饅頭は鎌倉時代から食べられていた、和菓子の歴史
お菓子が好きな人は老若男女問わず多いです。
その中でも和菓子はユニークな歴史をたどっていき、江戸時代にその花が開きました。
この記事では饅頭の歴史について紹介していきます。
鎌倉時代から食べられていた饅頭
饅頭といえば、今や日本各地で名物として親しまれているものの、その歴史はなかなかに複雑です。
伝来に関しては大きく二つの説が存在しているのです。
一つは鎌倉中期の禅僧、聖一国師(円爾)によるものです。
1241年、彼は宋から帰国し、九州博多で托鉢をしていた際、茶店の主人に饅頭の製法を伝授したといいます。
この饅頭は酒種を使ったため「酒饅頭」と呼ばれ、博多の虎屋がその起源を担うこととなったのです。
もう一つの説は、京都建仁寺の龍山徳見が1350年に元から帰国した際、彼に同行してきた中国人の林浄因が奈良で饅頭を広めたというものです。
林浄因の家系は「塩瀬姓」を名乗り、彼が作った「塩瀬饅頭」はその名の通り、今も名高い存在となっています。
京都の烏丸三条は、かつて「饅頭屋町」と呼ばれ、塩瀬家が茶の湯の袱紗も創始したという伝承も残っているのです。
これらの説に加え、実は饅頭の歴史はさらに古くさかのぼることができます。
曹洞宗の開祖である道元が1241年に書いた『正法眼蔵』には、僧侶たちが「饅頭」を点心として食べていた記述があり、これが日本での饅頭の最初の記録とされるのです。
このことから、饅頭が寺院で精進料理の一環として供されていたことがうかがえます。
いずれにせよ、饅頭の伝来には禅僧が大きな役割を果たしていたのは確かです。
13世紀から14世紀にかけて、禅僧たちは日中間を活発に行き来し、饅頭だけでなく、仏教や文化、外交の面でも多くの交流をもたらしました。
饅頭の歴史も、そうした日中交流の産物として広がっていったのです。
現在では、葛饅頭や酒饅頭、薯蕷饅頭、そば饅頭など、材料名に由来するものから、薄皮饅頭やおぼろ饅頭のように形状に由来するものまで、全国各地でさまざまな種類の饅頭が楽しめます。
しかし、その伝来の詳細や発展の過程は、いまだに謎に包まれた部分も多いのです。
参考文献
並松信久(2021)「和菓子の変遷と菓子屋の展開」京都産業大学『日本文化研究所紀要』第26号