阪神タイガースの99年ドラフト1位・的場寛一氏が指導するニュースタイルのベースボールスクールとは
■「ブリングアップベースボールアカデミー」
元阪神タイガース・的場寛一氏(1999年・ドラフト1位)から「コーチに就任した」との連絡があった。小学3年から中学3年を対象とした野球スクール「ブリングアップベースボールアカデミー戸田校」で指導にあたるのだという。
近ごろ、リトルリーグやシニアリーグなどの野球チーム以外に、「技術を教える」ということに特化した野球スクールが増えている。チームに所属しながら、さらなる技術向上を求める子どもたちに、野球スクールは大人気だ。しかしこの「ブリングアップベースボールアカデミー」は、一風変わった魅力があるようだ。
的場氏はプロ野球を引退した後、社会人野球の名門・トヨタ自動車で名を馳せた。当時、同社のラグビー部に所属し、日本代表の主将としても活躍していた菊谷崇氏とは社内イベントやアスリートが集まるイベントで共演するなど旧知の仲だった。
その菊谷氏から、元千葉ロッテマリーンズ・内竜也氏とともに「ブリングアップベースボールアカデミー戸田校」のコーチを依頼された。
子どもに教えるのは初めてではない。前職のドーム社では子どもへの指導も経験している。いずれ指導者としてどこかで指揮を執ってみたいという夢もある。なにより野球が大好きで、ブリングアップが掲げる理念と自身が抱いてきた考えが一致した。そこで、二つ返事で引き受けることにした。
■3つの理念
「ブリングアップベースボールアカデミー」の3つあるという理念を的場氏が説明する。
「まず1つ目は『社会性の向上』。野球の世界って、小さいときから指導者の一方通行で指示待ちの子が多くて、発言やプレゼンの能力が高くない。小さいときから自分の意見が言えるようにというのを植えつけたい。高校、大学と進んだとき、チームの中心にいるというような子を育てたい」。
「2つ目は『インターパーソナルスキル』。声のコミュニケーションだけじゃなくて、空間、対人間…人との空間を察する能力というか、プレーしながら感じ取れる能力を植えつけていく」。
「3つ目が、これはもう誰もが望む『アスリートとしての運動能力の向上』。野球の動きだけじゃなくて、ここではラグビーとか陸上とかもやっているから、ほかの競技のいい要素を横展開して取り入れていく」。
さらに「野球の練習だけじゃなくて、ストレングスコーチによる体の動きのセッションもあったり、勉強部屋でスポーツの勉強や学校の勉強もできる」と、文武両道で学べる環境が用意されているという。
■プロ野球からアマ野球、そしてサポートする側に
九州共立大時代にプロから注目を集め、4年時には阪神タイガース、中日ドラゴンズ、西武ライオンズ、大阪近鉄バファローズの4球団が逆指名枠を争ったが、幼いころからの憧れであったタイガースを選び、1999年のドラフト1位でプロ野球界に足を踏み入れた。
しかし度重なるケガに泣かされ、満足に働けなかった。左膝は2度メスを入れ、右肩も2年連続で脱臼した。開幕スタメンにも名を連ねようかというくらいに絶好調だったオープン戦、その途中に離脱しなければならなかったことは、今でも頭をよぎる。
「あの年(2005年)、チームは優勝したからね。ひょっとしたらその一員になったかもしれへんのに、天と地の差。その年活躍してたら、まだユニフォーム着てるかもしれんしね(笑)」。
しかしその年の秋、タテジマを脱いだ。その後、トヨタ自動車の硬式野球部では日本選手権で2年連続を含む3度優勝、都市対抗は準優勝など主要大会でチームを勝利に導く活躍をした。個人としても首位打者賞や打撃賞、大会優秀選手、社会人ベストナインを受賞、IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。
2012年限りで引退した後は社業に専念し、女子ソフトボール部の運営に2年間携わったあと、退社を決めた。
そして、タイガース時代のチームメイトだった喜田剛氏に誘われ、スポーツ用品ブランド「アンダーアーマー」などの日本総代理店であるドーム社に転職した。野球の専門店である「ベースボールハウス川崎久地店」の店長として勤務しながら、同店で開催する野球教室では熱心に子どもの指導に取り組んだ。
その後、直営店のエリアマネージャーを経て、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの営業担当として活動し、さらにプロ野球選手の担当も経験した。
■他競技との関わり
そんな中、心の中でさまざまな葛藤や変化が生まれた。
「昨年はコロナ禍もあって、考える時間もあった。ずっとこのままでいいんかな、みたいな。それで一度、何か挑戦したいなってなって、思いきって辞めることにした」。
スポーツマネジメントの勉強もしたかったし、ゆくゆくはその道で起業したいという目標もあった。ここが転機だと思った。
すると、ちょうどそのタイミングでドーム社の一事業であったプロテイン部門も独立することになり、野球担当としてその代理店を依頼された。野球界における的場氏の人脈を見込まれてのことだったが、現在ではバスケットボールやサッカー、相撲まで幅広く他競技も任され、さまざまな世界の人々と関わっている。
「様々な競技につながりが作れているし、いろんな競技の練習も見れる。チームや監督の現場の課題を吸い上げることもできる。『この競技ではこういうのを導入してます』って新しい情報を提供できて、横展開もできる」。
実はこの考え方はドーム社時代に教わったという。
「アメリカって多様性っていうか、1つじゃなくシーズン別でいろんなスポーツに取り組んでいる。たとえばバスケの選手の例やけど、いろんな競技で体を動かしている人ほど出場機会や出場時間が長いっていうエビデンスも出ている。ケガも少ないんだって。小っちゃいころからいろんな動きをインプットすることによって、ケガも軽減できるというのは大きい。メリットしかない」。
野球をやっている子どもにとっても、ほかのスポーツをすることで新たな運動能力を引き出せるし、ケガの軽減にも役立つ。また視野も広がるし、脳の開発にも役立つだろう。
奇しくも仕事で得たこの知識が、ブリングアップの方向性とも合致する。今後、さまざまな競技を取り入れつつ楽しみながら教えていきたいと意気込む。
■探求心と自主練
的場氏には常日頃から憂慮していることがあるという。
「野球のスクールでも勉強の塾でもそうやけど、その場で終わっちゃうというのを親御さんからよく聞く。参加して終わりじゃなく、そこから先、レベルを上げたいと思ったら家に帰ってどうするか。昔、俺は野球の練習がない日も壁に向かって投げたりバット振ったりしてたから」。
当時、的場少年は試合のシチュエーションを頭に描き、「ランナー二塁」、甘いところに投げたら「打たれた―っ!」、「なおも一塁、三塁」などと自分で声に出して実況しながら、自主練習をしていたそうだ。内氏もまた「僕もやってました」と同じように没頭していたという。この自主練習こそが大切なのだ。
また近年はYouTubeやネットなど、子どもでも欲しい情報はすぐに手に入る。
「スポーツって自分の体でやるもんやから。いくら頭でイメージしてても、それとギャップがあれば再現できない。いろんな情報を見て、自分の体に合ったものを吸収してパフォーマンスするのが理想。それと、正しい反復練習が必要で、プロほど基礎練習をおろそかにしない。この基本の重要性を説いていきたい」。
タイガース時代の先輩たちを思い起こすと、「みんな追究してたよね」とストイックな姿が浮かぶ。
「パッと出てくるのは桧山(進次郎)さん、坪井(智哉)さん…バッティングに関しては、その試合で打った打たない関係なしで、試合後にこもって打ってた。3安打打ってもね」。
基礎を大事に正しい反復練習をし、得た情報はトライ&エラーを繰り返して自分の体に合ったものを吸収する。子どもたちが追究したいことには根気強く向き合っていくつもりだ。
■的場氏だからこそ伝えられるもの
それらを含め、的場氏には自分だからこそ伝えられることがあると自負している。プロを引退せざるを得なかったケガや、思わず八つ当たりしてしまって後悔した道具に対する思い、そしてまた社会人で再発見できた野球の楽しさ…よかったことだけでなく失敗したことも、これまで得てきたことはすべて「しくじり先生」として、子どもたちには伝えていきたいと願う。
以前から「将来的に指導者になりたい」と口にしていた。アマチュア野球の監督として指揮を執ることは夢として抱いている。
「いいタイミングで子どもと接することができている。あらためて学び続けることは必要やし、今、子どもたちが欲してるものとかも身近で感じることもできるから」。
これまでも常に学んできたが、さらに積み重ねていく。
波乱万丈な自らの人生を「おもしろいと思う」と評する的場氏。限りない可能性を秘めた子どもたちとともに汗を流すことが、今の生き甲斐だ。