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ジャンプ改造で苦しんだ高梨沙羅が北京五輪プレシーズンで見せた進化の姿

折山淑美スポーツライター
3月3日、世界選手権女子ラージヒルで、ノーマルヒル銅に続き銀メダルを獲得。(写真:ロイター/アフロ)

 3月28日にロシア・チャイコフスキーのラージヒルで行われた、女子W杯ジャンプ最終戦。試合は2本目が途中で悪天候のためにキャンセルとなり、高梨沙羅は1本目の不利な条件で飛んだ7位で確定。前戦終了時には15点差のトップに立っていたW杯総合1位の座をニカ・クリジュナル(スロベニア)に明け渡し、9点差の2位で4季ぶりの王座奪還はならなかった。

 だが、3勝をあげて自身が持つW杯通算勝利記録を60に伸ばし、表彰台回数も男女最多記録単独1位の109回まで伸ばした今季は、その数字以上の収穫もあるシーズンだった。

五輪3位からのアプローチ

 女子W杯開始からの6シーズンで、総合優勝4回で2位1回、3位1回と圧倒的な強さを誇っていた高梨だが、平昌五輪シーズンは身体も大きくてパワフルな踏切をするマーレン・ルンビ(ノルウェー)やカタリナ・アルトハウス(ドイツ)に圧倒され始め、2度目の五輪だった平昌大会は3位に止まった。

 高梨の、上体を動かさず鋭く飛び出して減速することなく空中姿勢につなげる踏切技術は、他の選手たちの追随を許さない強さを持っていた。だが身体が大きくて助走速度も出て、なおかつパワーを生かす技術を持つ選手が登場してきたことで、選手たちが飛びすぎて怪我をしないようにスタートゲートを下げて、助走速度がそれまでより抑えられる試合設定になってきた。小柄で助走速度が出にくかった高梨には不利な状況にもなった。

 そのために五輪後はジャンプを作り直そうと考え、ジャンプ台にパワーを与える踏切を試みたが上半身が先に動いて体が立ってしまい、彼女の持ち味だった上体の角度をそのまま維持して瞬時に空中姿勢に入る鋭い踏切は影を潜めた。上体が立つことで風圧を受ける面積が広くなり、減速しながら空中を進むことになるのだ。

 次のシーズンは助走姿勢を直すことから始めて踏切もスムーズな形に戻してきたが、今度は踏切でジャンプ台に力を伝えきるまではいかず、なかなか飛距離を伸ばせなかった。

 だが3シーズン目の今季は1月末のW杯から、ジャンプ台に力を伝えつつ、かつてのように鋭く前に飛びだす踏切ができるようになっていた。しっかりジャンプ台を踏みつけることで空中姿勢も安定し始め、課題だった着地のテレマーク姿勢も入れられるようになって飛型点も向上。第4戦で2位になると、第6戦からは4戦3勝、2位1回と調子を上げて3月24日からの世界選手権に臨んだ。

 それでも6回目の挑戦だった世界選手権は、ノーマルヒル3位、ラージヒル2位と悲願の金には一歩及ばなかった。だがその勝負は惜しいものだった。

 特にノーマルヒルは、1本目は2人前のマリタ・クラマー(オーストリア)が追い風が弱くなった中でヒルサイズ超えの109mを飛んだため、次の選手からゲートが1段下げられた。しかも高梨の順番になると追い風が再び強くなる不利な条件。空中で追い風に叩かれた高梨は、着地で足を前後にするテレマーク姿勢を取り切れず、1位に1・2点差の3位に止まった。結局、2本目も3位で1位に3・3点差の3位。1本目で普通にテレマークを入れられれば5点はプラスできて首位に立ち、2本目の100mジャンプでしっかり逃げ切り優勝を果たせていたのだ。

 勝利を逃した瞬間は少し残念そうな表情を見せた高梨は、「2年前の6位からまた表彰台に戻れたのは純粋に嬉しいが、ちょっと複雑な気持もあります」と話し、自身のジャンプをこう振り返った。

「2日間の練習があっての試合だったが、その中でも一番難しい条件の中でした。ジャンプ内容とすれば現地に来てから一番いいジャンプを2本揃えられたし、ようやくジャンプが自分のものになりつつあるという手ごたえを感じています。でも、1本目は『もう少しいけるかな』と思っていたところでスキーが感じる圧力がフッと抜けてしまい、テレマークを入れることができなかった。それが今日の試合の一番の反省点です」

 昨季は助走の滑り出しや初速をテーマにし、助走姿勢の組み方をいろいろ試した。今季はその先の、助走路の角度が変わるRの入り口からテイクオフにかけてを重点的に練習してきた。

「助走の滑り出しからテイクオフにかけての動作はつながってきて、最近は踏切でも安定して同じ角度で出られるようになってきていると思う。でもそこから先の空中の部分はまだ手付かずだったので、今回のような悪条件の中では不安定になってしまった。最近はW杯でもラージヒルが増えていてそこが重要になってくるので、これからは空中でうまくスキーを寝かせて走らせるイメージを、しっかり詰めていきたいと思う」

 平昌五輪後に一度すべてを白紙に戻してから作り直してきた期間は、W杯総合は2季とも4位と苦しんでいた。だが北京五輪を前にして最後の課題も明確になり、先に進める状態になってきた。高梨の表情にも落ち着きと明るさが出てきた。

 世界選手権から2週開いての開催だったW杯ロシア4連戦は、風の条件が目まぐるしく変わる悪条件の中、クラマーの勢いが爆発して4連勝という試合になった。それでも着実に表彰台をゲットした高梨も、進化の姿を見せた。男子のヤンネ・アホネン(フィンランド)が持つ表彰台歴代最多記録の108に並んだニジニタギル第2戦では、1本目2位からの2本目は踏み切った直後に横からの突風にあおられて姿勢が大きく乱された。普通の選手ならそこで崩れてしまうが、高梨はバランスを立て直してK点(90m)に迫る88・5mを飛んで3位と、表彰台を堅持した。「どんな状況になってもK点を超えるジャンプをしないとトップ争いはできない」と反省したが、彼女の技術の確かさを証明するシーンだった。

変遷する世界の勢力図の中で

 15歳で参戦した11~12年のW杯初シーズンは、サラ・ヘンドリクソン(アメリカ)という強敵がいた。その壁を撃破した翌シーズンから高梨は、ほぼ“1強”といえる時代を築いたが、14年ソチ五輪から正式種目になると、ヨーロッパ各国の強化も本格化。平昌五輪シーズンからは、W杯総合3連覇を果たしたルンビなど、パワージャンパーの登場に押される形になっていた。

 そして今季は、その世界の勢力図も大きく変化し始めた。女王・ルンビは世界選手権こそラージヒルとノーマルヒルで金と銀は獲得したが、W杯では4位が最高で表彰台はなし。昨季総合2位のキアラ・ヘルツェルとエバ・ピンケルニッヒ(ともにオーストリア)も不調と怪我で表彰台はなく、昨季から不調のドイツ勢も浮上しなかった。

 一気に力を伸ばしてきたのは、クラマーやクリジュナルなどの19~20歳の選手たち。中でもクラマーは第8戦と9戦はPCR検査陽性のために出場しなかったが、終盤の4連勝を含めて11戦7勝という強さを見せ、女子ジャンプのレベルをさらに押し上げながら、新しい時代を作ろうとしている。

 そんな中での、24歳になる高梨の総合2位は価値の高いものだ。ジャンプ改造で苦しんだ2シーズンでもW杯総合は4位だったが、表彰台の常連だった力を再び取り戻してきた。

 ジャンプはその時々の気象条件に大きく左右されるうえに、その時点での体調や体の変化などにも影響されやすい。そんな繊細さも持つ競技で常にトップレベルを維持し、新たな進化も見せる高梨のすごさは、世界でもリスペクトされるものだ。4季ぶり5回目のW杯総合優勝は逃したが、その強靭な心とジャンプを追求し続ける真摯な気持を、世界に強くアピールするシーズンになった。

スポーツライター

1953年長野県生まれ。『週刊プレイボーイ』でライターを始め、徐々にスポーツ中心になり、『Number』『Sportiva』など執筆。陸上競技や水泳、スケート競技、ノルディックスキーなどの五輪競技を中心に取材。著書は、『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)など。

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