「毒殺はプーチン大統領も承認の可能性」リトビネンコ事件で公聴会が結論
秒単位で再現された犯行現場
元ロシア連邦保安庁(FSB)幹部アレクサンダー・リトビネンコ氏(当時44歳)が2006年11月、ロンドンのホテルでお茶に放射性物質ポロニウム210を入れられ、毒殺された事件の公聴会(公開調査)の報告が21日、ロンドンの王立裁判所で行われました(日本時間同日午後7時開廷)。
ロバート・オーエン裁判官は公聴会で証拠を調べた結果、すでに起訴されているロシア人2人の犯行を断定した上で、FSBに指示されたのはほぼ間違いないと認定、「おそらくロシアのプーチン大統領やニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)は承認していた」と結論付ける報告書を発表しました。事件から9年2カ月余、プーチン大統領が承認していた可能性を指摘したことでキャメロン英政権はロシア人の実行犯2人の引き渡しを改めて求めるとみられます。
英露関係はウクライナ危機とマレーシア航空17便撃墜事件で冷戦終結後、最悪の状態になりました。しかし過激派組織IS対策をめぐって欧米諸国とロシアが協調に向けて舵を切り始める中、公聴会の報告書で英露関係が再び冷え込むのは必至です。当初、公聴会は13年5月に死因審問として開かれる予定でした。しかし、オーエン裁判官が公聴会の開催を求め、メイ内相がこれを拒否。リトビネンコ氏の妻、マリーナさんの訴えが裁判所で認められて、ようやくメイ内相は14年7月に公聴会を開くことを決定しました。
公聴会は半年の間に計34日開かれ、62人の証人が証言、1万5千ページに及ぶ証拠が調べられました。リトビネンコ氏は英国の対外情報機関MI6のため働いていましたが、国家の安全保障に関わるとしてMI6関連の証拠は開示されませんでした。しかし、CCTV(防犯カメラ)の記録、クレジットカード、公共交通機関のICカードの使用履歴、ポロニウム210の痕跡が証拠として提出されました。
まさに、秒単位でリトビネンコ氏や関係者の動きが公聴会では再現されました。実行犯2人の犯行は100%証明された上、(1)致死量のポロニウム210を製造できるのは世界中でロシア西部サロフの国家施設アヴァンガルド・プラントだけ(2)06年10月にもリトビネンコ氏はポロニウム210を盛られていた(3)FSBの関与はほぼ確実である――ことが明らかにされました。
サロフは旧ソ連時代には「アルザマス16」の名前で呼ばれていた秘密核兵器開発都市です。
FSB長官も承認
ロシア側が反証しない限り、ロシアの国家関与が認定されるケースであると、オーエン裁判官は公聴会の初めに宣告しています。問題はロシアの誰がリトビネンコ氏の毒殺を命じたかでした。オーエン裁判官は状況証拠を積み重ね、プーチン大統領やパトルシェフFSB長官の承認がなければ、ポロニウム210を使ってリトビネンコ氏を毒殺することはできなかっただろうと結論付けました。
証人の1人は公聴会で「コフトゥン容疑者は、射殺せず、毒殺だった理由について、見せしめのためと語っていた」と話しました。
事件が起きたのはリトビネンコ夫妻が英国に亡命してちょうど6年目の記念日にあたる2006年11月1日のことでした。10月、リトビネンコ氏は英政府から市民権を認められたばかり。妻のマリーナさんは手料理を用意して、リトビネンコ氏と2人で「自由の門出」をささやかに祝いました。
しかし、リトビネンコ氏は体調の不良を訴え、同月23日に急死します。血液中からポロニウム210が検出されます。ロンドン警視庁は高級オフィス・住宅街メイフェアのミレニアムホテルでリトビネンコ氏と会っていた旧ソ連国家保安委員会(KGB)元職員アンドレイ・ルゴボイとドミトリ・コフトゥンの両容疑者と特定します。
2人は取り調べを受けないまま、英検察当局に起訴されます。ルゴボイ容疑者はロシアに逃亡、ロシア国家会議(下院)議員に当選しています。ドイツで暮らしていたコフトゥン容疑者もロシアに逃げています。コフトゥン容疑者はビデオリンクを通じて公聴会に証拠を提供することに一度は応じますが、結局、反故にします。ロシア政府は「憲法上、ロシア人を外国に引き渡すことはできない」として英政府の身柄引き渡し要求をずっと拒否しています。
プーチン氏に不正を直訴
マリーナさんは社交ダンスの先生で、筆者に「出会った時の彼ったら、本当に性急だったの。すぐに自分のものにしないと私がどこかへ行ってしまうとでもいうような感じだったわ」とリトビネンコ氏との出会いを振り返ったことがあります。
「私も息子もタケシ・キャッスル(TBS番組『風雲!たけし城』)の大ファンなの。息子は日本のこと大好きよ!」「息子がアンソニーという英国名より祖国の名前アナトリーを使うと言ってくれたわ」
この間、ケンブリッジから帰る途中のマリーナさんと電車の中で偶然、会ったときも、「公聴会の報告書が間もなく出るの」と目を輝かせていました。
マリーナさんの話を聞くと、リトビネンコ氏がFSB長官だったプーチン氏に内部の不正を直訴した直後から、家に火炎瓶が投げ込まれ、身に覚えがまったくない嫌疑が次々とかけられて、ついには投獄されたそうです。リトビネンコ氏はFSBのスパイというより、重大犯罪の捜査官といった方が適切です。
英国に亡命したあと、MI6に協力するようになりますが、ロシア・マフィアに関する情報提供やアドバイスが主なもので、月に2千ポンド(約33万2千円)のコンサルタント料を受け取っていました。ポロニウム210の痕跡は、ミレニアムホテルのティーポットから、ルゴボイ容疑者が宿泊していた部屋のトイレからも見つかっています。
マリーナさんとアナトリーさんは英メディアに「これが終わりではない。真実を追求する私たちの闘いは続きます」と話しています。
(おわり)