平成サッカー負の遺産。川崎対湘南戦で見た日本の特殊性とは
昭和から平成へ。世界との距離は急速に接近した
平成から令和に移ろうとしているいま、特別な感情がこみ上げているわけではないが「この30年間のサッカー」という視点に立てば、触れずにはいられない事例が多々ある。
昭和の時代はいま振り返れば冬だった。冬であるとの認識すら持てない、閉ざされた世界の中に身を委ねていた。
常に世界との関わりを余儀なくされているスポーツの世界では、元号を用いる機会はただでさえ少ないが、昭和から平成に入るとその傾向はさらに加速した。
サッカーは特にそうだった。平成元年は1989年と言った方が、その背景ははるかに鮮明になる。
西ドイツが優勝したイタリアW杯の1年前であり、オランダが優勝した欧州選手権(現ユーロ)西ドイツ大会の1年後だ。さらに個人的な取材歴を基に語れば、この1989年には、コパ・アメリカ(ブラジル大会)も開催されている。20万人近い観衆で埋め尽くされた旧マラカナスタジアムの光景は、いまだ記憶に新しい。
当時、そこは遠い世界だった。実際の距離はいまも変わらないし、所要時間にも大きな変化がない。いま本場が近く感じられる原因は、情報を得やすくなったことと関係がある。
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