ひと晩で戻ったびんずるさん 御本尊は家康らを巡り40年の旅|善光寺
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長野市の善光寺で、釈迦の弟子である、びんずる尊者像が盗まれましたが、ひと晩後、約50キロ離れた松本市で、無事発見されました。
地元では、びんずるさんと親しまれ、体の悪い部分と同じ所をなでると治ると伝えられ、多くの人が参拝に訪ねています。また、正月の恒例行事では、体をなでたしゃもじでごはんを食べると、1年間、病気やけががないとされています。
ブラタモリ善光寺編(NHK)によると、善光寺近くの水内大社の境内には土塁(お城の跡)が見られます。これは、「どうする家康」にも登場する武田信玄のライバル、上杉謙信(けんしん)が陣取った場所です。
対する武田信玄は、さほど遠くない山城に陣を敷きました。その後上杉謙信は、善光寺の威光を頼って、分身仏を上越に持ち帰ります。
一方の武田信玄は、何とご本尊を、甲斐の国に持ち帰ります! こうして建立されたのが、甲斐善光寺です。
その後の戦乱のなか、御本尊は、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の三英傑に加護され、各地を渡り歩きます。
武田信玄のあと、長男の武田信忠、織田信長(岐阜城、清州城)、次男の織田信雄、徳川家康(浜松城)、豊臣秀吉(京都)を巡り、最後に長野に戻りました(1555年~1598年)。
こうして約40年の旅のあと、善光寺の御本尊は、長野に戻ります。一方のびんずる尊者像(びんずるさん)は、何とかひと晩で、善光寺の管理下に戻りましたので、短い旅で済んだのは不幸中の幸いでした。像に傷などがなければと思います。
びんずる尊者像がなくなったことが発見、通報されたのは、4月5日の午前8時頃。松本市での発見は同日午前11時ごろ。今後、長野市の善光寺へ移送されると考えられます。
善光寺を巡る、武将たちの戦いは、ブラタモリ善光寺編で紹介されています。
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