セルタに「モストボイ以来のスター」が出現。セルティスタスの期待を一身に背負うアスパス。
レアル・マドリーのリーガエスパニョーラ連覇が絶望的になった。その希望を打ち砕いたのが、セルタだ。
リーガ第18節で本拠地バライドスにマドリーを迎えたセルタは、先行されながら執拗に喰らいつき、王者を相手に2-2で引き分けた。これにより、首位バルセロナと4位マドリー(未消化1試合)の勝ち点差は16ポイントまで開いている。
■ジャイアント・キリング
思い起こせば、昨季のリーガにおいてもセルタは重要な役割を担っていた。リーガ第7節でバルセロナをホームに迎えたセルタは、ピオーネ・シスト、イアゴ・アスパス、OG、パブロ・エルナンデスのゴールで4-3と打ち合いを制した。
また、昨季のコパ・デル・レイで、準々決勝でマドリーを沈めたのもセルタだった。準決勝でアラベスに足元をすくわれ決勝には進めなかったが、2強が優勝候補の筆頭に挙げられる国内の大会で一石を投じた。
1998年から2003年まで、6年連続で欧州カップ戦出場権を獲得した「ユーロ・セルタ」と称されたチームには、アレクサンダー・モストボイ、ヴァレリー・カルピン、グスタボ・ロペス、マジーニョがいた。そして現在、「モストボイ以来のスター」とセルティスタスの期待を一身に背負うのが、アスパスである。
■スペイン代表屈指の実力者
アスパスはリーガ第17節デポルティボ戦で2得点を挙げ、1部通算55得点を記録。モストボイに並び、クラブ史上5番目の最多得点者となった。
セルタのカンテラで育ったアスパスだが、17歳で初めて「心のクラブ」からの移籍を決断している。セルタ同様ビーゴに拠点を置くラピド・デ・ボウサスという街クラブに渡り、出場機会を積んだ。
「とにかく試合に出たかった」と当時を振り返るアスパスは、19歳でセルタに復帰した。トップチーム定着3年目にリーガで23得点を挙げて一躍注目を浴びることになる。だが、その活躍がビッグクラブの関心を引き付け、リヴァプール、セビージャと移籍を繰り返した。
2015年夏に再び復帰が決まると、15-16シーズンにリーガで14得点、16-17シーズンに19得点を挙げた。16-17シーズンには、スペイン人得点王に贈られるサラ賞を受賞して、フレン・ロペテギ監督率いるスペイン代表に定着した。
■バルセロナでの経験が注入される
今季開幕前には、コーチングスタッフの陣容に変化があった。
昨年夏エドゥアルド・ベリッソ監督をセビージャに引き抜かれた(ベリッソ監督は今季途中に解任された)セルタは、後任にフアン・カルロス・ウンスエ監督を招聘した。昨季まで、バルセロナでルイス・エンリケのアシスタントコーチを務めていた人物である。
バルセロナでセットプレーの指示を担当していたウンスエ監督は、バスケットボールの戦術を取り入れるなど、奇抜な発想でポゼッション主体のチームに「+α」をもたらしていた。そしてウンスエ監督はアシスタントコーチのロベルト・モレノ、心理学者のホアキン・バルデス、フィジカルコーチのラファエル・ポルと、「チーム・バルサ」をごっそり引き連れてセルタに向かったのである。
■ある意味では賭けだった
セルタに不安要素がなかったわけではない。ウンスエ監督は2010-11シーズン、ヌマンシアで第一監督を務め、失敗している。バルセロナ時代にはネイマール(現パリ・サンジェルマン)と確執があったともいわれ、選手マネジメント能力は未知数。経験不足は明らかだった。
だがセルタは賭けに勝った。リーガ序盤の5試合こそ1勝1分け3敗と苦しんだものの、そこから立て直した。第11節でアスレティック・ビルバオを撃破して、第14節で敵地カンプ・ノウにて勝ち点1をもぎ取り、第18節でマドリー相手にドローを演じた。
リーガでは現在15位に位置しているものの、8位アスレティック・ビルバオとは勝ち点2差だ。6位ビジャレアルまでは勝ち点6差で、ヨーロッパリーグ出場権獲得も決して夢ではない。セルティスタスが再び「ユーロ・セルタ」という呼称を使う日がやってくるかもしれない。