亡き祖父母に誓う、復活の勝利へ向けて模索するジョッキーのストーリー
祖母に言われた言葉
デビュー2年目に、早くもGⅠに乗ろうか?!という活躍をみせたジョッキーが、現在、苦しんでいる。
2015年。スイートピーSで2着となりオークス(GⅠ)の出走権を得たトーセンナチュラル。樫の女王決定戦へと導いたのは、井上敏樹。デビュー2年目だった彼は、GⅠに騎乗するための条件である30勝にまだ到達しておらず、その鞍上を他に譲らざるをえなかった。
1994年12月5日、埼玉で生まれた。両親と兄、弟と妹、そして母方の祖父母との8人家族だった。
「小、中学とサッカー部で、キャプテンもしました。当時はJリーガーになりたくて、家族も皆、応援してくれていました」
しかし、身体が小さくて断念。そんな頃、出合ったのが“馬”だった。
「中学の時に母に勧められて乗馬を始めました。毎週乗るうちに面白くなり、競馬も見るようになったので、騎手を目指しました」
中3でそう決心したが、競馬学校の受験期限が過ぎていた。そのため1年、高校に通った後、改めて受験をすると合格。その後、14年に美浦・本間忍厩舎から騎手デビューを果たした。
「Jリーガーを諦めて騎手を目指した時も、家族は皆、応援してくれました」
実際にデビューすると、とくに祖母によく言われていた言葉が、身に沁みて分かるようになった。
「小さい頃から祖母に『感謝の気持ちを忘れてはいけない』と口酸っぱく言われていました。社会に出て、改めてその意味を理解出来るようになりました」
悔しい敗戦
1年目は7勝に終わった。満足出来る成績ではなかったが周囲に対する「感謝の気持ちは忘れなかった」。そんな姿勢を周りの人達も見ていてくれたか、2年目には23勝。先述したトーセンナチュラルでのオープン勝ちもマークするなど、躍進した。
「デビュー戦などは自分でも分かるくらいガチガチになっていました。でも、経験を積んで、勝たせてもらえた事で、流れもだいぶ分かるようになり、少しずつですが、自信をつける事が出来ました」
それなりの成績を残した3年目には「今でも悔しい」と語るレースがあった。16年5月1日の新潟競馬場。この日のメイン・谷川岳Sで、井上は3番人気のヤングマンパワーに騎乗した。
「有力馬なので、騎乗依頼をいただいた段階で嬉しかったです。追い切りでも、競馬当日も、好感触で、レースには良い緊張感をもって臨めました」
ゲートが開くと好位をとれた。直線へ向き、追い出すと先頭に躍り出た。
「自分の中では良いタイミングで追えたと思ったのですが、結果的に少し早過ぎて、最後に差されてしまいました」
クビ差2着で悔しい思いをしたが、本当の悔しさはその先にあった。次走で、戸崎圭太に乗り替わったヤングマンパワーは2つの重賞を含む3連勝をあっさりとマークしたのだ。
「戸崎さんとの差を痛感し、悔しさが強くなりました」
祖父母が相次いで他界
ただ、悔やんでばかりもいられない。レースを何度も見直す等、自分なりに努力を重ねた。しかし、そんな姿勢とは裏腹、成績が下降線を辿り始めた。
「減量が無くなり、乗り鞍が激減してしまいました」
乗り数が減れば勝利数も減るのは当然。18年にはキャリア最低となる5勝。そんな頃、プライベートでも、悲しい出来事に見舞われた。祖父が他界。更に2年後の20年8月、追い打ちをかけるように祖母も鬼籍に入った。
「ずっと応援してくれていた祖父母が相次いで亡くなってしまいました。事前に母から『容態が芳しくない』との連絡はもらっていたのですが、実際に亡くなると、ショックは大きかったです」
同年5月から勝ち星に見放されると、翌年21年からは和田勇介厩舎に所属を変更。更に翌22年の暮れにはチャンスを求め、障害練習をすると、今年に入ってから、実際に障害レースでの騎乗も始めた。
「伴(啓太)騎手に相談して障害を始めました。石神(深一)先輩は馬場まで来て指導してくれるし、森一馬先輩は木馬を使って教えてくださる。小牧加矢太君は馬術上がりなので理論的に教えてくれるし、皆さんに助けてもらっています」
他にも「自由にやらせてくれる」という和田や「勝てていない僕を優先的に指名して乗せてくださるオーナー」である吉田勝利氏など「沢山の応援してくださる方々に感謝しています」と言い、更に続ける。
「そういう方々に応えるためにも結果を出さなくてはいけないので、今は月曜日も乗馬クラブで障害練習をする等、自分なりに努力を続けています」
誓った復活の勝利
そんな井上だが、今週の頭、14日の月曜日には故郷である埼玉にその姿があった。
「お盆なので祖父母のお墓参りに行ってきました」
2人の葬儀は共に競馬開催日と重なったため、参列出来なかった。そのせいもあり「今の僕の成績では気が気じゃなくて、ゆっくり休めないと思います」。だから、掌を合わせて言った。
「必ず勝てるようになるので、見ていてください」
デビュー2年目でオープン競走を勝つようなジョッキーである。何かきっかけさえつかめば復活するだろう。祖母他界後の初勝利は、近くまで来ている。そう信じたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)