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「キューバ・ショック」は世界の球界の勢力地図に何をもたらすのか

阿佐智ベースボールジャーナリスト
キューバ・シエンフエゴスのスタジアム

 19日、アメリカ・メジャーリーグ(MLB)とキューバ野球連盟は、キューバ国内でプレーする選手のMLB機構でのプレーについて合意が成立したと発表した。周知のとおり、これまではキューバ野球は「鎖国」状態で、MLB傘下のプロチームでキューバ人選手がプレーするには亡命という手段をとるしかなかったのだが、今後は、両連盟の合意に基づく手続きを踏みさえすればキューバ人選手は合法的にアメリカでプロとしてプレーすることができるのだ。

野球を通じて強く結びついていたアメリカとキューバ

 野球を国技とするキューバは、もともと親米国だった。帝国主義の時代、ヨーロッパ列強の南北アメリカ大陸への介入を拒んだモンロー主義に基づいて行われた米西戦争の結果、キューバはスペインから独立し、その後の歴史をアメリカの保護国として歩む。この過程で、アメリカのナショナルパスタイムである野球が、この国でも人気を博したのである。独立前の1878年には、冬季プロリーグが開始されており、両国の関係強化の中、キューバリーグは、まだギャラの安かったメジャーリーガーのオフの稼ぎ場として、また、当時カラーバリアによりMLBから排斥されていたアフリカ系を中心とするカラードの選手がメジャーリーガーとともにプレーできる場としてMLBに匹敵する高いレベルを誇った。

 この状況に変化が起こったのは、第2次大戦後のことである。ジャッキー・ロビンソンによるカラーバリアの克服は、カラードの多いラテンアメリカの選手のMLBへの流入を促した。この結果、ドミニカ共和国など各国の有力選手がMLBに流れ、このことがMLBと他国のリーグとの間に明確な上下関係をかたちづくり、MLBが報酬、プレーレベルともに向上させると、選手不足に陥った各国リーグは、MLBの事実上のファームと化していった。

 そういう中、キューバ革命とそれに続く社会主義の導入によりアメリカと袂を分かったキューバ野球は、プロを廃し、国内リーグを1962年にアマチュアリーグ「セリエ・ナシオナル」に再編。これは国際大会でのメダル獲得を目指す選手の養成所として機能するようになった。以後、1980年代まで、キューバは「アマチュアの雄」として国際大会で無敵を誇った。

MLBのグローバル戦略に飲み込まれていったキューバ

キューバリーグのイスラフベントゥでプレーしていたエクトール・メンドーサ。巨人に入団した後、亡命、現在はカージナルスのマイナーに在籍している
キューバリーグのイスラフベントゥでプレーしていたエクトール・メンドーサ。巨人に入団した後、亡命、現在はカージナルスのマイナーに在籍している

 しかし、MLBの国際戦略が本格化した1990年代以降、世界中の野球選手が富と名声を求めてMLBを目指すようになると、キューバ野球も「鎖国」を保つことができなくなっていった。社会主義の理想の下、公務員としてプレーするキューバ人選手たちは、亡命者として海を渡ることを選ぶようになった。それは時として命の危険にもさらされる危険な賭けではあったが、アメリカでの成功によって手にする巨万の富は、その危険を補って余りあるものであった。

 キューバ政府もそのような状況を黙って見ていたわけではない。2002年、長年ナショナルチームの主砲を務めてきたオマール・リナレスを中日に入団させ、アメリカ以外の国のプロリーグでキューバ人選手がプレーする道筋が模索された。しかし、キューバではプロ野球選手は、あくまで国威高揚の使命を担った公務員であり、国内リーグで技能を磨いた後には代表チームのメンバーとして国際大会で戦うという義務を負っていたため、脂の乗り切った選手が、北半球のプロリーグでプレーすることは想定されていなかった。リナレスの来日も、引退後の研修の一環という体であり、ギャラは年間600万円ほど、すでに全盛時を過ぎたその姿には往年の面影はなかった。

 だから亡命はやむことがなかった。年々流出してゆく選手は、当然ナショナルチームへの加入は認められず、彼らもまた母国の国籍を捨てた。各国が国際大会にプロを送り込むようになった今、キューバはもはや強豪ではなくなった。2006年に始まったワールドベースボールクラシックでは、その第1回大会においては、銀メダルを手にしたが、その後の3大会ではいずれも決勝トーナメントにさえ姿を現していない。

キューバ野球の現状

 私がこの国を訪ねたのは、3年前のことである。プロリーグ時代からの名門、シエンフエゴスのスタジアムを訪ねたが、早々とリーグ戦に敗退したチームは、プレーオフ進出はならず、数人の若い選手がフィールドで練習しているだけだった。

 球団スタッフが声をかけてきた。

「いいものがあるんだ」

 連れられて行った倉庫室には、ユニフォームやボール、ヘルメットが無造作に置かれていた。このうちのいくつかを買ってくれないかということだった。

 10数年前の記憶が蘇った。2004年のアテネ五輪。キューバは各国のプロ相手に堂々と渡り合い、最後となる金メダルを獲得した。その試合後の光景はいまだに忘れられない。歓喜に包まれた表彰式の後、スタンド前に姿を現したメダリストたちは、ついさっきまで来ていたユニフォームを高々と持ち上げ、「○○ドル」とせりにかけていた。銅メダルに終わった日本代表のプロ選手たちが、自身の持ち物をスタンドのファンに投げ入れていたのとはあまりに対照的だった。

 「みんな行っちまったよ」

 シエンフエゴスの港で野球ファンだという初老の男がため息をついていた。このチームは、ホセ・アブレイユ(ホワイトソックス)はじめ主力選手がこぞって亡命、チーム力は目に見えて低下し、かつての強豪の面影はすっかりなくなったのだという。

キューバのシフトチェンジ

キューバではグランマでプレーするデスパイネ
キューバではグランマでプレーするデスパイネ

 このような現実の前に、キューバは対応を迫られた。政府を介してのアメリカ以外の国外プロリーグとの交渉を開始し、2013年から報酬の一部を政府に「上納」させることを条件にプロリーグでのプレーを認めたのである。このシーズンには、従来から関わりの深かったメキシカンリーグにアルフレッド・デスパイネら2人が、翌年にはイタリアンリーグに2人のベテラン選手が加入、カナダの独立リーグ球団・ケベックキャピタルズもキューバ人選手を採用した。日本にもこの波は押しよせ、同年、ナショナルチームの主砲であったフレデリク・セペダが巨人に入団、翌年にはデスパイネも来日した。

日本では活躍できなかったセペダだが、コロンビアリーグでもプレー、2017年WBCにも出場した
日本では活躍できなかったセペダだが、コロンビアリーグでもプレー、2017年WBCにも出場した

 この後、国際大会はキューバ人の「見本市」と化し、2017年WBCで来日したメンバーからは、リバン・モイネロ、ユリスベル・グラシアル(ソフトバンク)、ライデル・マルチネス(中日)、ロエル・サントス(ロッテ)の4人が日本球界に活躍の舞台を移した。

2017年WBCで「走り打ち」でファンを魅了し、ロッテに入団したサントス
2017年WBCで「走り打ち」でファンを魅了し、ロッテに入団したサントス

 これまでこの制度の下、キューバから来日した選手は、計12人だが、彼らの身分はあくまで「派遣選手」で「本籍」はキューバ側の球団にある。つまりは、キューバリーグのプレーを優先せねばならないが、現実には、キューバリーグも派遣先のシーズンに合わせ、それまで4月に終わっていたシーズンを前倒しするようになり、この冬は、デスパイネがキューバリーグのプレーのキャンセルを宣言するなど、他のウィンターリーグ同様の「空洞化」が起こり始めている。今回のMLBへの選手派遣容認の方針はこの傾向に拍車をかけるだろう。

2017年WBC組にはソフトバンクのグラシアルもいる
2017年WBC組にはソフトバンクのグラシアルもいる

キューバ野球の未来像

ジャパニーズドリームを叶えたリバン・モイネロ(ソフトバンク)
ジャパニーズドリームを叶えたリバン・モイネロ(ソフトバンク)

 プロとしての卓越したプレーが銭になることをもはや隠すことはできない。世界中の選手を世界中のプロリーグに売り込むエージェントの組織化が進む中、亡命を止めることはできないだろう。

 国外プロリーグでのプレーを制限すれば、亡命は増えるだろうし、国外でのプレーの制限を緩めれば国内リーグの空洞化は加速度を増す。キューバは今、グローバルスポーツシーンでジレンマに陥っている。

 社会主義が20世紀の遺物となった今、キューバリーグも近い将来プロ化に進むのではないだろうか。その先にあるのはアメリカ野球のファームとしての姿である。

 しかし、これをキューバ野球の衰退と一面的に捉えることもできない。MLBでのプレーが容認されれば、亡命した選手を「裏切者」として排除する必要もない。そうなれば、キューバナショナルチームは、再び「世界最強」の称号を手にするようになるだろう。

キューバの街角で野球をする少年。彼らの夢の射程にメジャーリーグは入っているのだろうか
キューバの街角で野球をする少年。彼らの夢の射程にメジャーリーグは入っているのだろうか

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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