弾道ミサイルへの化学兵器の搭載は技術的に確立されている
一部でまことしやかに唱えられている俗説に「弾道ミサイルに化学兵器を搭載することはできない、大気圏突入の熱で変性してしまう」というものがあります。結論から言えばこれは間違いです。
弾道ミサイル用の化学弾頭は既に実用化されている
ロシア軍では冷戦期のソ連時代にスカッド弾道ミサイル用にVXを搭載した化学弾頭8Ф44Г-1 (8F44G-1)、トーチカ弾道ミサイル用にソマンを搭載した9Н123Г2-1(9N123G2-1)が実用化されています。
アメリカ軍ではMGR-1オネスト・ジョン大型ロケット弾とMGM-5コーポラル弾道ミサイル用にサリンを搭載した化学弾頭M190が知られており、これはクラスター式で内部に多数の子弾が詰め込まれ、その子弾の中に化学兵器であるサリンが入っています。
M190弾頭は大気圏突入時に断熱材によって熱から守られ、目標地点の上空でM139子弾をばら撒きます。ボール状のM139子弾は回転しながら落ちて行き、地表に着弾した後に少量の炸薬で起爆してサリンを散布します。迎撃によって破壊されたりしない限り、熱で燃えたり変性することはありません。
アメリカの報告書にある北朝鮮の化学兵器の記載
アメリカの年次報告書「北朝鮮の軍事力2015」では北朝鮮の化学兵器に付いての項目があり、弾道ミサイルへの化学兵器の搭載に付いて触れています。
北朝鮮の化学兵器保有は金正男暗殺でVXが使われたことからも確実であり、弾道ミサイルへの化学兵器の搭載は他国で何十年も前から技術的に確立されている事を考えれば、北朝鮮の弾道ミサイルにも化学弾頭が用意されていると考えるのが妥当です。
湾岸戦争、イスラエルでの弾道ミサイル化学兵器対応
1991年の湾岸戦争でイスラエルは当事者ではなくアメリカ軍の基地があるわけでもないのに、イラクから弾道ミサイルを撃ち込まれました。この時にイスラエルは弾道ミサイルによって化学弾頭が撃ち込まれることを想定し、全国民にガスマスクと毒ガス検知用の試験紙とアトロピン(神経ガス治療剤)を支給し、各家庭ごとにシールド・ルーム(避難室)を用意させました。シールド・ルームとは強固な防空壕ではなく、浴室など密閉しやすい部屋にナイロンシートとガムテープを用いて目張りを行い、毒ガスの侵入を防ぐ簡易な退避室です。
結果的に撃ち込まれた弾道ミサイルの全ては通常の炸薬弾頭だったのですが、弾道ミサイルは警報が鳴ってから弾着までに数分しか猶予が無く、強固な防空壕に逃げ込む余裕のない時には各家庭の中にあるシールド・ルームに退避するだけでも、通常弾頭に対しても意味のある退避だったと評価されています。
恐れるべきは不正確な情報によるパニック
もし「弾道ミサイルに化学兵器は搭載できない」、もしくは「弾道ミサイルに化学兵器を搭載しても大したことがない」という誤った情報を信じて被害が出た場合、パニック状態に陥る可能性があります。しかし前述のとおり弾道ミサイルへの化学兵器の搭載は技術的に確立されており、北朝鮮が保有していると推定され、殺傷能力は通常弾頭(炸薬)を上回ることも確実です。
なお問題となるのは直接的な殺傷力の高さだけではなく、湾岸戦争でのイスラエルでは弾道ミサイル(通常弾頭)の着弾による直接の被害よりも、パニック状態になって心臓発作で死亡した例の方が多かったくらいなので、正確な知識と情報を得て、落ち着いて対処することが求められます。
参考:スカッド弾道ミサイル用のVX化学弾頭8Ф44Г-1(8F44G-1)