「鈴木孝幸杯」が描く、インクルーシブ水泳の新たな挑戦(後編)
生まれつき四肢欠損で、20年を超えるタイムと向き合う競泳人生を生きるパラリンピアンが、自身の名を冠した「Suzuki Takayuki Cup」を構想した。ここで、ほんの少しその素顔と、代表的な種目である50m平泳ぎへの取り組みを振り返りたい。
「都会の野鳥についての本が面白くて。東京の発展とともに、鳥たちの住む場所も変わってきているんです。その歴史的な変遷が興味深いんですよ」。世界の舞台で活躍するパラスイマー、鈴木孝幸の意外な一面だ。「タイムにこだわる」「水泳一筋」の顔だけが鈴木ではない。将棋、弦楽器演奏と趣味は広がり、読書にも強い関心を持つ。「イギリス留学中に論文を読みあさる中で、知らないことを知りたい、知識欲が満たされる楽しさを知りました」と、知的好奇心の強さを語る。
パラスポーツファンなら誰もが知る最高峰の舞台に立つ鈴木の姿は美しく、迫力がある。それは彼の魅力の一部である。練習とオフ以外にも様々な時間・空間を行き来するなかで育まれた鈴木ならではのユニークな経験や発想から「Suzuki Takayuki Cup」は育まれた。この新たな挑戦は自らの成長の機会ともなっている。
『最近は、キャンプをやりたくて!』と目を輝かせる鈴木は、YouTube動画でキャンプ場情報を熱心に探る。「デイキャンプから始めて、みんなでバーベキューをしたり、各自でテントを張るソロキャンプもいい」と、次々とアイデアを広げる。バリアフリー設備の整ったキャンプ場も増えているという。どちらかというと一人の時間を好む鈴木だが、「共生」を実践する意欲は人一倍だ。そのために自ら行動を起こす、「リーダーの気質」も高く持ち合わせている。
鈴木の魅力は、まだ知られていない部分が多い。この「新たな日常」の実現に向けて、彼の挑戦は続く。
鈴木のメイン種目、パリで16年ぶりに自己ベストを更新した「男子50m平泳ぎSB3」を振り返ってみよう。
50m平泳ぎをめぐる鈴木孝幸の20年
鈴木孝幸のパラリンピックへの挑戦は、2004年アテネ大会に始まる。男子4×50mメドレーリレー20ptsで2泳の50m平泳ぎを務めた。先輩たちと練習して本番を迎え、17歳で銀メダルを獲得した。
以後6大会連続で「50m平泳ぎSB3」を泳ぎ、2008年北京では世界記録をマークしたことで鈴木を代表する種目となった。しかし2012年ロンドンパラリンピックに向けてスランプの時期も経験した。37歳となった今夏パリで、北京から16年の時間を経て自己ベストを更新した奇跡の種目でもある。この種目で鈴木の競技人生に触れてみたい。
「50秒の壁」と向き合う
2008年北京での50m平泳ぎSB3で世界記録(48.49)をマーク、21歳で迎えた2回目のパラリンピックで初めて金メダルをとった。その後、技術的な改善をしようと試みたがうまくいかず、2010年の世界選手権(アイントフォーヘン)で11歳年上のスペインのライバル(Miguel Luque)に敗れた。ミゲルは49.26、鈴木は49.87だった。その後はタイムを落としていき「50秒の壁」に悩むようになった。
フォームの改善など試行錯誤を続けた挙句、2012年ロンドン大会の前に元の泳ぎに戻す決断を下し、スランプからは抜け出せないままロンドンを泳ぐことに。結果として銅メダル(予選51.38/2位、決勝50.26/3位)を獲得しつつも「50秒の壁」を破ることができず彷徨った。
イギリス留学が転機
2013年8月の世界選手権(モントリオール)での50m平泳ぎSB3で49.87をマークし金メダルを獲得した。それとあいまって始まったイギリスでの留学生活がスイッチとなった。また、9月に東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決定し日本のパラスポーツ関係者全てにとっても大きな道が切りひらかれた。
「メダルが取れなかったらやめよう」
2015年のグラスゴーでの世界選手権で鈴木はまたしてもライバルのミゲルに敗れ銀メダルとなった。予選を49.55(1位)で泳ぎ、決勝は二人とも50秒台という悔しいレースだったが、リオパラリンピック前の貴重な経験となった。当初1年のイギリス滞在予定がリオ後へと延長され競技への向き合いを深めるなか「メダルが取れなかったら競技をやめよう」という気持ちが芽生えていた。
そうして迎えた2016年リオでは、4位(予選49.71/2位、決勝49.96/4位)。中国のZhipeng Jinが47.54で世界記録を樹立した。ライバルのミゲルは2位(49.79)。鈴木自身のタイム自体は悪くなかったが、初めてメダルを逃した。「メダルが取れなかったら競技をやめよう」と考えていた鈴木が引退を意識したのはこの時だった。
ジャカルタで「48.87秒」
リオ後も2018年までイギリスでの留学期間が残っていた。そこで鈴木は、ウェイトトレーニング、心理カウンセリング、栄養管理など、それまでやってこなかったことを全て試して取り組んだ。その成果が2018年のアジアパラ(ジャカルタ)で実を結び、北京の世界記録から10年ぶりに50m平泳ぎSB3で48秒台、自身のベストに近い好タイム(48.87)を更新することができた。
パリで16年ぶりの自己ベスト「48.04秒」
東京大会後は、NTC(ナショナルトレーニングセンター・イースト)を拠点に日本代表チームのコーチや後輩たちと共に練習を重ねた。迎えたパリ大会初日の8月29日、男子50m平泳ぎSB3決勝で48.04を記録。北京大会での世界記録から16年ぶり、37歳となった鈴木はベストタイムを更新(日本記録樹立)し、新たな境地を切りひらいた。
インクルーシブ水泳の未来に向けて
2020年、コロナ禍でイギリスから帰国を余儀なくされた際、鈴木は「ストレスはなかった」という。「できないことを嘆くのではなく、その中でできることを最大限やろうと考えました」とパラアスリートらしい環境への適応力を発揮した。自宅でのできる限りのトレーニングに加え、修士論文の執筆に励み、「一五一会」という沖縄の4弦のギターも楽しんだ。
挑戦と日常を繰り返してきた鈴木は、世界であらゆる機能が麻痺したかのような時期にもその中に楽しみを見つけていた。
現在、鈴木は週5日はNTCで練習、週1日は日本パラスポーツ協会に出向し若手アスリート育成の支援に携わっている。
パリ大会で50m×4メドレーリレー20ptで若手選手3人とともに戦ったとき、鈴木は「一緒にメダルを目指して練習し次世代を励ましたい」と語っていた。自身の経験からくるさり気ない言葉の一つに後進を思いやる優しさが見えた。20年のパラ水泳での競い合いのなかで育まれ、成長した鈴木の新たな挑戦にぜひ力をかして欲しい。
ちなみに、鈴木は愛猫家である。インスタグラムにもよく登場するキジトラ柄の「寅さん」は「メイ」が本名だそうだ。
競技への情熱と知的好奇心、そして、温かな人間性を併せ持つ稀有なアスリートの挑戦は、まだまだ続く・・。
「鈴木孝幸杯/Suzuki Takayuki Cup」概要
ポイントシステムでインクルーシブに競い合う世界初の試み!
日程:2024年11月24日(日)
会場:横浜国際プール(サブプール)
主催:鈴木孝幸杯実行委員会
協力:日本パラ水泳連盟(予定)、日本知的障害者水泳連盟、日本デフ水泳協会、川崎水泳協会
特別協賛:株式会社ゴールドウイン スピード事業部
協賛:日本財団HEROs、味の素株式会社
<参考>
・鈴木孝幸杯開催概要(川崎水泳協会PDF)
・鈴木孝幸オフィシャルWebサイト
・インクルーシブへの新たな挑戦「Suzuki Takayuki Cup」がひらく未来(前編)
(取材協力/ゴールドウイン 撮影/秋冨哲生 校正/久下真以子 この記事はPARAPHOTOに掲載されたものとほぼ同じものです)