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【河内長野市】え、えっ?河内長野はキリシタンの町だった!マリア像を巡る冬のウォークに参加してきました

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

今日はクリスマスイブですね。クリスマスと言えば一般的にはケーキやごちそうを食べる、もしくはパートナーと一晩を過ごす日という印象があります。しかし、本来クリスマスとは、キリスト教のイエス・キリストの誕生を祝う日です。

奥にあるのが高野山真言宗の月輪寺
奥にあるのが高野山真言宗の月輪寺

さて、自然と歴史のある河内長野を宗教面で考えた場合、真言宗の寺院がとても多いことが目につきます。高野山に近く、紀見峠と紀ノ川を越えるだけという立地や京都や大阪、堺方面から複数の高野街道がひとつに合流しているというのも関係していそうです。

しかし、河内長野には意外にもキリスト教との接点があります。それはキリシタンの町とされている点です。戦国時代には伊地知文太夫などキリシタンの武将が実際にいたという記録も残っています。

流谷にある十三仏
流谷にある十三仏

背景には宗教改革で、ヨーロッパでプロテスタントが誕生した際に、危機感を持ったカトリック教会のイエズス会が中心となって世界宣教に乗り出したからです。フランシスコ・ザビエルもそのようにして戦国時代の日本に上陸しました。流谷の十三仏など河内長野にもいくつか点在していますが、それに限らず、都があった京都に近い、河内国の各地にキリシタンの足跡がいくつも残っています。

日本基督教団 河内長野教会
日本基督教団 河内長野教会

ただし、戦国時代にキリスト教をもたらしたカトリック教会は、現在の河内長野市内にはなく、明治以降の宣教で設立されたプロテスタント教会のみ存在しています。

そんなタイミングで、12月の初め、河内長野観光ボランティア倶楽部が冬のウォーキングを企画していたので、とても気になった私はそのウォークに参加してきました。

さて、今宵から始まるクリスマスイブ(24日の日没から日付が変わるまで)と明日のクリスマス本番(25日の日没まで)を前に、戦国時代の河内長野に存在していたキリシタンの足跡をボランティアガイドさんの案内でご紹介しましょう。

私は普段なら単独で町歩きをするのですが、ボランティアガイドさんの情報はとても豊富で、単独では見られないような特別なものを見られる機会があります。保険料としてひとり300円を払えば、博識のあるガイドさん付きで町歩きができるわけですね。

最初に向かったのは鳴滝のマリア像です。河内長野駅から石川に架かる黄金橋(こがねばし)を渡ります。

途中途中でガイドさんが説明をします。これは黄金橋よりひとつ下流の橋である諸越橋の説明で、このように図や写真をもとに説明してくれます。

黄金橋を渡りしばらく歩くとこちらから、マリア像が見られるといいます。昨年の夏に、マリア像があると知ったので、一度単独で探してみましたが、入る場所をひとつ間違えてしまったため見ることができませんでした。

そういうことがあったので、今回はリベンジの意味も込めてボランティアガイドさんのツアーに参加しました。本当にちょっとしたところで確認できないということだったんですね。この日急激に気温が低かったのか、滝のあたりに霧のようなものが見えました。

こうして奥まで来ました。実はこちらの水路をまたぐ必要があります。横にある金網に足を引っかけると越えられます。

そして水路をまたぐと、ふたつある像を見つけました。

特に奥にあるこちらの像です。こちらは首がありませんが、隠れキリシタンのマリア像ではとされるものです。手には数珠に似たものがありますが、あれはカトリック教会で「アヴェ・マリア」を繰り返し唱えながら、福音書に記されているイエス・キリストの主な出来事を黙想するときに使うロザリオらしきものを持っているというのです。

拡大するとよりわかります。手に持っている下に十字架らしきものが見えます。

次は、野作町にマリア像とされるものがあるので、そこに向かいます。ただ歩いている所々で見どころがあれば、今回のテーマとは無関係にボランティアガイドさんが説明してくださいました。たとえば、こちら長野商店街のアーケードの隙間から見える煙突は、上堂醤油蔵さんのもの。

途中で、河内西代藩の陣屋跡があるということで、その説明もありました。陣屋跡も単独で行きましたが、やはりボランティアガイドさんの説明があると、手元にある資料などを基に説明してくれるのでよりわかりやすいですね。

西代神社に到着しました。まだ今年、令和6年の絵馬が飾られていますね。(訪問した12月9日時点です)

さて、野作町に到着しました。地車小屋の前には小さな地蔵堂とその隣にあるのが薬師堂です。ここは通常非公開の場所ですが、今回は特別に入場できました。ただし、内部の撮影は禁止でした。

ここには、白衣観音と呼ばれる観音像があり、それがマリア像ではないかという話題でした。撮影禁止なので画像はありません。

ちなみに白衣観音はパーンダラヴァーシニーと呼ばれるもので、インドで古くから崇拝したものが日本に渡ってきました。仏教に取り入れられてからは阿弥陀如来の明妃(みょうひ)とあります。明妃とは仏の知恵(真言)を身につけた偉大な人(明王)の女性という意味合いがあるとのこと。

そして白衣観音は観世音菩薩の母として拝まれていたという記載から、母つながりでマリアと結びつけて、マリア観音のように隠れキリシタンがひそかに拝んでいた可能性があるわけです。

野作から西代に戻り坂を下ります。そのまま高野街道に入りました。

高野街道を烏帽子形神社に向かう途中で、喜多町にある大日寺老人憩の家に来ました。

ここにも隠れキリシタン信仰を連想する像があるというのです。

こちらです。地蔵菩薩のように見えますが通常の地蔵菩薩と違い手を胸に合わせ、さらに十字架のような物が浮き出ているとのこと。こじつけのようにも感じますが、こじつけと思われるレベルで信仰しないといけない江戸時代。見つかると処刑されてしまいますから慎重な仕上がりです。

烏帽子形八幡神社まで上がりました。

烏帽子型八幡神社の絵馬は気が早いのか、すでに令和七年の巳(蛇)になっていました。

烏帽子形八幡神社の後烏帽子形城の入り口の公園で昼休憩を取った後、三日市駅に向かって歩きます。その途中にある上田の地車小屋と再現された高札場です。

ここにあるのが増福寺ですが、ここにもマリア像らしきものがあるといいます。そしてここに関しては撮影の許可が下りました。

それがこちらです。左にある小さな像です。野作の白衣観音もそうでしたが、隠れキリシタン由来とあり、マリア像が小さいのが特徴ですね。

拡大しました。表向きは観音像なので、マリア観音である可能性がある一体です。普段は見ることができませんが、ボランティアガイドのツアーに参加したので拝見することができました。とても荘厳で美しい姿ですね。

そして、首が取れるようになっていました。このようにしてうまくごまかしていたわけですね。

三日市宿の名残がある通りを三日市町駅まで歩き、楠木正成の子ども時代、多聞丸が大江時親から兵法を学ぶ像の前で解散となりました。

さて、河内長野ボランティア倶楽部では毎月のようにウォークガイドを行っています。1月は天誅組の足跡を歩くツアーで2月以降は画像の通りです。単独での町歩きではわからないことがボランティアガイドのウォークでは教えてもらえるので、詳しい歴史などを知りたい方は参加してみてはいかがでしょう。

鳴滝のマリア像

住所:大阪府河内長野市末広町
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩3分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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