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鈴木隆二がスペインに残したもの。フットサルU-20日本代表のアジア制覇の陰で。

森田泰史スポーツライター
スペインのマルトレイで指導を始めた鈴木監督(右)

2019年、秋―ー。スペインのバルセロナを、訪れた。

ある男のルーツ、軌跡を辿るためだった。その男の名は、鈴木隆二。今年6月に行われたアジア選手権でU-20フットサル日本代表を率いて日本を初優勝に導いた監督である。

現在、フットサルA代表のコーチを務めている鈴木が監督キャリアをスタートさせたのが、バルセロナのマルトレイだ。当時、現役選手としてプレーしながら、アレビン(U-11世代)のチームで第一監督を務める機会を得た。そのチャンスを与えたのが、現カタルーニャサッカー協会フットサルカタルーニャリーグのホセ・ミゲル・カジェ会長だった。

「それはBonita(ボニータ/スペイン語で『美しい』の意)なストーリーでした。マルトレイは、フットサルのエキスパートが揃っていると言える場所です。そこに、鈴木は目標を達成するためにやって来ました。キャリアにおいて、(選手とは)異なる時期に差し掛かっていました。マルトレイの下部組織で指導をスタートさせ、その後カタルーニャのフットサル協会でも仕事をして指導者としての自分を形成していくことになりました」

「私は、鈴木に対して『良い監督になりたければ、すべてのカテゴリーで指導を経験すべきだ』と言っていました。だから彼に、育成年代の選手たちを指導させながら、トップチームで監督を務めさせたんです。鈴木は常に学ぶ意欲を持っていました。フットサル界の人間として彼を形成したのは我々ですから、彼の成功は、我々の成功だと、我々は考えていました」

「そして、我々もまた、彼から多くを学びました。日本の社会を知る鈴木から、落ち着いて物事を考える重要性を学びました。我々、スペイン人は、物事を性急に考えがちです。地中海近辺で暮らす、我々カタルーニャの人間は、特にそうかもしれない。また、衝突した時の捉え方など、そういったものを学んだように思います」

「日本人監督を迎えるというのは、あの頃、ロジックではなかったかもしれません。ただ、鈴木の場合、ジョルディ・ガイをはじめ、すでにマルトレイの複数選手と知り合いでした。そして、彼は日々向上に努めているという印象を受けました。そういった姿を見て、必ず、マルトレイに貢献してくれる人物だと思ったのです」

■選手として、指導者として

当時、マルトレイで鈴木のチームメートだった一人が、カジェ会長が言及したジョルディ・ガイだ。ジョルディは、現在、マルトレイで会長を務めながら、カタルーニャフットサル協会でテクニカルスタッフとして、またカタルーニャ州選抜の全カテゴリーの責任者として働いている。鈴木に大きな影響を与えた人間である。

鈴木のチーム作りにおいて、核になっている要素がある。そのひとつが、ドゥダリダッド(二人組の関係)だ。

当時スペイン2部で戦っていたマルトレイで、ドゥダリダッドを完璧に体現していたのがジョルディとディエゴ・ブランコだった。その後1部に昇格している。

「フットサルにおいては、2人の関係が重要です。フィールドプレーヤーを見ると、4対4だと考えられがちだけど、そうではないんです」

「例えば、スペイン代表にハビ・ロドリゲスという選手がいましたよね。彼のような選手は、1対1に強く、つまり個の能力が高い。だけど、あの頃のマルトレイで、僕やディエゴ・ブランコといった選手は、常にドゥダリダッドでプレーしていました。2人の関係で崩していたんです。鈴木は、その考え方を非常に気に入っていました。マルトレイで、そのフィロソフィーを学んだのだと思います」

「技術に優れていれば、それはアドバンテージになります。ですが、戦術が必要になる時期が必ずきます。フットサルそのものを、正確に解釈しなければいけません。そうでなければ、0か100かというプレーに終始してしまいます」

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■スペインでの指導

カタルーニャフットサル協会を後にした翌々日、マルトレイの練習場を訪ねた。目的は、マルトレイで鈴木の指導を受けた選手に話を聞くことだった。

「インテンシダッド!インテンシダッド!(強く、強く!)」「バモス、チーコス!(さぁ、行こう!)」と選手を鼓舞する指導者の声が響く体育館に、イバイ・エスピノサが現れた。あの頃、11歳だった選手は、いま、17歳になっている。彼は年代別カタルーニャ州選抜の中心選手として活躍している。

「(鈴木の監督就任を知った時は)驚いたよ。それが、正直なところだ。スペインには、日本人監督がとても少ないからね。僕は、ピエラという他のチームからマルトレイに移籍したばかりだったんだけど、鈴木が早く馴染めるようにとすごく助けてくれたのを覚えている。鈴木の考えは常に明確だった。そして、彼はいつも真剣だった」

「選手の間で、ヒエラルキーは存在するけれど、鈴木が誰かを贔屓(ひいき)していると感じたことは一度もなかった。怒ることや説教することはあっても、選手に罰を科したことはなかった。また、鈴木は自分のやりたいことをやっていた。僕たちは少しずつ彼に対する信頼を高めていき、そうして、チームはチームになっていったんだ」

■エース級の選手の証言

Bonitaなストーリー......。それは終わりを迎えようとしていた。

最後に現れたのは、アレハンドロ・ダノスだ。彼は、鈴木が率いたチームのエース級の選手だった。彼は18歳で、マルトレイのトップチームでプレーしている。

「最初から、直感的なものがあった。まだ鈴木が選手としてプレーしていた時に、FCバルセロナBと試合をしたことがあった。僕は、たまたま、スタンドで観ていた。そうしたら、試合後に、鈴木が観客席の人たちと(挨拶の意味合いで)握手をしていったんだ。だから、僕はそこに行って、彼と手を合わせた。その時に、思ったんだ。『あぁ、この人だ』と」

「だから鈴木が自分の監督になると知って、それは最高の出来事だと思った。実際に監督になったら、予想していた以上だった。彼の説明を聞くと、すべてが理解できた。常に強度の高いトレーニングができていたし、彼の言うことは、なんというか、試合で実際に起こるんだ。自分のキャリアにおいて、鈴木は、本当に重要な存在だった。コントロール・オリエンタード(角度をつけたコントロール)やフェイント...そういった技術は、いまも、鈴木に教えてもらったと思っている。現在の自分のプレーは、鈴木に教えられたものなんだ」

もう1人、ジェラールという、エース級の選手がいた。えてして、こういった状況では、選手同士のエゴが衝突する現象が起こりやすい。アレハンドロとジェラールの関係は多分に漏れなかった。業を煮やしたアレハンドロは、ある日、監督の鈴木に言い寄った。「ジェラールに、パスをするように言ってくれ」。だが鈴木は、アレハンドロ自身がピッチ上のプレーでジェラールの信頼を勝ち取るべきだと諭した。

「僕とジェラールの関係は、最初は悪かった。自分にできることは何もないと思っていたよ。だけど、時間の経過と共に、ジェラールの信頼を得ていったような気がする」

「僕は彼のために、彼は僕のためにプレーするようになった。つまり、チームのために。そういったチームコンセプトを、鈴木の下で学んだ。日を追うごとに、誰かがミスをしても、『いいさ、次のプレーに集中しよう』という声がチーム全体で出るようになっていった」

カジェ会長と鈴木監督
カジェ会長と鈴木監督

■マルトレイに残されたもの

「マルトレイの下部組織で最初に鈴木の指導を受けた選手は18歳になっている。彼らはいまだに鈴木を素晴らしい監督の一人として記憶している。それはタイトルを獲得するといったもの以上に価値があることだと思う」とは、カジェ会長の言葉だ。

鈴木が指導者1年目で指揮を執ったマルトレイのアレビンは、2部リーグで優勝して、1部昇格を果たした。2年目には1部リーグで2位になりディビジョン・デ・オノールに昇格した。ある者はフットサルを続け、またある者は他分野に向かって舵を切っている。

マルトレイの練習場で、何人からも、「鈴木の知り合いなの?」と、声を掛けられた。「彼が恋しい」と、イバイとアレハンドロは、異口同音に唱えた。「退屈を感じたら、いつでもマルトレイに戻ってきて、指導をして欲しいと伝えてくれ」と関係者に言われた。

鈴木が、マルトレイに残したもの。マルトレイで、鈴木が得たもの。すべて、鈴木のフィロソフィーに、息づいている。そして、それは、日本のフットサル界とサッカー界に、間違いなく還元されるはずだ。

【鈴木隆二監督のスペインでの略歴】

1. スペイン2Bリーグ(3部)のマルトレイトップチームの監督

2. U11,U13カタルーニャ州選抜第2監督

3. マルトレイ育成年代コーディネーター

4. マルトレイ育成年代監督としてリーグ優勝2回、準優勝2回

スポーツライター

執筆業、通訳、解説。東京生まれ。スペイン在住歴10年。2007年に21歳で単身で渡西して、バルセロナを拠点に現地のフットボールを堪能。2011年から執筆業を開始すると同時に活動場所をスペイン北部に移す。2018年に完全帰国。日本有数のラ・リーガ分析と解説に定評。過去・現在の投稿媒体/出演メディアは『DAZN』『U-NEXT』『WOWOW』『J SPORTS』『エルゴラッソ』『Goal.com』『ワールドサッカーキング』『サッカー批評』『フットボリスタ』『J-WAVE』『Foot! MARTES』等。2020年ラ・リーガのセミナー司会。

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