オートバイのあれこれ『悲願の王座獲得!ラッキーストライク・ガンマ』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今朝は『悲願の王座獲得!ラッキーストライク・ガンマ』をテーマにお話ししようと思います。
1988年(昭和63年)、数年のブランクの後に世界グランプリ(WGP)へ完全復帰したスズキワークスチーム。
復帰に伴い投入されたスズキのマシンが『RGV-Γ500』でした。
スズキは1974年からワークス参戦を中断する83年まで、「スクエア4」と呼ばれた4つの気筒が寄せ集まるレイアウトのエンジンを使っていましたが、新たに開発されたRGV-Γ500にはV型4気筒が採用されました。
そしてこれをライディングしたのが、当時若手のケビン・シュワンツ選手。
シュワンツ選手はルーキーながらガンマ500を巧みに操り、GPレギュラー参戦1年目の初戦(日本GP/鈴鹿ラウンド)でなんといきなりの優勝を果たします。
ルーキーが前年王者のワイン・ガードナー選手(ホンダ)を破ったこの出来事は、大きな話題となりました。
その後もシュワンツ選手は、持ち前のライディングスキルとセンスを活かし勝利を重ねていきます。
しかし、相棒のガンマ500に今ひとつ“速さ”が無く、シュワンツ選手は毎年あと一歩といったところで年間チャンピオンを逃し続けていました。
そうして迎えた93年シーズン、スズキは改良を進めたガンマ500を投入し、またシュワンツ選手もリスクを抑えた戦略を取り入れると、これらが効果テキメン。
参戦6年目にして、シュワンツ選手はついに年間チャンピオンを獲得することができたのでした。
上の画像の『ラッキーストライク』カラーのガンマ500は、その時のチャンピオンマシンとなります。
「ケビン・シュワンツ」と聞くと、88年の鈴鹿で劇的勝利を実現した『ペプシ』カラーのガンマ500が印象に残っている人も多いでしょうが、世界のテッペンを獲ったこのラッキーストライク・ガンマも決して忘れられない存在なのです。