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【サッカーW杯】ドイツで断トツ得点王!レヴァンドフスキを日本代表はどう止めるのか

柴村直弥プロサッカー選手
ドイツブンデスリーガで3度目の得点王を受賞したポーランド代表レヴァンドフスキ(写真:アフロ)

 言わずと知れたポーランド代表のエースにして現在世界最高峰のストライカーとの呼び声も高い、ロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン)。5月12日に2017-2018シーズンの最終節を終えた、ドイツブンデスリーガで、自身3度目となる得点王を受賞した。

 しかも、今回の得点王は、得点ランキング2位のペテルセン(フライブルク)に14ゴール差をつけたダントツの1位(レヴァンドフスキ29ゴール。ペテルセン15ゴール)であり、2位とこれほどまでに大差をつけたのはブンデスリーガ史上初めてである。

 さらに、2018年3月10日には、バイエルンに加入以降、ブンデスリーガ史上最速の120試合目で100ゴールに到達しており、今シーズンも好調のまま終え、来月のW杯に向けて万全の状態で臨んでいけると言っても良い。

 そんなレヴァンドフスキを抑えることは容易ではないが、日本代表がポーランド代表に勝利するためには、避けては通れない難題だ。

どのようにレヴァンドフスキを止めるのか

 バイエルンでのレヴァンドフスキ100ゴールの映像を元に、対応策を思考してみる。

レヴァンドフスキ100ゴール

 レヴァンドフスキはクロスからのゴールも多いが、それには相手DFのマークを外す動きが巧みであることも要因として挙げられる。

 例えば、7分25秒の79ゴール目。

 ゴール前で相手DFがマークについているにもかかわらず、DFが一瞬目を話した隙に背後からDFの前へ廻り込み、ゴールを決めている。

 このような場面での対応策は、例えばDFはレヴァンドフスキのポジションを自分の手で触れる距離で確認しつつ、ボールが入ってくる瞬間にレヴァンドフスキに前に入られないようにすることが必要であろう。映像から読み取れるのは、このDFはレヴァンドフスキが自分の背後に廻った際に、体の重心がやや後ろにかかってしまい、自分の前に入ってきたボールに対しての反応が遅れたと思われる。このような動きをレヴァンドフスキはゴール前で頻繁に行ってくるため、マークに付いているDFは体の重心が後ろにかかってしまわないように意識し、このシーンのようなゴール前のエリアでは、自分の前のボールへ反応する意識でプレーしていくことが、通常よりもより必要となってくると思われる。

 しかし、7分38秒の82ゴール目のシーンのように、前へ重心がかかることにより、後ろに浮き玉でボールが入ってきた際にヘディングでゴールを奪われてしまうケースもある。ただ、このシーンのレヴァンドフスキのいるエリアとボールの出し手の位置の関係であれば、このケースではレヴァンドフスキの奥にいるもう1人のDFがカバーする必要がある。この局面になった際に、奥のDFはレヴァンドフスキがマークされているDFの背後にポジションを取ることを予測し、対応していくことで、ある程度の確率で防げると思われる。

 3分27秒の35ゴール目のシーンでは、相手DFがレヴァンドフスキの位置を首を振って確認しているが、DFが目を離している隙に背後からゴール前に飛び込んでいる。8分15秒の88ゴール目でも同じように、相手の2人のDFの間に位置どり、ゴールを決めている。クロスが入ってきた瞬間のレヴァンドフスキとの距離は、画面手前の方のDFで1m弱、奥側のDFで1m強といったところだろうか。レヴァンドフスキに対しては、このくらい距離を空けてしまうとゴールを決められてしまうという認識でマークしていくことも大事になってくるだろう。

 7分52秒の85ゴール目のシーンのように、レヴァンドフスキを1人で止めることは非常に難しい。このシーンのような局面では、画面のレヴァンドフスキの奥にいるDFが、ボールが入ってきた瞬間に素早くゴールに向かって戻り、カバーのポジションを取ることが賢明だろう。

 いくつかの局面の対応策を分析したが、シュートを打つ判断の早さやGKやDFとの駆け引きの巧みさ、そしてシュートの精度など、ゴールを決める上で必要な様々な要素を高いレベルでこなせ、世界最高峰の決定力を持つレヴァンドフスキ。

 ゴール前はもちろん、ペナルティエリア周辺も含め、一瞬でもフリーにしたらゴールを決められてしまう、という意識を持ち、対応していくことが求められてくるだろう。

 もちろんポーランド代表はレヴァンドフスキだけではないが、もっとも警戒すべき選手であることは明白である。

 世界最高峰のストライカーを抑えることは容易ではないが、日本代表が勝利するためには避けては通れない。

プロサッカー選手

1982年広島市生まれ。中央大学卒業。アルビレックス新潟シンガポールを経てアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年ラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。同年のUEFAELでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、2冠を達成。翌年のUEFACL出場権を獲得した。リーグ最多優勝並びにアジアで唯一ACL全大会に出場していたウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。FKブハラでも主力として2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍した

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