樫が、地元岩手のマラソン大会で完走してしまった影響で、膝と腰を痛め、大切な時期にしばらく走り込みができなかったのである、1週間ほど休んだ後にようやくランニングを再開したが、そこでまた故障を再発させ、結局、ボートを漕ぐトレーニング機器を使っての持久力トレーニングをランニンフの代わりにせざるを得なかった。

「今回の試合展開を想定して全身持久力をアップすることをテーマにしてきました。ボート漕ぎマシンをかなりやりましたが、本当は走り込んで作るべきだったんですけどね。それにしては、よく動けたと思います」

“鬼”と呼ばれる土居トレーナーは、そう言って笑っていた。

さて、指名試合をクリアしたことで、八重樫の次が面白くなってきた。

大橋会長が抱く夢は、ボブ・アラムがプロモートとしているロンドン、北京のライトフライ級の金メダリストからプロ転向して3戦したゾウ・シミン(中国)とのビッグマッチである。幸いにしてボブ・アラムは、村田諒太とプロモート契約しているため、交渉のパイプはつながっている。「ゾウ・シミンが挑戦してくれないだろうか」とは大橋会長。ゾウ・シミンは、ライトフライ級で試合をしているが、初の世界挑戦がフライ級になっても不思議ではない。そうなればマカオやシンガポールのカジノホテルという大きな舞台が用意されるだろう。またフライ級には、前WBA世界ライトフライ級王者のローマン・ゴンザレスや、WBA、WBOの統一王者のファン・エストラーデ、ブライアン・ビロリア、ルイス・コンセプションら強豪が揃っている。

「そういう強い相手と戦えるチャンスのある立場。できるだけチャレンジしていきたい」

ベルトを腰に巻いたまま2014年を迎えることになった八重樫は細い目を輝かせていた。

『RONSPO』編集長

サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース&編集及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。

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