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「人権」問題としての「タバコ」を考える

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 2020年になった。4月1日からは改正健康増進法の全面施行となり、タバコを吸えない場所が大幅に増える。喫煙者にとって厳しい環境になるが、なぜタバコがこれほど批判されるのか、人権という側面から考えてみたい。

タバコを吸う権利とは

 喫煙者はよく「法律で禁止されていないタバコを吸うのがなぜ悪いのか」とか「タバコを吸うのは自由意志による権利だ」という。また、タバコ会社は「吸う人と吸わない人が共存できるようになればいい」という。

 果たしてタバコを吸うのは正当な権利なのだろうか。喫煙者にはタバコを吸う権利があるのだろうか。

 また、タバコの煙を意図せず吸わされる受動喫煙の場合はどうなのだろうか。受動喫煙を受ける人に人権はないのだろうか。

 これについて先日、都内で開かれた国際会議に出席していた岡本こうき弁護士に話を聞いた。岡本弁護士は、東京都議会議員(都民ファーストの会)としてタバコ問題に取り組み、「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」や「東京都受動喫煙防止条例」の制定に尽力した。

──タバコを吸うのは喫煙者の権利なのでしょうか。

岡本「喫煙の自由は、服装やヘアスタイルの自由と同じく、憲法13条『幸福追求権』の一部としての『自己決定権』として認められるという学説があります(一般的自由説)。しかし、通説(人格的利益説)は、『幸福追求権』に含まれる人権を『人が自律的な人格的存在として生きていく上に必要不可欠な法的利益』=『人間の尊厳の基本に関わる権利』だけに限定してとらえます。これについて最高裁の判決(※1)でも、喫煙の自由は憲法13条によって保障される基本的人権に含まれるか否かについては仮定的説示にとどまった上で(※2)、あらゆる時と場所でその自由が保障されなければならないものではなく、制限に服しやすいものとして、必要かつ合理的な制限は憲法13条には違反しないとしています」

──喫煙者にはタバコを吸う権利はないということですか。

岡本「タバコを吸う自由はあります。喫煙は憲法上、保障された権利ではないという意味です。人が生きていく上で必要不可欠な法的な利益だけが幸福追求権に含まれ、喫煙は必ずしもそうではありません。また、喫煙者が、行政や雇用主等に対して、喫煙場所を供与するよう積極的な作為を求める、いわゆる喫煙権の「請求権的側面」も、認められません。『喫煙の自由』は、他者危害を生じさせない範囲(内在的制約)で喫煙する場合に不干渉・不作為を求める「自由権的側面」に限り認められます(※3)」

──喫煙という行為は、自己決定権における喫煙者の自由な選択的行為なのでしょうか。

岡本「タバコ会社は、喫煙による健康への害などの情報を十分に伝えていません。タバコを吸うか吸わないかという選択について、喫煙者は十分な知識をもって判断できないといえます。さらに、タバコ製品には例外なく依存性の強いニコチンが含まれているため、タバコをやめたくてもなかなかやめられない喫煙者も多いのです。つまり、ニコチンによって自由意志が阻害されていることになります。そもそも、喫煙を開始する年齢は、過去の研究から多くが未成年時とされています。未成年者が十分な判断能力と知識をもって喫煙を開始したとはいえないでしょう」

喫煙者に対する人権侵害と受動喫煙

──タバコを吸う人にとっても人権問題があるということでしょうか。

岡本「その通りです。日本の政府やタバコ産業が、タバコの健康への害やニコチンの強い依存性について十分な説明をせず、タバコの拡販政策を行ってきたことは、喫煙者の自己決定権を侵害していると考えられます。自己決定権の保障には、十分な情報提供(インフォームドコンセント)が前提として必要です。断片的で不十分な知識しか与えられない状態では、『自由な選択』や『自己決定権』を保障したとは言えません。海外で普及しているパッケージ箱に写真を掲載した警告表示(Picture Warning)を日本も早急に導入すべきです。また、私は、ニコチンの強い依存性や薬理作用からすれば、本来タバコ商品には、医薬品の添付文書と同様、その有害性(副作用・リスク情報)や禁忌について詳しく記述した添付文書を同梱すべきだと考えています」

──改正健康増進法は受動喫煙防止を目的にしています。

岡本「受動喫煙の他者危害は明らかな人権侵害です。『汚染のない良好な空気を吸う権利』は環境権、人格権、健康権と関連付けてとらえることができます。タバコを吸わない人には『受動喫煙させれらない権利』、すなわち『タバコの煙によって汚染されていない清浄な空気を吸う権利』があると考えられ、この権利は、憲法13条の幸福追求権に根拠を求めることも、人格権に含まれると解釈することも可能とされています(※4)」

──タバコは、きれいな空気を吸うという人権を侵害していると。

岡本「そうです。空気を呼吸するという権利は、実定法に規定はありません。しかしそれは憲法や法律で改めて認めてもらわなくても、人間が生まれながらにして持つ当然の権利と考えられています。これは日本国憲法の第13条、そして第25条が当然に前提としている権利でもあるのです」

──「喫煙の自由」と「汚染されていない清浄な空気を吸う権利」との関係は。

岡本「そもそも自由や権利は『これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ』(憲法12条)とされ、この『公共の福祉』とは、他の人権と相互に矛盾・衝突する場合を調整するための原理であると解釈されています。そして、『喫煙の自由』は、本質上『他者に迷惑を与えない』ことを内在的制約としており、『他人に受動喫煙をさせてもよい権利』などはもともと含まれておらず、したがって『受動喫煙させられない権利』とは相反しないと解されています(※5)」

人権と政府の責任

──「喫煙の自由」と「汚染されていない清浄な空気を吸う権利」とを調整するために、法律や条例によって前者を規制し、後者を保護するというのは、どのような根拠に基づくのでしょうか。

岡本「ホッブス(Thomas Hobbes、1588〜1679)の社会契約論によれば、そもそも国家は国民の安全を保障する義務があるとされます。これを『安全権』(※6)と呼ぶことがありますが、身体的・健康的な安全が危険にさらされるような状態から脱却するため、国民は国家に対して一定の措置を講じるように要求できるのです。憲法13条『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、〜立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』との表現にはこうした趣旨が含まれると解されています。今回の改正健康増進法及び受動喫煙防止条例の基本的な理念である『受動喫煙の防止』は、幸福追求権の中の身体的人格権、つまり安全権の保障にあるといえます。もっとも日本には、『たばこ事業法』のような法律があり、国家(大蔵省・財務省)がタバコの拡販政策に携わっています。『安全の庇護者』たるべき国家が、安全の侵害者でもあり続けているということは、忘れてはなりません」

──人権に関するタバコ問題として、他にはどのようなものがありますか。

岡本「タバコ産業による児童労働搾取の問題があります。JT(日本たばこ産業)は、国内のタバコ農家から葉タバコを買っていますが、その割合はかなり低く、多くの製品で海外の安い葉タバコを輸入してタバコを製造販売しています。インドネシアやマラウイなどのタバコ農家では、児童労働の人権侵害が問題になっています。葉タバコ収穫に従事する子どもの皮膚からニコチンが吸収され、脳発達への悪影響などの「緑タバコ病」が生じています(※7)。このことは、日本も批准している児童労働に関するILO条約などに違反していると考えられます」

──タバコ問題を人権の問題としてとらえると、これまで解決できていないどんな問題を解決することが可能でしょうか。

岡本「タバコ商品は児童労働搾取を経て製造され、タバコを吸う本人へのインフォームドコンセント・自己決定権を侵害した形で販売され、周囲の人間へ受動喫煙という他者危害を引き起こしつつ使用されるという、製造・販売・使用の各過程において『人権侵害』を伴う商品です。タバコは単なる『嗜好品』などではなく、『人権侵害商品』として考えることで、人々の意識を変革することにつながると考えています。私が所属する第二東京弁護士会では、2010年に『人権擁護委員会』の中に部会を設けて活動してきました。また、人権侵害の解決を政治的な目標として掲げることで、立法機関や行政機関に受動喫煙防止などの法律条例制定の必要性を理解してもらったり、政策の優先順位を上げるように働きかけやすくなったりすると期待しています。タバコ裁判のような司法の場面でも、人権問題として主張することによって最高裁判所の審理対象になり得るという点で意義があると思います」

画像

2019年10月13〜15日、東京・国立がん研究センターで開催された第15回 国際タバコ病予防学会(Tobacco Induced Diseases、TID)に出席した岡本こうき弁護士(左)とローラン・フーバーさん。タバコは人権問題と訴えた。撮影筆者

日本政府も憲法違反

 同じ国際会議では、タバコ問題に取り組む英国の団体ASH(Action on Smoking and Health)のエグゼクティブ・ディレクター、ローラン・フーバー(Laurent Huber)さんにも話を聞いた。フーバーさんは、タバコ問題を人権問題として考える活動を長くしてきた。

──国際的にみると、日本でのタバコ問題はどのような状況でしょうか。

フーバー「日本の政府は依然としてタバコ会社(JT)の株を1/3以上持っています。そのせいもあって、反タバコの国際組織による評価(Global Tobacco Industry Interference Index country ranking)で日本はタバコ産業からの干渉度が世界の33カ国中で最もひどい国なのです。国際的にみても、他国ではタバコ行政は国民の生命や健康に関わる厚生労働省のような機関が管轄していますが、日本ではタバコは財務省の管轄になっていてかなり特殊です。タバコの煙から市民を守らず、タバコ産業からの影響を排除して健康政策を実施できない日本政府は日本国憲法第25条に違反していると考えています。また、日本は多くの国際的な人権条約を批准していますが、その条項にも違反しているのです」

──タバコ産業は、害の低減をアピールした製品を市場に投入していますが。

フーバー「新しいニコチン・デリバリー製品である電子タバコや加熱式タバコなどの新型タバコが登場したことで、国際的にタバコ規制が混乱させられているのは事実です。従来の紙巻きタバコから新型タバコへ切り替えることが喫煙者やタバコを吸わない人の公衆衛生上の利益になるとタバコ産業は主張していますが、嘘と欺瞞を塗り重ねてきた過去のタバコ産業の所業を考えればこの主張には首をかしげざるを得ません」

──新型タバコも人権を侵害しているのでしょうか。

フーバー「新型タバコにも依存性の強いニコチンが例外なく含まれています。タバコ会社自身が述べているとおり、新型タバコは全く無害ではないため、喫煙者はニコチンの依存性のために無害ではないタバコ製品を長く恒常的に吸わなくてはならなくなります。単に金儲けのために依存性が高く有害な製品を売り続けているタバコ産業の行為について、私は倫理的に糾弾されるべき問題であり、人権侵害の罪に値すると考えています。ニコチン依存から自由になるという人権を確立させることは、21世紀の私たちに課せられた使命なのです」

 国連の人権委員会は日本政府に対し、基本的自由の制限が懸念されるため、国際人権規約に基づいて国内法を規約に合致させるように何度も勧告してきた。また、日本は国際的なタバコ規制枠組条約(FCTC)を批准しているが、その多くの規約をないがしろにしている。

 タバコ問題を人権の問題として考えた場合、日本は依然として国家が国民の人権を侵害し続けているといえるだろう。

日本国憲法前文

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法 第12条〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

日本国憲法 第13条〔個人の尊重と公共の福祉〕

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法 第25条〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕

 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法 第26条〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕

日本国憲法 第27条〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕

 3 児童は、これを酷使してはならない。

日本国憲法 第98条〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕

 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

※1:最高裁大法廷判決 昭和45年9月16日 民集、第24巻、10号、1410頁、判例時報、第605号、55頁

※2:最高裁調査官 宇野栄一郎、「時の判例」、ジュリスト、第469号、253頁、1971年1月1日

※3:岡本光樹、「『喫煙権』という主張は認められるのか?」、職場の喫煙対策を考える禁煙の教科書、2019年9月10日

※4:神戸大学教授 阿部泰隆、「喫煙権 嫌煙権 タバコの規制」、ジュリスト、第724号、40頁、1980年9月15日

※5:田中謙、「『非喫煙者の権利』は、『喫煙の自由』の内在的制約を顕在化させたものである」、関西大学法学論集、第63巻、第6号、103頁、2014年

※6:中央大学教授 長尾一紘、「判例演習憲法2」、法学教室、第148号、115頁、1993年1月

※7-1:Human Rights Watch 2016年5月25日報告 「インドネシア:たばこ農場が潤う陰で苦しむ子どもたち

※7-2:NHK BS1ワールドウオッチング国際報道2016特集、「衝撃ルポ タバコ産業盛況のかげで苦しむ子どもたち」、2016年9月14日

※7-3:毎日新聞、「インドネシア葉タバコ農園の小児労働・緑タバコ病・貧困と搾取」、2014年2月2日

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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