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日本シリーズを巡る神宮球場の物語

阿佐智ベースボールジャーナリスト

 日本プロ野球の頂上決戦、日本シリーズが明治神宮野球場(神宮球場)で開幕した。2年連続でヤクルト対オリックスの対戦となった今シリーズは、ディフェンディング・チャンピオンのヤクルトの1勝1分けで始まった。

 神宮球場で日本シリーズが開かれるのは今回で9回目。去年のシリーズでは、ヤクルトのホームゲーム3試合は東京ドームで行われているので、神宮球場でのシリーズは2015年以来のこととなる。

「ヤクルト以前」の神宮での日本シリーズ

 実は神宮球場は、日本シリーズが最初に行われた場所である。

 セ・リーグとパ・リーグが分立した1950年に早速「日本ワールドシリーズ」の名で両リーグによる頂上決戦が始まった。記念すべき第1回大会は、京都を本拠とする松竹ロビンスと東京の後楽園球場を本拠とする毎日オリオンズの対戦となったが、この時期はまだフランチャイズ制が確立されていなかったこともあり、東京、名古屋、関西の各球場を転戦してシリーズは実施された。その第1戦の会場となったのが神宮球場だった。記念すべき第1戦は、延長12回の末、ビジター扱い(先攻)の毎日が3対2の辛勝。観客は2万3081人と発表されている。

 1952年にフランチャイズ制が確立し、各球団の本拠地が確定したが、「大学野球の聖地」、神宮はどの球団の本拠地にもなることがなく、日本シリーズが開かれることはしばらくなかった。

 2度目の開催は1962年のことである。2年後の東京オリンピックの開催を前にして、東映フライヤーズが本拠、駒澤球場を東京都に返還せねばならなくなると、その代わりとして学生野球優先を条件に神宮球場の使用を許可され、ここを本拠地とするようになった。

 東映は「神宮進出」初年度にパ・リーグを制覇。シリーズでも阪神を破って球団初の日本一に輝くのだが、このシリーズではホームゲーム3試合中1試合は「学生優先」の原則の下、後楽園球場で開催。神宮では2試合を実施している。

 東京オリンピックが行われた1964年には、ヤクルトの前身である国鉄スワローズが後楽園から神宮へ進出。これと入れ替わるかたちで東映は後楽園を本拠とするようになった。

スワローズに立ちはだかった学生野球の壁

 新たな神宮球場の「主」となった国鉄だが、ながらくセ・リーグのお荷物球団と呼ばれ、優勝とはまったく縁がなかったこともあり、その後しばらく神宮に日本シリーズがやってくることはなかった。

 スワローズは国鉄からサンケイ、そしてヤクルトと親会社が代わり、ニックネームも一時、「アトムズ」となったが、1974年に「ヤクルト・スワローズ」となった。そしてその4年後の1978年、広岡達朗監督の下、ヤクルト球団はついに初優勝を果たす。しかし、この時は、「学生優先」の壁が立ちはだかり、本拠・神宮でのシリーズが実現することはなく、ヤクルトは同じ都内の後楽園球場でホームゲームを開催した。

 本拠地で日本シリーズを行えないという問題を抱えたヤクルトだったが、その後は再び低迷期に入ったため、この問題が表面化することはしばらくなかった。

黄金時代の到来と神宮でのシリーズ復活

 ヤクルトが長いトンネルを抜け出すのは、1990年に野村克也が監督に就任してからのことである。データ重視の「ID野球」を標榜した野村の下、1992年、チームは低迷期を脱し、14年ぶりのリーグ優勝を遂げる。シリーズ開催に当たっては、当然のごとく「学生優先」の壁が立ちはだかり、この時もヤクルトのホームゲームに関して、近隣の東京ドームでの開催も検討されたが、大学野球側がリーグ戦のナイトゲーム開催を了承(この当時、日本シリーズはデーゲーム開催が原則とされていた)。これにより、東映時代以来30年ぶりに神宮に日本シリーズが帰ってくることになった。

 当時は西武の黄金時代。下馬評を覆し、第7戦までもつれ込んだこのシリーズでは神宮で4試合が行われ、ヤクルトは本拠で2勝するが、最終の第7戦で1点差及ばず、西武の軍門に降ることになった。

 この両球団は翌1993年も日本シリーズで激突。ヤクルトが雪辱を果たすが、胴上げが行われたのは、3試合が実施された神宮球場ではなく、敵地西武球場だった。

 ヤクルトは1年のブランクを経て1995年に日本シリーズの舞台に帰ってくるが、イチロー擁するオリックス・ブルーウェーブを破り、本拠神宮で初となる日本一の胴上げを実現している。

 その後ヤクルトは1997年、2001年、2015年に日本シリーズ出場を果たしているが、1995年の胴上げ試合以降、本拠地でソフトバンクの胴上げを許した2015年シリーズの第3戦まで神宮球場でシリーズ8連勝を記録している。

 2015年シリーズまでの8大会における神宮球場でのホームチーム(後攻め)の勝敗は13勝8敗1分。ヤクルトに限って言えば、12勝7敗である。過去の結果からは、ホームチームに有利な球場であるということが言える。実際、先週末の2試合もヤクルトの1勝1分けという結果に終わっている。

 23日までの全24試合のうち、最多の観客動員記録は、東映のホームとして開催された1962年10月16日の3万8733人である。現在の収容人数は3万969人だから、これを上回る数字を記録することは今後ないだろう。

 今シリーズは、今のところ、ヤクルトの1勝1分け。今日からはオリックスの本拠、京セラドーム大阪に舞台を移すが、ここでヤクルトが1敗でもすれば今週末にはシリーズは神宮に戻ってくる。仮にオリックスが追い上げ、3勝3敗になれば、史上2度目となる「第8戦」の舞台にもなるかもしれない。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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