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「中国が日本にすり寄ってきた」はあまりに単純 日中首脳会談の裏側

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 日本の総理大臣による7年ぶり公式訪問を日本人はどう受け止めたらよいのか――。

 10月25日からの中国訪問を日本の各メディアは「歓迎」という言葉で報じたが、日本人の多くは、なぜ歓迎されるのかがわからなかったようだ。首脳会談に際し安倍総理を迎えた習近平国家主席の表情が「柔らかかった」のも話題となり、メディアはその理由を躍起になって解説した。そしてたどりついたのが「『米中貿易戦争』で中国が日本にすり寄ってきた」という理屈だ。

 つまり、アメリカとの深刻な対立を抱えた中国が日本の理由価値を見出して寄ってきたというわけだ。

 もっか、最も説得力のある解説として市民権を得ているように思われる。そして同じ文脈で語られるのが、「日本が利用されないように……」という警戒である。

中国の都合で日程を変更

 だが端的にいえば、この解釈は必要条件の一部は満たしているが、十分条件にははるかに及ばないと言わざるを得ない。

 日本人の大好きな「1+1=2」という公式的な思考だが、逆算して、日本との関係を改善した中国が、それを理由に対米関係を改善できるかといえば、その可能性はほとんどゼロに近いことを考えれば無理のある理屈である。

 そもそも今回の首脳会談の実現は、中国が「すり寄ってきた」ことで実現したのだろうか。

 首脳会談前後の歓迎ぶりを見る限り、中国が対日関係の改善に前向きであるのは疑いない。だがそれは、中国式表現を借りて「氷は解けたのか?」と言われれば、明らかにそうではない。周辺の氷は確かに解けたのだが、真ん中の氷はまだ解けてはいないからだ。

 例えば、日本側は当初、安倍総理の訪問を日中平和友好条約40周年に合わせた10月23日を希望し、それに合わせて調整されてきていたのだが、最終的に中国側の都合で25日からに変更された。

 いったいどんな重要な用事でそうなったのかと注目していると、それはなんと同時期に開通した「港珠澳大橋」の式典への出席と広東省視察のためであった。中国が何が何でも日本を取り込もうとするならば、日程は調整できたのではないだろうか。

日中は本当に「正常な軌道」に戻ったのか

 安倍総理との首脳会談に臨んだ習近平国家主席は、広東省の南部戦区の視察から駆け付けたということで、テレビ番組によってはそっちがトップニュースで、2番目に日中首脳会談という扱いのところもあった。

 とても死活的、短期的に日本との関係を改善したい国の行いではない。

 このことは首脳会談とそれに絡む行事を詳細に見てゆくと、なお鮮明となる。

 例えば、習近平国家主席が首脳会談で述べた言葉だが、日中の現状を評して「双方の共同の努力の下で、目下の中日関係は正常な軌道に戻りつつあり」と語っている。注目点はあくまで「戻りつつあり」と表現していて、「戻った」とは言っていないことだ。中国の文面を確認しても同じく「勢頭」という言葉がついている。

 だが、中国が日本のとの関係を突き放しているのかと言えば、それも違う。

 李克強総理は日中平和友好条約40周年招待会でのスピーチで、「正常な軌道に戻ったうえで積極的な発展の勢いを呈している中日関係」と評しているからだ。

 総理が「(正常な軌道に)戻った」と語っているのに、国家主席が「戻りつつある」としたのは単なるミスではない。「言葉の国」と表現される中国がそんな雑なことをするはずはない。

 では、どういうことなのか。

 考えられることは、経済を担当する国務院総理は「戻った」と言い切ることができても、政治を担当する国家主席(党中央総書記)はまだ現段階で「戻った」とは言い切れなかったということだ。

 これは国民の目を意識しつつ、手放しで日本との距離を詰めるのには、ほんの少し慎重でなければならないということを意味している。

 日本との関係を深めたい動機は、早くから中国に芽生えていたが、その歩度は石橋を叩いて渡る如くというわけだ。

安倍総理も一年前に中国との関係改善にメッセージ

 そもそも日中の接近は、中国が2016年の末にその必要性を認識したからである。理由は、安定した経済発展を続けるためには、外国と対立を抱えることが大きなマイナスになることを中国自身が実感したからである。とくに南シナ海問題で袋叩きに遭った直後から全方位的に各国との関係改善に乗り出したころに始まり、日本側は2017年4月のマール・ア・ラーゴの米中首脳会談でトランプ大統領と習近平国家主席の間に良好な関係が築かれたことで対中包囲網という途方もないアイデアに終止符を打ったことに始まり、その後も駐日中国大使館主催の国慶節イベントに総理が出席してラブコールを送るなど、双方の動きは1年以上も前から活発で米中対立の前からのことだ。

 つまり米中対立は日中接近の動機の一つの要素として指摘することは間違いではないのだが、十分な説明とはならない。

 だが、おそらく日本では単純化されて「『米中貿易戦争』で中国が日本にすり寄ってきた」という解説だけが残っていくことになるのだろう。

 この小さな誤差は、間違いとは言えないものだけにやっかいで、最終的には日本人の対中国観を大きく歪めてゆくことになることが心配である。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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