【コラム】安田純平さんへの根拠なき誹謗中傷を排し、メディア関係者は一丸となって共闘を
今月9日、外務省のパスポート発給拒否に対し、発給を求めて東京地裁に提訴したジャーナリストの安田純平さん。本件についてのネットニュースには心無いコメントが書き込まれ、その大半は誤った情報や根拠の無い主張だ。安田さんはツイッターなどのSNSでそれらの誤りについて指摘しているが、本人の説明にもかかわらず、同じような主張を繰り返して、安田さんを誹謗中傷する人々が絶えない「賽の河原」状態だ。誹謗中傷が続く背景には、「安田さんの救出に身代金が支払われた」等、根拠のない情報を大きく報道したメディアの責任もあるのではないか。そして、そうした報道が招いた反発を背景に、外務省は旅券法を歪めて濫用しているのではないか。
◯法の濫用、「報道の自由」の危機
2015年6月末、シリア取材の際に正体不明の武装勢力に誘拐され、2018年10月に約3年4ヶ月の拘束から解放され、帰国した安田純平さん。誘拐犯にパスポートを奪われたままであったため、昨年1月にパスポートの再発給を申請したものの、同7月に外務省は発給拒否した。外務省の処置がいかに不当かつ法的に無理のあるものかは、筆者が配信した別の記事で詳しく述べているが*、端的に言えば「トルコが同国への安田さんの入国を禁止する処置をしている」という外務省側の言い分が仮に事実だとしても、その一点のみで、パスポートを発給しないというのは、非常に無理のあるものだ。そうした筆者の指摘に対し、外務省は「個別の事案であり、係争中の案件なので回答できない」と、説明責任を放棄している。
*安田純平さんの奇策、外務省を追い詰める―パスポート発給拒否の法的根拠が崩壊
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20200117-00159302/
◯安田さんへの誹謗中傷にメディアは左右されるな
「報道の自由」という観点からも、法を濫用して個人の憲法上の権利を不当に制限しているという点からも、極めて深刻な事案にもかかわらず、メディア関係者らの動きは、非常に鈍い。確かに、ネット上での意見を見ると、安田さんに批判的な意見が圧倒的に多く、あるメディア人が「安田さんへの処置は賛否の分かれること」と筆者に言ったように、ネット上の安田さんへの批判にメディアも流されているのだろう。ただし、それらの批判は事実に基づくものでも、明確な根拠があるわけでもない。
安田さんへの批判で最も多いものは「国に多大な迷惑をかけたのだから、パスポート発給拒否は当然」「救出にどれだけの費用がかかったと思っている」といった類のものだ。だが、安田さんの救出について、日本政府として積極的に動いたこと、まして犯行グループに身代金を払ったという証拠は何もない。むしろ、日本政府はその気になれば、安田さんを助けることも出来たが、最後まで犯行グループとは接触しなかったということが実情だろう。それは、安田さん自身、自身のSNSや講演等で言及している。
人質の解放交渉において、「生存証明」は鉄則である。人質が生きていること、その安全が保証されていることの確認が交渉の前提かつ最大の条件であるからだ。この種の人質事件では、金目当てで何の根拠もなく「人質についての情報を持っている」「解放の交渉役になる」ともちかける不届きな輩も多いため、そうした輩と本当の交渉相手或いは仲介役を見分ける上でも、「生存証明」は不可欠なのだ。だが、安田さん自身が言及しているように、拘束中、「生存証明」が行われることはなかった。つまり、「国に多大な迷惑をかけたのだから、パスポート発給拒否は当然」「救出にどれだけの費用がかかったと思っている」*という安田さんへの批判は前提からそもそも間違っているのである。
*なお、安田さんの身代金をカタールが日本政府のかわりに払ったとの報道もあったが、その情報源である在英人権団体は、その主張の具体的な根拠を示すことは一切していない。カタール政府も否定している。上記の安田さんのツイートのように、身代金を払うのが、日本政府であれ、他国の政府であれ、「生存確認」は絶対必要であり、それが行われていない以上、身代金の支払いは無かったと見ることが妥当。
*身代金も払わずに、なぜ安田さんが解放されたのかについては、下記リンク先の記事を参照。端的に言えば、ハンガーストライキを行ったり、イスラム教について学び、拘束がイスラムの教えに反することを訴え続けた安田さんに、犯行グループが根負けしたからであろう。
40か月の拘束に耐えた、安田純平さんの人並み外れた精神力と交渉力
◯メディア関係者は一丸となって安田さんと共闘を
前提から誤りである安田さんへの攻撃的な主張は、批判ではなく、誹謗中傷である。そうした誹謗中傷にメディアが「配慮」する必要は全くない。むしろ、そうした誹謗中傷のファクトチェックをすることが、本来のメディアのやるべき仕事であろう。それにもかかわらず、「報道の自由」を脅かし、政府による法の濫用である、パスポート発給拒否に対し、報道人が立場を超えて共闘することができないことは、本当に情けない。内閣官房長官記者会見における望月衣塑子・東京新聞記者への質問制限に対しての、マスコミ大手の煮え切らない姿勢にも、相通じるところがあるだろう。当の報道人が「報道の自由」を守るために共闘しなくて、一体誰が「報道の自由」を守ろうとするのか???
そもそも、何の専門家でもないタレントにワイドショーで無責任なコメントをさせたり(関連情報)、「カタールが身代金を払った」等の根拠のない情報を大きく報道するなど、ネット上の安田さんへの誹謗中傷も、メディアが煽ったという面が大きい。メディアは、安田さんに対して加害者でもあったことを、十分に自覚すべきだ。遡れば、イラク日本人人質事件(2004年4月)で、被害者とその家族への「自己責任」バッシングを煽りに煽ったのも、新聞やテレビ、雑誌等のメディアであった。そのツケがいずれ、メディア大手の記者達にも回ってくることを、どうして考えないのか。否、既に現場の記者達は、自主規制によって取材を大きく制限されている。筆者が2014年のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃を取材した際に、日本のテレビ関係者にガザ境界でばったり会ったのだが「国連のグループと一緒じゃないとガザに入ることすらできない」とぼやいていた。
激動する世界の中で、報道なしに議会制民主主義を成り立たすことは出来ない。報道なくしては、主権者たる人々は今、世界で何が起きているかを知ることはできないし、国民の代表である国会議員も、外交政策を考えることすらできないからだ。海外メディアには優れた報道も多いが、それらはあくまで海外の視点であって、日本が直接関わるイシューについて、海外メディアに報じてもらうことは期待できない。「情報の自給率」と筆者は呼ぶが、自国メディアの報道が、どれだけ充実しているかは、極めて重要なことなのである。
繰り返すが、「報道の自由」を守るため、まず動かないといけないのは、報道人自身だ。だからこそ、安田さんへのパスポート発給拒否や、不当なバッシングに対し、メディアとして、安田さんと共闘する姿勢をはっきりと示すべきなのである。
(了)