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銀座で百年続く町中華は、なぜ「冷やし中華」を一年中出しているのか?

山路力也フードジャーナリスト
『萬福』(東銀座)の冷やし中華は一年中食べることが出来る。

銀座で百年近く愛される『萬福』

今から約20年ほど前に改装し、創業当時の店を再現した店舗。
今から約20年ほど前に改装し、創業当時の店を再現した店舗。

 東銀座駅から歩いて数分。歌舞伎座の裏手に入ると表通りの喧騒が嘘のような静かな町並みが顔を出す。江戸時代、江戸城改築や埋め立て工事などのために「木挽職人」が多く住んでいたことから、この一帯は「木挽町」と呼ばれていた。今は通りにだけその名を残すこの場所に一軒の町中華がある。大正末年(1926年)に屋台として創業、三代にわたりおよそ100年近く暖簾を掲げる東京屈指の老舗『萬福』(東京都中央区銀座2-13-13)だ。

三代目店主の久保英恭さん。祖父の開いた店の味と暖簾を今も守り続けている。
三代目店主の久保英恭さん。祖父の開いた店の味と暖簾を今も守り続けている。

 今は数少なくなったアーチ状の暖簾に、筒型の真っ赤な提灯。創業当時の店を再現したという店舗は、昭和初期のモダンな食堂の雰囲気。帳場の前には黒電話が置かれ、壁には「京橋區木挽町」の町名表示板が飾られている。そして厨房からはリズミカルに中華鍋を振るう音が聞こえてくる。この光景は今も昔も変わることなく。この店に一歩入るとまるで時が止まったかのような錯覚にとらわれる。

 厨房に立つのは『萬福』三代目の久保英恭(ひでひさ)さん。創業者である笠原福次郎さんの孫である久保さんは、幼少期より店を手伝いながら、中華料理店などでの修業を経て、25歳の時にこの店を受け継いだ。学生時代には船乗りを志したこともあったという久保さんだが、家業であり子供の頃から生活の一部であった萬福を継ぐことに迷いはなかった。

東京ラーメンの原型とも呼べる「中華そば」

東京ラーメンのアイコンとも呼べる「中華そば」に、手間隙かけたこだわりの「餃子」。
東京ラーメンのアイコンとも呼べる「中華そば」に、手間隙かけたこだわりの「餃子」。

 『萬福』の料理はどれをとっても隙がない。決して特別なことをしているわけではないが、どの料理も仕事が丁寧で美味しい。元々は洋食の料理人だったという祖父が作った味をベースにしながらも、中華料理の経験を積んだ久保さんが時代に合わせて微妙に調整をしている。

 三角の黄色い薄焼き卵が印象的な「中華そば」は、創業以来変わることのない東京ラーメンにおける永遠のマスターピース。茹でた卵を乗せるのではなく、卵焼きにしたのは洋食の料理人だった創業者の矜恃か。丸い丼の中に三角の形を置くセンス。そしてチャーシューやナルトの赤、ほうれん草の緑との色のバランス。全てが過不足なく完成された一杯は、今食べても決して古びた印象を受けない。

 「見た目は同じですが、時代に合わせて味は調整しています。昔だと寸胴から浮いてくる油は極力避けてスープを注いでいましたが、今は少し油も入れたりしています。祖父がやっていた頃に比べれば遥かに日本は豊かになり、日本人自体の舌が変わってきています。今の時代に合うように材料を増やしたり、味を濃くしたり油分を足したりという調整はしていますが、『麺、スープ、具、どれも目立ってはいけない』という教えはしっかりと守っています。萬福の中華そばはどれが突出しても駄目なんです」(店主 久保英恭さん)

「西支料理」の面影を残す「ポークライス」

中華料理店には珍しい「ポークライス」や「カレーライス」は洋食を出していた頃の名残。
中華料理店には珍しい「ポークライス」や「カレーライス」は洋食を出していた頃の名残。

 『萬福』のメニューには中華料理店ではあまり見かけないメニューがある。豚肉と玉ねぎを具材に使い、ケチャップで味付けした「ポークライス」だ。また、日によっては「カレーライス」がメニューに掲げられることもある。かつて洋食や中華料理は外国の食べ物という括りで「西支料理」と呼ばれていた時代があった。屋台でラーメンを作っていた洋食出身の創業者が、店を構える時に洋食メニューも入れるのは至極当然のことだった。時代が変わって、洋食メニューは少しずつ姿を消していったが、その名残として今も残っているのが「ポークライス」なのだ。

 「私が店を継ぐ頃にはだいぶ洋食メニューはなくなっていましたね。やはり中華よりも仕込みが大変ですし、オムレツなどは技術も要るので減っていったのでしょう。カレーライスもなかったのですが、私がカレー好きなので趣味のように作ってお出ししています。最初はまかないで作っていたのですが、常連の方達から食べさせてと言われるようになったので、数年前からお出しするようになりました。作るのがかなり手間で、原価も採算外になってしまうので、本当にある時だけにしかお出しできないのですが」(久保さん)

一年中食べることが出来る「冷やし中華」

「冷やしそば 醤油味」は夏だけではなくいつでも食べることが出来る。
「冷やしそば 醤油味」は夏だけではなくいつでも食べることが出来る。

 そして『萬福』の知る人ぞ知る名物メニューが「冷やし中華」(冷やしそば 醤油味)だ。実はこの冷やし中華は、夏だけではなく一年中食べることが出来る。この店にはもう一つ棒棒鶏風のごま味の冷やし中華もあるのだが、そちらは夏季限定メニュー。しかし醤油味の冷やし中華は夏が終わってもメニューから消えることがない。

 「以前はもちろん夏季限定のメニューでした。しかし9月になって冷やし中華が終わると、冷やし中華を好きなお客様が来なくなってしまったんです。「また来年来るね」と言って来なくなる常連さんが本当に何人もいて。ならば、冬もやるので来て下さいと通年でお出しするようになりました』(久保さん)

 均一に刻まれた色とりどりの具材が放射線状に整然と並べられている。その下には綺麗に麺線を整えられた麺と、たっぷりと出汁が張られている。麺はもちろん出汁も具材も、さらには器までもがしっかりと冷やされていて冷たい。麺を茹でた後に素早く氷水で締めて、ギリギリまで冷やしておいた出汁と器に盛ってすぐに提供する。一見どこにでもありそうな普通の冷やし中華だが、食べてみればその違いは一瞬で分かる。このメニューだけを食べに来る常連客がいるというのも頷ける。

 大正から昭和、平成、令和と時代は移れども『萬福』は変わらない。変わりゆく東京を見つめ続けた店の中で、変わらぬ味を今も楽しめる幸せ。中華そばも餃子もポークライスも一緒に食べられる幸せ。そして夏でも冬でもいつでも冷やし中華を食べられる幸せ。『萬福』に来ると思わず笑顔になってしまうのは、きっとそんなささやかな幸せがたくさんあふれている場所だからに違いない。

※写真は筆者の撮影によるものです。

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フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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