『紅白歌合戦』、ジャニーズ頼りからの脱却か?──SMAP・TOKIO・嵐がいない大みそか
嵐もSMAPもいない『紅白』
今年の『NHK 紅白歌合戦』は、昨年までとは異なる光景を見せることになる。
なぜなら、そこに嵐の姿がないからだ。昨年まで12年連続で出場し、司会も多く務めてきた嵐は、昨年いっぱいで活動を休止した。
それでも『紅白』におけるジャニーズ事務所の存在感は大きい。SMAPやTOKIOの姿もないが、King & PrinceやSixTONES、Snow Manが出場し、世代交代が進んでいる。
全体では5組のジャニーズグループの出場が予定されている。これは、現在発表されている全21組の白組のなかで24%にもなる。4~5組にひとつがジャニーズだ。
SMAPや嵐がいなくても、依然として『紅白』で際立つジャニーズ。両者の関係を歴史をひも解いて考える。
00年代までは優遇されなかった
ジャニーズ事務所と『紅白』の関係はとても長い。はじめて同社所属のタレントが出場したのは、いまから56年前の1965年までさかのぼる。この年、同社の最初のグループである4人組・ジャニーズが出場した。
ただ、現在につながるボーイズグループのフォーマットが固まったのは、70年代に4人組・フォーリーブスがブレイクしたあたりからだ。1968年にレコードデビューしたこのグループは、1970年から1976年まで7年連続出場を果たす。
常連となるのは、80年代に入ってからになる。田原俊彦と近藤真彦のブレイク、そしてシブがき隊や少年隊、光GENJIと人気を拡大させていく。さらに90年代中期にSMAPがブレイクし、TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐とヒットグループが生まれていく。現在に続くジャニーズ人気はこの延長線上にある。
しかし、この90年代中期から00年代いっぱいまで、『紅白』はさほどジャニーズを優遇していなかった。この約15年間はほとんどが2組のみの出場で、ほぼSMAPとTOKIOに限定されていた。
こうした状況に変化が訪れるのは、00年代後半からだ。すでにブレイクしていた嵐が2009年に初出場し、前年まで2組だった“ジャニーズ枠”が4組に拡大する。2014年にはV6もデビュー20年目に初出場し、枠も6組にまで増えた。最大となったのは翌2015年の7組だ。
00年代後半から急激にジャニーズが『紅白』で勢力を増したのは、無論のこと人気が高かったからだ。『紅白』は純然たる音楽番組ではなく、テレビ・音楽・芸能界の“大忘年会”的側面が強い。ネットメディアによってテレビ離れが一段と進んだ10年代において、いまも地上波テレビの活動を重視するジャニーズは確実に数字を運んできてくれる存在だ。実際、10年代に『紅白』が大きく数字を落とさず視聴率を40%前後(第2部)で維持できた要因のひとつは、ジャニーズファンの固定層のおかげだろう。
SMAPが変えた「アイドル」
だが、それ以外にも00年代後半からジャニーズが『紅白』で勢力を強めた要因が3つある。
ひとつは、SMAPが従来の「アイドル」概念を変えたからだ。
少年隊の前例はあったが、30歳を超えても男性アイドルが一線で活動を続けることは極めて稀だった。しかもバラエティ番組でコントをやったり、メンバーが司会進行をしたり、音楽・俳優業以外の活動でも人気を獲得した。
SMAPの存在は、アイドルグループに対する社会の認識を変えた。従来のアイドルは若い異性のための疑似恋愛対象の側面が強かったが、SMAPは多様な活躍を長く続けることでファンとともに歳を重ね、同時に下の世代や男性にも人気を広げた。2000年に木村拓哉が結婚しても、むしろグループの人気はそれ以降にさらに拡大したことがその証左と言えるだろう。
2003年の『紅白』では、「世界に一つだけの花」で初めて大トリを務める。それまで北島三郎や五木ひろしなど大御所の演歌歌手が占めていた座を、当時30歳前後だった5人が人気でもぎ取った。SMAPが「憧れの男子」から「みんなの人気者」になったからこそ、『紅白』もアイドルに対しての扱いを変えたのだった。
中居正広が切り開いた司会枠
もうひとつもSMAPに関係することだ。司会の担当である。
SMAPの中居正広がはじめて『紅白』で司会を務めたのは1997年。その後も順調に番組MCとして活躍した中居は、2006年に8年ぶりに『紅白』の司会を務め、そこから4年連続で担当する。しかも2007年は、NHKアナウンサー以外では史上唯一の男性による紅組司会だった。
2010年代に入ると5年連続で嵐の5人が司会を務め、1年だけV6の井ノ原快彦を挟んだ後も4年連続で嵐のメンバーが担当する。2006~2019年の『紅白』司会はほとんどジャニーズを中心に回っていた。
『紅白』出場はNHKへの貢献度が加味される側面も強いので、長らく司会を続けたジャニーズはそれによって有利になったと考えられる。つまり、SMAPの多方面へのアプローチのひとつ(番組MC)が、『紅白』におけるジャニーズの勢力拡大につながった(※1)。
“ヒット”が見えにくい時代のジャニーズ
『紅白』がジャニーズへの依存を強めたのには、もうひとつ理由がある。2005~2015年頃までの約10年間ほど、音楽の“ヒット”が見えにくい時期になっていたからだ。
それはインターネットの浸透による音楽メディアの多様化によって生じた。たとえば00年代後半には、ガラケー向け「着うたフル」を中心にダウンロード販売が定着し始め、10年代中期以降はストリーミングが浸透していった。
しかし、当時の主要音楽チャートだったオリコンは、CDランキングに固執し続けた。それによって、CDセールスを重視していたAKB48やジャニーズによってランキングが占拠され、オリコンは“ヒット”の指標として機能不全となってしまう。
結果、2015年頃から各メディアがビルボードチャートに切り替えるまで、なにが“ヒット”か共有されにくい時期が10年ほど続いた。ジャニーズはこうしたなかでAKBなどとともに相対的にオリコンランキングで浮上し、“ヒット”を連発し続けたことになった(※2)。『紅白』もこうした“ヒット”が不透明な時代だったからこそ、固定層が分厚いジャニーズに頼った可能性がある。
ジャニーズ頼りからの脱却?
しかし、こうした『紅白』とジャニーズの蜜月が今後もどれほど続くかは不透明だ。
まず、2年続けて司会はジャニーズタレントではなくなった。一昨年まで14年続いていた流れは完全に途切れたと見られる(ただし、2023年は大河ドラマの主演をする松本潤が司会をする可能性もある)。
そして、長らく『紅白』の顔だったSMAP・TOKIO・嵐の姿はない。この5年でジャニーズの世代交代は急激に進んだ。10年連続の関ジャニ∞とはじめてのKAT-TUNを除く3組は、デビューから4年未満の若手だ。
また、全体でもジャニーズの出場は5組にとどまった。昨年は、新型コロナ感染によってSnow Manが辞退したが、過去最多タイの7組が予定されていた。つまり、2組減ったことになる。嵐は不可能としても、今年はHey! Say! JUMPとKis-My-Ft2の出場が見送られた。
この数年の変化だけで断定的には言えないが、ジャニーズに強く頼っていたこの15年からの脱却が生じているのかもしれない。
一方で、昨年から今年にかけてジャニーズの競合となるグループが相次いで生まれ、人気を拡大している。オーディション番組から生まれた“K-POP日本版”のJO1とINI、AAAのSKY-HI(日高光啓)がプロデュースするBE:FIRSTは、十分に『紅白』を狙える人気だった。
それでも今年出場がかなわなかったのは、長らく多くの枠をジャニーズが占めていたからだろう。人気で言えば、前述の3組となにわ男子は十分にその可能性があった。今年なぜかKAT-TUNが選ばれたのは、JO1など他の3組を差し置いてなにわ男子だけを出場させることが大きな波紋を呼ぶことが予想されたからだろう。
「芸能界・20世紀レジーム」の終焉
だが、こうした『紅白』は遠くない未来に現体制からの変革を余儀なくされることになる。テレビ、音楽ともに、ネットメディアの影響を強く受けるからだ。
YOASOBIなど音楽ストリーミングサービスで火がついたアーティストの出場はすでに見られるが、より大きな課題に直面するのは昭和から続いてきた番組フォーマットのほうだろう。地上波テレビの視聴率が今後向上することはなく、将来的に放送から通信に切り替わっていくなかで、「芸能界・20世紀レジーム」の中心にあった“大忘年会”もその役割を終えつつある。
こうしたなかで、公共放送の『紅白』がどうあればいいか、受信料を払う視聴者が大いに議論をする必要があるだろう。
現状維持か、再構築か、それとも終了か──『紅白』の行方を考えることが、今後の日本の映像コンテンツ(番組)やポピュラー音楽、そしてジャニーズの未来を講じることにもつながっていくはずだ。
■註釈
※1:2021年12月17日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS)でも、嵐の松本潤が中居正広に対し、「ジャニーズのタレントたちの息が長くなったのは、SMAPのみなさんがバラエティをやったりとか、いろんなことにチャレンジして枠を広げてくださったから」と話している。また、2010年に嵐がはじめて『紅白』の司会を担当したときも、本番中に舞台裏で中居が嵐にアドバイスをしたという。
※2:『紅白』は、この時期も独自の調査で“ヒット”を掴んでいた側面もある。CDではなくダウンロードでヒットしていた西野カナや木村カエラ、きゃりーぱみゅぱみゅなどを『紅白』に出場させているからだ。「J-POPの失われた10年──“ヒット”が見えにくかった2006~2015年」参考。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】
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