パラ水泳・小池さくらラストレース、水泳の舞台から新しい道へ!
毎年、そのシーズンの日本代表が選出される静岡での大会。今年はパリパラリンピックへの選考会となった。このレースを最後に、東京2020パラリンピック日本代表・小池さくら(22歳)は自らの競技人生に別れを告げた。
3月9〜10日、静岡県の富士水泳場で開催された「2024日本パラ水泳春季チャレンジレース兼パリ2024パラリンピック水泳競技日本代表推薦選手選考競技会」で、東京2020パラリンピック日本代表の小池さくら(大東文化大学)が、自らの競技人生に区切りをつけた。50mS7と100mS7の自由形でラストレースを終えた小池に、インタビューした。
――選考会の緊張のなかでラストレースを終えた今の心境はどうですか?
「私は、選考とは関係ないところでレースをしていましたが、一緒に強化してきた仲間が派遣記録を切ったり、MQSを切ったりして喜んでいるところを見て、私もその中にはいって喜べることがありがたいなという気持ちでした。みんなが活躍している姿を見ることができてよかった」
「このレースが学生としても最後の競技でした。4月から社会人になるので、一つの区切りをつけるつもりで、今までを振り返りつつ泳ぎました。水泳への気持ちはまだ整理できてはいないですけど、これからの1年は仕事(エネルギー系の会社で事務職として働き始めます)を中心にしようと思っています。1年後に水泳を続ける余力があれば、また練習を再開するかもしれません」
――最後のレースで50mと100mの自由形を選んだ理由は?
「400mが私のメインでしたが、前ほどがっつり練習をしていなく、400mを泳ぐパワーとエネルギーがなくなっちゃったというのがあります。今、一番楽しんで泳げる距離だと思ったのが50mと100mだったので、それでエントリーしました」
400m自由形でマケンジーに挑戦!
小池は400m自由形をメインとし、世界チャンピオンのマケンジー・コーン(アメリカ)に憧れ、目標として挑みなから東京をめざした。
東京パラリンピックへ向かう2018ジャパンパラ水泳競技大会で、来日して出場したマケンジーから、「400m自由形はリラックスして泳ぐこと、真剣に楽しむことが強さになる」との言葉を受けとり、以後小池の取り組みを支えていた。
コロナ禍で初の延期となって開催された東京パラリンピックに小池は20歳(大学2年)で出場した。400m自由形S7を泳ぎ、マケンジーが優勝、小池は自己ベストを更新し6位に入賞した。この結果は、彼女にとって将来への可能性を感じさせるものだったが、彼女自身は徐々に新たな道を歩み始める決意を固めていたのかもしれない。
パラ水泳日本代表と大学の部活
小池は生後11か月で罹患した病気により両足が麻痺するという後遺症が残り、小学生のとき水泳の授業で周囲と一緒に泳げないことが悔しく、水泳競技を始めた。
16歳でアジアユースパラ競技大会(2017年・ドバイ)に出場し、日本代表の旗手を務めた。初めてシニア代表として出場したアジアパラ(2018年・ジャカルタ)では、100m平泳ぎSB6で自身のアジア記録を更新、金メダルを獲得した。この記録は現在も破られていない。
しかし、東京パラリンピックという目標が現実に迫り、緊張が高まる時期でもあった高校3年間は、過呼吸に悩みながら競技を続けていた。東京パラリンピックの1年前には腰の分離症で1か月間まったく泳げない苦しい時期も過ごした。
大東文化大学に進学し、水泳部での活動を通じて、あらためて水泳を楽しむ生活が始まった。競技をする仲間が大切なコミュニティであることを自覚し、パラ水泳の大会でも繰り返し大学での充実した活動について語ってくれた。この大学時代、パラスポーツの世界と健常のスポーツの両方で活動することが、小池の成長にとって特徴ある時間を形成していた。
「パラでの経験だけでなく、大学での健常者の中で競技できたことはかけがえのない経験でした。関東インカレやその他の大会に参加して、パラだけでは得られない水泳を大学の部活で経験することができたと思います」
ーー競技生活を振り返ってみて、印象に残ったことは?
「多くの経験をしました。2017年ドバイでのアジアユースパラでの旗手は特に印象深いです。あと東京パラリンピックの閉会式で、国旗のベアラーを務めたことは日本代表として誇りを感じる瞬間でした」
――パラの仲間との交流はどうでしたか?
「東京パラ以降、合宿に参加することが少なくなりましたが、大会で強化の仲間に会うと、エネルギーをもらい、頑張ろうという気持ちになります。同じクラス、同じ出身(さいたま市)の西田杏選手は、プライベートでもよく遊びに行きます。先輩でもありますし、友達として仲良くしてもらっています。今回も派遣記録を突破して、頑張っていて、これからも応援しています」
――パリパラリンピックに向かう仲間たちにメッセージがあれば。
「競技は自分が好きで始めたものだと思います。代表になると、タイムを出さなければというプレッシャーに縛られがちですが、そういう時は始めた頃の気持ちを思い出して、水泳を楽しんでほしいです。楽しんでいるときにベストも出てくると私は信じています」
パラ水泳教強化選手としてストイックに競技に取り組む一方で、小池はつねに友人との日常を大切にしていた。状況を冷静に受け止め、前を向いて挑戦を続けようとし、どんなときも真剣な姿勢は、小池の生き方そのものがアスリートであることを証明していた。競技を離れるとしても、彼女の人生はいつも、パラリンピックムーブメントの一翼を担っていくことだろう。
3月22日には大学の卒業式を迎えた小池さくら。彼女が築き上げ、見せてくれた素晴らしいチャレンジに、ファンとしてお礼を伝えたい。ありがとう。これからの人生がまた楽しく、小池にとってかけがえのない日々となるように祈っている。
(写真・秋冨哲生、山下元気、内田和稔 校正・地主光太郎)
※この記事は、PARAPHOTOに掲載されたものです。