大気中CO2濃度が去年は飛躍的に増加 世界のCO2排出量は横ばいなのに、なぜ?
前の記事に、興味深いコメントを頂いた(前の記事の内容とはあまり関係ないのだが、記事の前提には大きく関わることだ)。
報道によれば、大気中CO2濃度が2015年は飛躍的に増加したが、同時に、世界の人間活動によるCO2排出量は横ばいであった。これは、「人間活動によって大気中CO2が増加している」という通説と矛盾しているのではないかということだ。もっともな疑問だと思う。
同様な疑問をお持ちの方がいらっしゃるかもしれないし、少し丁寧に説明しておきたい。
先に疑問への回答を簡単にいうと、2015年に大気中CO2濃度が飛躍的に増加したのは、エルニーニョ(気候の自然変動で、熱帯東太平洋の海面水温が上昇する現象)に伴って陸上生態系のCO2吸収量が極端に少なくなったためと考えられる。しかし、人間活動によるCO2排出量も(去年は横ばいでも)長期的に増加を続けており、原因の一端を担ったといえる。
大気中のCO2の収支
大気中に蓄えられているCO2の量は、人間活動によるCO2排出の分だけ増加し、海洋と陸上生態系に吸収される分だけ減少するので、濃度変化はその差し引きで決まる。
図は、国際的な専門家のグループGlobal Carbon Projectが毎年発表しているCarbon Budgetの2015年版に掲載されているCO2の収支のグラフである(ちなみに、ある年に国内で排出が許されるCO2の量という考え方を「炭素予算」の意味でcarbon budgetということがあるが、ここでは違う意味なので注意)。
お金の収支に例えると、大気中CO2濃度が「残高」の指標で、人間活動による排出は「収入」、海洋と陸上生態系による吸収は「支出」だ。収入が横ばいでも、支出が急激に減れば、残高が急激に増えるのは誰にでも理解できるだろう。
図をよく見てみよう。
グラフの上側が「収入」の部である。大部分がエネルギー・産業起源の排出(灰色:Fossil fuels and industry)で、長期的な増加傾向にある。もう一つは森林伐採などの土地利用変化による排出(黄土色:Land-use change)だが、長期的にはほぼ横ばいで、近年の総排出量に占める割合は1割程度だ。
グラフの下側は、3割程度の陸上生態系による吸収(緑:Land sink)、2割5分程度の海洋による吸収(青:Ocean sink)が「支出」の部、残った4割5分程度が、「当期収支差額」である大気中CO2の増加(水色:Atmosphere)だ。
陸上生態系による吸収は年々の変動が激しく、人間活動による排出および海洋による吸収は変化が比較的なめらかなのがわかる。結果的に、大気中CO2の増加は陸上生態系による吸収の変動を反映して激しく変動する。
原因はエルニーニョと人間活動
陸上生態系による吸収の変動は主に気候の自然変動によって生じる。
去年から今年のような強いエルニーニョが起きると、高温による植物の呼吸の増加や土壌有機物の分解の増加、森林火災の増加、地域によっては少雨による植物の成長阻害が起きて、陸上生態系によるCO2の吸収が弱まると考えられる。
図は2014年までしかデータが無く、去年の変化を見ることはできないが、以前に強いエルニーニョが起きた1997~98年ごろを見ると、陸上生態系によるCO2吸収がほぼゼロまで弱まっていたことがわかる。
そういうわけで、去年のCO2濃度の増加が(たとえば一昨年と比べて)急激だったことの直接的な原因は自然変動、特にエルニーニョである。しかし、人間活動によるCO2排出量は長期的に増加が続いているので、以前に強いエルニーニョが起きた1997~98年ごろと比べても、3割以上増加しているのだ。
去年のCO2濃度の記録的な増加は、エルニーニョと、人間活動による排出の増加の両方が原因であると言って、なんら間違いは無いだろう。
そして、長期的な傾向としての大気中CO2濃度の増加の原因が人間活動によるCO2排出であることは、この図を見れば疑いようがない。
世界のCO2排出量が横ばいになったことに注目
ところで、この機会に、去年の人間活動による世界のCO2排出量が横ばいだったことにぜひ注目してほしい。
過去に、世界のCO2排出量が減少したことはあるが、2008年のリーマン・ショック後などのように、世界経済の停滞にともなうものであった。ところが、去年は歴史上初めて、世界経済が成長しているにもかかわらず、CO2排出量が減少した。その要因として、再生可能エネルギーの増加があげられている。
特に中国は、2030年までに排出量がピークを迎えることをパリ協定に向けた国別目標に掲げていたが、昨年の排出量が既に減少に転じているのだ。
今年以降、このまま世界の(特に中国の)排出量が順調に減少に転じるのかどうかはわからない。しかし、少なくともここに、「脱炭素革命」に向けた希望を見出すことができる。