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銀行に本当のことを話す顧客はいない

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

 銀行から融資を受けている中小企業の社長は、個人として債務の保証人になっているので、万が一に備えて自分の財産を隠しておく誘因をもちます。その社長のところに同じ銀行の営業が個人財産の運用の提案に行っても、本当のことを聞き出せるとは到底思えません。ある程度の資産をもつ人は銀行を複数に分けていることが多く、その顧客の預金総額がいくらか、そのうちの一つの銀行は知り得ません。さて、このようなことで、銀行は真の顧客本位を実現できるのか。

事業性評価に基づく融資

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 金融庁は、担保や保証に依存する融資について、極めて批判的です。そこで、無担保融資の割合を経営管理指標に定めて、その増加をよいことだとするような風潮がないこともないのが銀行界の現状ですが、担保でも、保証でも、とれるものならとっておいたほうがいいに決まっていて、とれるものをとらないのは、むしろ、債権保全を怠ることですから、銀行経営のあり方として、大いに問題です。

 金融庁が問題視していることは、単に判断経路のあるべき構造にすぎません。つまり、融資判断が先にあって、担保や保証による保全は後にあるべきだという当然至極のことをいっているにすぎないのです。逆にいえば、担保や保証の有無が先にあって、それに基づく融資判断が行われている実態を厳しく批判しているわけです。

 この金融庁の主張には、金融の理論からいって、誰も反対できないはずです。実際、企業の債務履行能力は、企業の営む事業のもつキャッシュフロー創造力に依存するのであって、融資判断の基礎は、そのキャッシュフロー創造力の分析評価にあるのです。担保や保証は、万が一のときの保険にすぎません。このことを、金融庁は、なぜか難しく事業性評価に基づく融資と呼んでいます。

 事業性評価のもう一つの重要な論点は、キャッシュフロー創造力は、将来に向かって評価されることであって、それは、財務諸表等に表れる過去の事実だけからは、判断し得ないということです。金融庁は、事業性評価という言葉によって、担保や保証に依存する融資判断だけでなく、過去の事実に基づく融資判断も、問題視しているわけです。 

銀行の能力に対する危機感

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 金融庁が事業性評価に基づく融資などというと、何か特別な融資の手法があると考えてしまう銀行、これが現実だとしたら、恐ろしいことです。事業性評価に基づかない融資などあり得ないはずですから、担保や保証、また過去の事実ばかり考えているうちに、銀行は、本来の融資の能力を失いつつあるのではないか、これが金融庁のもつ危機意識でしょう。

 もっと平たくいえば、いまや、銀行は、企業の事業の実態をみることなく、融資しているのではないか、その結果、貸してはならない先に貸し、貸すべき先に貸さないことが起きているのではないか、そう金融庁は心配しているわけです。

 貸してはならない先に貸すことは、自業自得として、銀行が損をするだけですが、貸すべき先に貸さないことは、金融の社会的機能の高度化を行政の目的としている金融庁にとって、大問題ですから、これを日本型金融排除などと、これまた難しい言葉で表現して、その是正を重点施策に掲げているのです。 

顧客を知れ

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 要は、金融行政の課題は、一言でいって、顧客を知れということになります。当たり前すぎるようですが、当たり前が難しいのが銀行なのです。世の常識、銀行の非常識とは、おそらくは、そういう意味です。金融庁が銀行の実態を論じるとき、そこには、顧客の真の姿を知る努力を怠ってきたことに対する非難の響きがあるように感じますけれども、銀行を擁護するつもりもないですが、知ろうにも知り得ない実情もあるのです。

 実際、企業の動態を生きたイカに譬えれば、財務諸表は死んだスルメの静態です。スルメならば切り刻んで分析できますが、イカは泳ぎを外から観察するほかありません。担保は実物を目でみて評価できますが、事業キャッシュフローの動態はみえません。

 加えて、そもそも、銀行から融資を受けている企業は、経営の実情を知らせるでしょうか。資産をもっている人は、その全情報を銀行に示して、運用の相談をするでしょうか。自分の会社の融資に個人保証を付けている社長は、個人の財産を銀行に隠しておくのではないでしょうか。まとまった預金をもっている人は、その使途を銀行から聞かれても、教えはしないでしょう。

 要は、生きて泳いでいるイカは心を銀行に開かず、銀行はイカの心を読めないのです。だから、スルメに乾すのです。 

銀行に真実を話す顧客の誘因

 さて、自分が有利になるのであれば、顧客は銀行に何でも教えるはずです。イカも口をきくはずなのです。では、銀行との取引において、顧客が有利になるのは、どういう場合でしょうか。

 理屈上、それが同時に銀行にも有利になる場合でなければ、その情報は利用されません。実は、金融庁は、このことを顧客との共通価値の創造といって、銀行が顧客を知るための重要な条件としています。言葉でいえば簡単なのですが、顧客との共通価値の創造ということを、具体的な事例として思い描くことは極めて困難でしょう。

 逆に、顧客は自分が不利になる情報を隠すという逆の方向から検討したらどうでしょうか。企業が業況の悪化を銀行に隠すとしたら、それを明らかにすることで、融資条件が自分に不利になるからです。業況悪化のときに、融資額を削減されたり、金利を引き上げられたりしたのでは、悪化に拍車のかかる可能性が大きく、それを避けたいと思うのは企業として当然です。

 逆に、業況悪化により、金利の減免が受けられるのなら、企業に隠す理由はなくなります。しかし、それでは、銀行が不利になりますから、うまくいくはずもありません。そこで、法律を作って、銀行に支援を促す政策が強行されたことがあります。それが「中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律」です。

 これは、金融危機後の緊急対策という位置づけで、2009年末から3年ほどの時限法として施行されたものであって、もはや効力を失っていますが、法の強制により行うことは不適当だとしても、法の主旨は間違っていないので、金融庁は、今も、その主旨の尊重を銀行に求めています。

顧客との共通価値の創造

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 この問題の鍵は、銀行が企業を支援することが銀行に有利になるようにすることであって、それが今の金融庁の考え方でもあるのです。

 確かに、理屈上は、業況悪化時に金融面で支援し、その結果として業況が回復するのならば、長い目でみて銀行の利益でもあるわけです。しかし、多くの場合、単なる金利減免等の条件緩和だけでは、業況回復の可能性は大きくないわけで、銀行として、金融の外へ踏み出した支援をしなければならないでしょう。

 さて、銀行に、そのようなことは可能でしょうか。可能にするためには、銀行は、顧客の事業に精通していなければなりませんが、それは、譬えれば、イカの生態を知れということですから、不可能を強いることかもしれません。

 また、支援に要する銀行の大きな経費は、金利の引き上げによって、回収するほかないという矛盾もあります。銀行の常識では、業況の悪いときは高金利、良いときは低金利となるのですが、その常識を覆し、業況の悪いときは低金利にし、その分を業況の良いときに高金利で回収するほかないのです。これを世の常識というのなら、まさに、世の常識、銀行の非常識となりますが、さて、これは可能なことでしょうか。 

フィデューシャリー・デューティー

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 銀行も理屈は認めざるを得ないでしょう。これは、医師と患者の関係を考えればすぐにわかることです。医師に症状を隠す患者はいません。それは、隠さないからこそ、最適な治療を受けられるからです。医師は最適な治療を行う義務を負う、医師が義務を負うから患者は隠さない、この義務が金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーです。銀行がフィデューシャリー・デューティーを負えば、銀行に隠しごとをする顧客はいなくなる、確かに金融庁のいうとおりでしょう。

 しかし、内科の医師は、外科の治療はできません。もしも、銀行が内科で、経営支援が外科の手術なら、銀行に不可能を強いることになります。さて、どうしたら、いいのか。ここに、金融庁にとっても、銀行にとっても、最大の難関があるのですが、見通しとしては、銀行機能を超えた総合的な仕組みとして、金融の再構築がなされなくてはならないのです。

 例えば、業況の悪いときは低金利、業況の良いときに高金利という金融は、融資の常識に反するが故に銀行の常識に反するのですが、株式という金融形態では当然のことであって、株式と融資の中間、即ち中二階という意味でメザニンと呼ばれる領域では、具体的に優先株や劣後ローン等の手法によって、実現可能です。

 つまり、銀行の融資に限界があるのであって、金融は、より広義なものとして、様々な状況に応じて、顧客の視点での答えをだせるはずなのです。顧客の視点で考えて、答えをだすように最善を尽くすことを確約する、その確約から生じる義務がフィデューシャリー・デューティーだということです。そして、フィデューシャリー・デューティーを徹底するからこそ、銀行は顧客のことを知ることができるのです 

銀行を超える

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 譬えれば、銀行が内科にすぎないとしたら、内科本位では患者の治療はできないので、患者本位にしなければならないのですが、そのとき、内科は総合病院の一部に相対化されてしまうのです。内科の銀行が総合病院になることは、要は、持株会社を通じた業務の拡大を意味し、そうした拡大ができなければ、異業種との提携等を模索することになるほかないでしょう。

 これは、融資等の法人業務だけでなく、投資信託や住宅ローン等の個人業務も同じことです。例えば、住宅の購入と賃貸との間の選択を顧客の利益の視点で考えるとき、購入になれば住宅ローンの申し込みとなるでしょうが、賃貸となれば銀行の業務の外になりますから、それを金融グループとして直接的にとり込むのでなければ、提携によって間接的にとり込むしかありません。

 住宅ローン等の商品の面から顧客に接すれば、必ず商品の営業になりますが、顧客の住むことの必要という面から商品を選べば、商品の営業が消滅し、顧客の利益の視点にたったコンサルティングしか残りません。同様に、融資という商品を前提に顧客に接すれば、必ず営業になりますが、顧客企業の財務の合理化と資金の必要という面から融資の可能性を考えれば、営業が消滅し、コンサルティングしか残らないのです。 

営業からコンサルティングへ

 このコンサルティングの対価こそ、銀行における本来の役務収入でなければなりません。一体、世の常識として、営業経費を顧客から手数料として徴収することがあり得ていいのでしょうか。まさに、銀行の非常識です。

 銀行が営業をするから、顧客は本当のことをいわないのです。銀行が自分の都合で行動することがわかっていれば、顧客は銀行に本当のことをいうはずもなく、現に、本当のことをいっていないとすれば、銀行とは、そういうものだと警戒されているわけであって、そこには、真の信頼関係はないのです。

 フィデューシャリー・デューティーとは、高度な信頼を前提として、それを必ず守らなければならないとする義務なのです。逆に、フィデューシャリー・デューティーの徹底は、高度の信頼関係を再構築するための必須の要件だということです。フィデューシャリー・デューティーなくして、銀行が顧客を知ることなく、顧客を知ることなくして、銀行に未来はありません。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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