希望の党の性格露わにした「政策協定書」――幻の外国人参政権を踏み絵に
■「外国人」抜きのダイバーシティ
報道によると、希望の党が公認候補に承諾を求める「政策協定書」の内容が明らかになった。
近年、政治の場で争点になってきた安保法制の容認や憲法改正の支持など全10項目のうち、ひときわ異彩を放っているのが、「6.外国人に対する地方参政権の付与に反対すること」という項目だ。
これについて報じた朝日新聞は、代表の小池百合子・東京都知事が「新党設立を表明した際に示した『ダイバーシティー(多様性)社会の確立』との矛盾が問われそうだ」と指摘しているが、少なくとも小池代表のこの間の言動のなかでそれはまったく矛盾せず、むしろ一貫している。
小池代表は昨年7月の都知事選に際し、「3つの新しい東京(=シティ)を作る」とした公約の2つ目として、ダイバーシティをもじった「ダイバー・シティ」をかかげた。だがその説明は、「女性も、男性も、子どもも、シニアも、障がい者もいきいき生活できる、活躍できる都市・東京」というもので、「外国人」は丁寧に取り除かれている。しかもこの項目のなかで「都立高校跡地を韓国人学校に貸与する前知事の方針は白紙撤回」と明記し、当選後、速やかに実行した。
さらに記憶に新しいところでは、毎年9月1日に行われている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことをあげることができる。歴代知事は送付が慣例になっていたものを覆した理由について、「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだ」「さまざまな歴史認識があろうかと思う」などとして、震災後に多くの朝鮮人が流言飛語によって虐殺されたという歴史的な事実を認めようとはしなかった。
■オールドカマーとの共生指向の象徴
このような小池代表の排外主義的な姿勢が、「政策協定書」で党の方針として明確に打ち出されたということだ。しかもこの10年、政治の場で争点にもなっていない外国人地方参政権問題をあえて持ち出すことによって、である。
外国人地方参政権問題は1980年代頃から定住外国人が地域住民として地方自治に参画できる選挙権を求める運動として展開され、運動体としては主に韓国民団がこれを推進した(一方で、内政不干渉の海外公民路線を取り民団と政治的に対立する朝鮮総連はこれに反対した)。
1990年代に入ると在日コリアンらによる法廷闘争が相次ぎ、1995年に最高裁は、参政権は「日本国籍を有する者」を対象にしているとして訴えを退ける一方で、「永住外国人等に対する地方参政権付与は憲法上禁止されているものではない」という判断を示した。
これを受け、地方議会での意見書採択が続き、1998年には民主・平和改革(衆院公明党)と日本共産党が、2000年には公明・自由が永住外国人の地方参政権付与に関する法案を国会に提出し、2007年までに審議、廃案、再提出が繰り返されたが、成立することはなかった。
こうした動きの一方、与党自民党は在日韓国人の権利向上を求める韓国政府との関係のなかで、永住外国人の地方参政権について検討を続けた(韓国は2003年に外国人地方参政権を認めている)。また2009年に政権交代を実現した民主党は、1998年の結党時に掲げた基本政策に「定住外国人の地方参政権の早期実現」を盛り込んでいた。
このような経緯を見てもわかるように、外国人地方参政権問題は、国政における定住外国人――それもとくに過去の歴史的経緯との関係で日本に定住することになった在日コリアンなどのオールドカマー外国人――との多文化共生指向のメルクマールであったとは言えよう。だが2000年代半ば以降、日本社会のバックラッシュの空気のなかでこの問題が表立った争点になることはなかった。
■「幻」をあえて持ち出す効果
今回、小池代表率いる希望の党が公認候補に承諾を求める「政策協定書」でわざわざこれを取りあげたのは、前述したような意味での多文化共生指向のメルクマールであるとともに、この問題が一部の排外主義者たちが忌み嫌うリベラル左派、そして「民主党的なるもの」の象徴だったからでもあるのだろう。
とはいえ経緯を述べたように、反対を表明するも何も、反対する対象である外国人地方参政権はいまだ実現されておらず、現在はそれを強く推進する勢力も存在しないに等しい。
このように、この10年間、政治の場で争点にもなっていない「幻」を踏み絵として持ち出すことの世論喚起、扇動の効果を考えても、希望の党を排外主義的な政党と位置づけるに十分だろう。
政治的な合理性より「こだわり」を優先したかのようにも見える小池代表および希望の党と、この「政策協定書」にサインした公認候補たちの今後を注視していきたい。