「これからの女性の職業案内」(1958)を読んでみた
しばらく前に古本屋で「これからの女性の職業案内」という本を買った。1958年、北辰堂。著者の記載がなく、「編者 初村顕太郎」と記載されている。当時の女性にとっての職業の選択肢とか、職業観みたいなものが想像できるかもと思って買ったわけだが、これがまたいろいろと面白くて。就職活動真っ最中の学生の皆さんの参考に…なるかどうかはわからないが、まあ息抜きにでも。
この本の趣旨は要するに、当時のこれから社会に出る女性たちに、どんな職業があってそれになるためにはどうしたらいいか、といった情報を提供することだ。冒頭に、「こんにちでは、女性も男性と同じように、学校を卒業すると、社会への最初のスタートすなわち就職ということを考えるのが常識となりました」とある。当時は高度成長期が始まろうとしていたころにあたるのかな。実態として就職が当たり前だったかどうかは別としても、それほど珍しくない(本を出して売れると思われる程度には)ことであって、そうすることがよりよいという価値観が成立していたということだろうか。ちなみに、男女合わせると、当時の中卒者の高校進学率は56%、高卒者の大学進学率は40%前後だったらしい。男女別の数字も調べればわかるだろうがこの本には出ていない。
で、この本には、そういった「新しい時代」を生きる女性のためのいろいろな職業が紹介されているわけだが、最大の特徴と思うのは、その職業紹介の徹底ぶりだ。目次に挙げられてるのはなんと166項目(サブの項目も含む)。もちろん全てを網羅とはいかないだろうが、「ほとんどをカバー」ぐらいまではいえそうな充実ぶりだ。せっかくなので列挙してみる。
オフィス・ガール
女子銀行員
キィパンチャー
デパート・ガール
エレベーター・ガール
商店の女店員
レジスター
マネキン・ガール
街頭アナウンサー
官公庁事務員
国家公務員
四級職国家公務員
五級職国家公務員
六級職国家公務員
労働基準監督官
外交官
外交官・領事官
外交書記生
裁判所職員
家庭裁判所調査官
家庭裁判所調査官補
裁判所事務官
婦人自衛官
婦人警察官
女子刑務官
生活改良普及員
社会福祉主事
児童福祉司
身体障害者福祉司
蚕糸技術員
衛生管理者
保母
栄養士
保健婦
助産婦
看護婦
准看護婦
タイピスト
秘書
洋裁師
デザイナー
和裁裁縫師
男子服裁縫師
ミシン刺繍師
編物師
手芸家
ドライクリーニング師
電話交換手
一般電話交換手
国際電話交換手
駐留軍関係電話交換手
構内電話交換手
電信通信員
ラジオ技術者
テレビ技術者
通訳
ガイド
速記者
製図員
写真植字オペレーター
自動車運転手
映写技士
犬の訓練師
DP業
美容師
理容師
調理師
珠算教授
筆耕
スチュアーデス
キャディ
バスの車掌
観光バスガール
はとガール
旅行案内者
ホテル従業員
女中
ウェイトレス
喫茶店のウェイトレス
食堂のウェイトレス
バーの従業員
劇場従業員
娯楽場従業員
競技場従業員
家庭女中
メイド
新聞記者
編集者
著述家
批評家
翻訳家
リライター
カメラマン
ファッション・モデル
演出家
映画監督
舞台監督
シナリオ・ライター
スクリプター
映画女優
新劇女優
軽演劇女優
アナウンサー
プロデューサー
ラジオ声優
テレビ女優
洋舞家
ステージ・ダンサー
日本舞踏家
茶道教授
書道教授
生花教授
邦楽家
流行歌手
音楽家
画家
彫刻家
工芸美術家
図案家
挿画家
漫画家
商業美術家
モデル
写真のモデル
絵、彫刻のモデル
職業スポーツ家
女子野球
競輪選手
女子プロ・レスリング
アイス・スケート
教育職員
養護教諭
大学教授
図書館司書
図書館事務員
司書教諭
裁判官
検察官
弁護士
弁理士
公認会計士
税理士
電気技術者
医者
歯科医者
歯科衛生士
歯科技工士
獣医師
薬剤師
診療X線技師
臨床病理技術士
女子工員
衣料関係の女子工員
食料品関係の女子工員
化学製品関係の女子工員
精密機械関係の女子工員
電気機械関係の女子工員
印刷・製本関係の女子工員
その他の女子工員
派出婦
舎監・寮母
保険勧誘員
契約外交員
販売員
集金人
私立探偵
いやすごいね。執念というべきであろう。映画女優とか私立探偵とかまで拾ってる。とはいえ、やはり濃淡はあって、当時の一般的な女性にとってより身近であろう職業については、分類を細分化するかたちでより詳しく説明している。たとえば国家公務員、裁判所職員のような公務員系は主だったところを別項目で紹介してるし、その他電話交換手では4種類、ウェイトレスでは3種類、女子工員では7種類のサブ項目に分けている。国家公務員で四級~六級は学歴による分類で、四級が高卒、五級が短大卒、六級が大学卒に相当する由。
当時の産業構造や「実際の」女性の就業機会を考えればまあ自然ではあるが、この中で一番詳しく分類されているのは工員だ。確かに、工場での労働なんかは業種によってちがうだろうから、より具体的に書こうとしてるわけだな。実は、本文ではさらに細かく分けて説明されている。こんな具合。
衣料関係の女子工員
紡績・製糸工場
織物工場
メリヤス工場
加工繊維製品製造工場
染色工場
刺繍工場
食料品関係の女子工員
菓子製造工場
飲料、調味品の製造工場
缶詰瓶詰工場
化学製品関係の女子工員
製薬工場
化粧品製造工場
石鹸製造工場
精密機械関係の女子工員
時計製造工場
レンズ工場
光学関係計量その他各種器具製造工場
電気機械関係の女子工員
電気などの製造工場
ラジオなどの製造工場
印刷・製本関係の女子工員
印刷工場
製本工場
その他の女子工員
製紙パルプ工場
紙製品製造工場
自動車、自転車製造工場
陶磁器製造工場
ゴム製品製造工場
藤、杞柳品製造工場
マッチ製造工場
煙草製造工場
その他の加工品製造工場
うむ。繊維、紡績関係とか、時計とかの精密機械系とかが詳しいあたり、当時の工業のようすがある程度わかって面白い。マッチもまだたくさん使われてた時代なんだねえ。「藤、杞柳品製造工場」というのも興味深い。「杞柳」はコリヤナギで、実際には「杞」のつくりは「己」ではなく「巳」で書かれていた。
興味深い職業をいくつか拾ってみる。まず、一番最初に出ているオフィス・ガール。当時はBGと呼ぶのが一般的だったと思うがこの表現もあるんだね。都会的な印象で特殊な能力も求められないから、当時から人気職業だったらしい。こんなふうに書いてある。一部抜粋。
オフィス・ガールといっても多少は技能があったほうがよく、そろばんができれば有利です。字もきれいに書き、ものごとをてきぱきと整理していく性能が必要です。不愛想では困りもので、人と親しくつきあえることも必要です。あまりコケティッシュになってはオフィスの雰囲気を妙なものにしてしまうので警戒されます。学歴や技能に特別の制限はありません。高等学校卒業程度、年齢は十八才から二十五才ぐらいまでです。採用試験も相当うるさく、特に面接試験に重点がおかれています。筆記試験はないところが多く、あってもそれほどむつかしいものではありません。実技試験も特別の必要がない限りはおこなわないのが普通です。
「性能」ってこういう使い方したんだね。「性能試験」とかいったらしい。もちろん、漢字とかも原文のとおりだから念のため。こういう昔の本を見てると、「正しい日本語」なんていう言い方がいかに空しいか痛感させられる。この本のどこかにも出てくるかもしれないが(見つからなかったが)、この時代だと「全然」が肯定文にもふつうに使われてるし。「コケティッシュ」は最近はあんまり使わないことばだと思うが、当時は新しい表現だったんだろうな。
で、オフィス・ガールに戻るが、給料は四千円から五千円ぐらい、とある。初任給を指してるらしい。ついでなので、他の職種の給料も挙げておく。
女子銀行員 一般のオフィス・ガールを少し上回る程度
デパート・ガール 初任給七千円程度、一、二年後には一万円近くに
エレベーター・ガール 五千円から七千円ぐらい
四級国家公務員 五九〇〇円
五級国家公務員 六六〇〇円
六級国家公務員 八七〇〇円
看護婦 八千円
一般電話交換手 七八〇〇円(中卒)
一般電話交換手 八五〇〇円(高卒)
女子工員 四千円から五千円ぐらい(中卒)
ふむ。エレベーター・ガールとか電話交換手とかみたいな今はない職業がけっこういい給料だったりして、時代を感じるな。一種の技能職だったということなんだろう。ちなみに、1954年当時の労働省調べによる女子の初任給データも出ていて、中卒だと平均4,828円、高卒だと6,756円だったらしい。
時代を感じるといえば、「はとガール」。何だよ「はとガール」って。はとバスのバスガイド?「観光バスガール」は別の職業として書いてあるんだよ?どれどれと見てみると、こう。
東海道線の、特急はと、つばめに乗務して、旅行客の案内や世話をするわけですが、特急の、二等にのる客の大半は、有名人、あるいは外人、その他会社重役など高級な人達がのるので、この人達に接するサービス・ガールも、おのずから教養があり、品位を保たなければならないので、たいへんむずかしい仕事でもあるわけです。東京鉄道管理局で部内募集するときもありますが、一般公募をする場合もあります。募集時期は一定していません。採用条件としては、高等学校を卒業して、十八才から二十才までの人で、身長一五七センチ以上、均整のとれた健康体の持主であることがあげられており、英語ができ、人物もまず申し分ないことが、第二条件となっています。サービス業ですから、美しくて、愛嬌があり、親切な人が適しているでしょう。
こういう職種があったのか。「はと」に乗るから「はとガール」なわけね。当然、「つばめガール」ということばもあったらしいが、それをまとめてこの本ではこう呼んでるんだろう。それにしてもこの解説文。「有名人、あるいは外人、その他会社重役など高級な人達」だって。「外人」ってこういうニュアンスだったんだねえ。今だとナニかね、いわゆる飛行機の客室乗務員の皆さんとかと似たニュアンスなのかね(今はあちらもずいぶんちがってきてる感じだけどねえ)。
ちなみに「スチュアーデス」のほうはこう。抜粋。
新しい職業のなかで、若い女性のあこがれの的といえばスチュアーデスということになりそうです。それだけに競争率も激しく、応募資格、条件も相当うるさいようです。学歴は短期大学卒業以上、年齢十八才から二十五才まで、身長一五六センチから一六五センチまで、体重四五キロから五五キロまで、視力〇・五以上、英会話ができ、容姿端麗で、感じのよい人となっています。
微妙にこちらのほうが上っぽいかな。1958年といえば、まだ海外旅行自由化(1964年)の前。ちなみにだが、「兼高かおる世界の旅」は1959年にスタートしたらしいから、改めてすごいねあの人。
あと、気になるのが、一部の皆さんに人気の職業「メイド」。いまやなんかちがったイメージになっちゃった「メイド」も、当時はばりばりにふつうの職種だったわけだ。「女中」という職種も別に載ってるわけで、じゃあ「メイド」はどう書いてあるかというと:
同じ女中さんでも、外人の家庭で働く人はメイドと呼ばれます。
だって。シンプルだね。あたりまえといえばあたりまえだが、要するに外国人家庭の女中をメイドと呼ぶにすぎないわけだ。ちなみに女中さんの給与は住み込みの場合五千円くらい、とある。メイドさんはこれより少し上らしい。住み込みで賄い付きなら、これはけっこういい待遇。「お金を貯められる」と書いてある。
そういえば、これまた一部の皆さんに人気の職業である「声優」(この時代すでに「声優」っていう表現があったんだね)だが、ここでは「ラジオ声優」となっている。テレビ放送の開始は1953年。この本が出版された1958年といえば、その前年にやっとカラー放送が始まったところ。当時はまだNHKと日本テレビしかない。その翌年の1959年に皇太子(今の天皇)ご成婚をきっかけにテレビの本格的普及が始まるわけで、この時点ではまだ白黒テレビの普及率が10%そこそこ、街頭テレビが活躍中といったところ。初の連続テレビアニメである「鉄腕アトム」の放送開始は1963年。というわけで、当時、声優の仕事といえばまあラジオだったわけだな。
ラジオの放送番組の中で、放送劇を演ずるのが、声優つまりラジオ・スタアなのです。
「ラジオ・スタア」かあ。Bugglesの「Video Killed the Radio Star」(邦題「ラジオスターの悲劇」)とか思い出しちゃうね。「映画や演劇関係の人も出演しますが、専門の声優は、放送局の放送劇団に属して仕事をしています」とある。「悲劇」の一歩手前の時代。
あと、職業スポーツ選手も面白い。ここに出ているのは、女子野球、競輪、女子プロ・レスリング、アイス・スケートの4つ。えっ女子野球?知らなかったのでぐぐってみると、Wikipediaに、1950年から1967年まで日本女子野球連盟(後に日本女子野球協会)なる組織があって、女子プロ野球があったと出てる。へええ。で、この本によると、当時、女子プロスポーツというのはこの4つだけだったらしい。女子プロレスは、1950年代に一度ブームがあったようだがよくわからない。女子競輪があったのは1948年から1964年まで、とこれもWikipedia情報。女子アイス・スケートもよくわからん。
こういう本を見ていると、各所に当時の職業観のようなものがあらわれていて面白い。いくつかピックアップ。
・・・仕事の性質として若さを重要な素質としている職場、たとえば、デパートの店員やバスの車掌または普通のオフィス・ガールは年を経るにしたがって不適格となります。このようなものを一時的な職業といって、特殊な技能や資格がいらず、容易に就職できます。もちろん女性には結婚して家庭の主婦になる、男性とは異なった生きかたがあるので、男性のように必ずしも自分の一生のものとして職業をえらぶ度合も少なくてすみますが、結婚までの社会勉強といった職業につくことは無意味ではありません。しかし、これらの職業といえども、年をとったらできないというわけではありません。じっくりと腰をおちつけて努力すれば、それ相応の地位にまで昇進して、後輩の指導・監督に当ることもあるでしょうし、それなりに熟練すればいつまでも活躍することができます。
(「女性にふさわしい職業とは」)
「不適格」ってのはひどいね。職種自体に「ガール」のついたものがけっこうあるが、こういうのが「若さを重要な素質としている」仕事なんだろうな。とはいえ、がんばれば長く働けるとも書いてある。どうがんばれというんだろうか。なんというか、前半と後半で矛盾してたりして、理想と現実のジレンマに苦しみつつの解説、といった趣。このころと比べて、今はだいぶ変わったといえるだろうか。あるいは、たいして変わってないといえるだろうか。
会社の昼休みや退け時に、女のかくれ場所としてトイレットや更衣室には、賑やかなお喋りの花が咲きますが、同僚の噂話や、上役の悪口など、つまり、むかしからいう一種の井戸端会議になっては、新しい時代の職業婦人として恥ずかしいです。職場では、なるべく家庭の空気をもち込まないことが大切です。何となく自慢話になったり、結婚した女性は、夫や子供のことを話しがちですが、それではあまりに世帯染みて、職場の明るい気分がこわれます。男は四十、五十になっても、なお独身者のような若さをもっているのに女性が若さを失っては困ります。職場では若さが命です。
(井戸端会議は女の恥であること」)
これもジレンマといえばジレンマだが、より明快に、新しい時代をつくろうという方向性を打ち出しているように思える。とはいえ、男が四十、五十になっても若さをもってるというのはちょっと変な感じ(んなこたねーだろ、と誰もがつっこみたくなるだろう)だし、そもそも男が井戸端会議的なことをしないかといったらする(喫茶店だの居酒屋だのでぐだぐだしゃべってるおじさんたちがしていることは、なんと呼ぶか別として井戸端会議とさして変わらない)わけだから、そのあたりはあんまり説得力ないだろうが。
ともあれ、「新しい時代」へのよろこびみたいなものを強く感じさせる本ではある。なんというか、ちょっとまぶしいね。ひるがえって今の就活学生の方々は、希望を持ちづらいというある意味よりたいへんな状況なわけだが、ここはあえて突っ放しておきたい。時代による差はもちろんあるが、いくら「就活のバカヤロー」と叫んでも事態は変わらないし、政治など大人たちの責任があったとしても(いや実際あると思うし、そのために奮闘している大人たちも少なくない)、だからといってただ対策を待ってればいいというものでもない。いつの時代も就職に際して人は悩んできたわけで、楽に就職できた人には悩みも苦しみもなかったろうと思うのは想像力の不足だ。
最後に、本文中に引用されている評論家の十返肇さんのことばを引用しておく。これは今でも通用するんじゃないかな。
家庭にあっては、あなたは一粒種の可愛い娘であるだろう。愛人からいえば、たった一人のかけがえのない女性であるだろう。しかし、社会においては、あなたは別にそれほど貴重な存在でもなければ、選ばれた人物でもないのである。あなたが、社会的に貴重な存在たり得るかどうかは、まさに今後の予想し得ない可能性の問題であって、現在のあなたは何ものでもないのだ。あなたが船出してゆく社会には、敗残者とでもいうべき人物が何人もいるのを、あなたは見るであろう。たとえば、どこの会社にも、勤続何十年も働きながら、学歴がないためとか門閥がないために、いつまで経ってもウダツがあがらず、あとから来る若い人たちに追い越されてゆくような運命をもった人がいるものだ。あなたは、そういう人を決して軽蔑してはならない。その人たちでさえも――いや、むしろそういう人に限って、世間というもの、人間というものをよく知っているのだ。ことに、あなたなどよりも、はるかに彼の人生体験は豊富であり、社会の裏面をよく知っているものである。また同時に、さしたる手腕もないくせに、門閥のよさや、ちょっとしたお世辞の巧みさのために、実力以上の位置を得ている人も必ずそこにはいる。あなたは、そういう人間に対して決して心を油断させてはならない。勿論、若い女性がいつも、ヨロイカブトに身をかためたような武装をして、いたずらにお高くとまっているぐらい滑稽なことはないにしても、いつの場合でも必要以上のコケットリーをふりまいたり、卑屈になったりしてはいけない。要するに自然であれということだ。ポーズをつくるなということだ。社会の大人たちは、あなた方のポーズぐらいは見抜く力を必ず持っているのである。あなた方は、その眼のきびしさを恐れるとともに、また恐れて卑屈にならず、身についたところで処してゆくべきである。
就職活動に奔走中の女子学生の皆さん(あ、もちろん男子学生の皆さんも)の健闘を祈る。