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「withコロナ」時代の学校の「あり方」を模索する ミネルヴァ大学大学院と新渡戸文化学園の事例から

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
第2波、第3波に備え、いつでもオンライン指導ができる環境を整えておく必要がある(写真:アフロ)

オンライン学習を「教室」の「デッドコピー」にしてはいけない

新型コロナウイルス感染拡大によって、あらゆる学校が長期間の休校になるという未曾有の経験を私たちはしている。企業では在宅勤務が定着し、テレビ番組の収録もリモートで行われるようになった。教育現場でも、ICTを活用した教育環境の整備が急ピッチで進められている。

仮に新型コロナウイルス感染拡大が比較的早期に収束したとしても、後戻りはできない。第2波、第3波がやってくるかもしれないし、立て続けに多種多様な新型の病原体が地球上に現れるかもしれない。その可能性を軽視してはならない。つまり「withコロナ」の時代である。

だとすれば、「今だけをしのげばいい」という発想は危険だ。今まで慣れ親しんだ「学校」という概念の枠組みを取り払い、新型コロナウイルスが存在するこの世界のこの状況に最適化する教育の方法を模索し続けることが必要だ。決して極論ではなく、学校という概念が大きく変容するかもしれない。

しかし現状の教育現場においては、これまでオフラインで実施してきた取り組みをオンライン環境に移植するいわばデッドコピー(劣化版)にしかなっていない状況が散見される。「教室の黒板の前にパソコンを設置し、1日の時間割通りに授業を行う様子を配信する」などがその例である。

突然学校がなくなり不安な気持ちの生徒や保護者への応急処置としてはそれでもいい。しかし今後は、オフラインとオンラインを効果的にシームレスに接続した「ハイブリッドな教育」を設計する必要があることはもはや明白である。

教室で約40人が同時に黒板に向かって授業を受けるスタイルから見直さなければいけないし、1日6コマという「時間割」の概念すら障害となる。そもそも教員が「教える」という発想すら邪魔になるかもしれない。まさに一旦「常識」を脇に置いて、ゼロベースで「学校」あるいは「授業」を再定義する必要がある。

そのヒントを求め、教育ベンチャー株式会社トモノカイが、2つの事例についてのインタビューを行った。1つめは、100%の教育プログラムをオンラインで行うミネルヴァ大学大学院の実態。卒業生にヒアリングを行った。もう1つは、この機会をいち早く「学校改革」への推進力に変えた新渡戸文化学園の取り組み。こちらは教員に聞いた。

※このレポートはトモノカイが行ったインタビューをおおたとしまさが記事としてまとめたものである。トモノカイが学校や関連企業に配布する文書のなかから、おおたとしまさが執筆した部分を抜粋して転載している。

■事例研究1 ミネルヴァ大学大学院

高負荷なアクティブ・ラーニングをオンラインで実現する方法

ミネルヴァ大学は、サンフランシスコを拠点とするミネルヴァ・プロジェクト社が2014年9月に開校した「21世紀のエリート大学」。キャンパスそのものが存在せず、授業はすべてオンライン。学部生は寮で共同生活を営むのだが、その寮も、世界7都市を移動する。学生は各地で地元企業やコミュニティでのインターンなどを経験する。「大学」の常識を覆す立て付けの、今世界で最も注目される大学だ。

話を聞いたのはミネルヴァ大学大学院を卒業した植山智恵さん。学部生とは違い、大学院生に寮はない。1回90分のオンライン授業が週に4コマあり、世界中から学生が参加する。時差もあるはずだが、遅刻は許されない。2分遅刻したら欠席扱いとなり、埋め合わせの課題が出される。

新型コロナ禍で日本でも急速に認知が広まった「Zoom」のZoom社と共同開発した「ALF」というアプリを利用して双方向の授業が行われる。授業だけでなく、ミネルヴァ大学のほぼすべての活動がALFで完結する。成績管理、宿題提出およびフィードバック、教員との個別面談、学生自身による自主授業の設定など。

植山さんは「意志決定学」を専攻した。共に学ぶ学生は7人。ミネルヴァ大学が提示する21世紀型のスキルである「システム思考」「批判的思考」「創造的思考」の3つの柱の下に「バイアス」「論理関係」「統計学」などの中位概念があり、さらにそれらを構成する下位概念がある。それらを網羅する形で2年間のカリキュラムが組まれている。

試験はない。毎回の授業への貢献度合い、アウトプット量がルーブリック形式で評価され、その積み重ねが成績となる。1回90分の授業のために学生たちは平均約4時間分にもなる事前課題をこなさなければいけないし、教員たちは一つ一つのオンライン授業の開発に多くの時間を費やしている。

インプットは事前に各自が行っておくのが大前提。授業はそれぞれの理解と思考と意見を持ち寄る場所というわけである。そのために、ミネルヴァ大学では、90分間の授業のうち、75%の時間を学生全員が活発に議論する時間に充てることになっている。残りの25%は授業の成果目標に関連する内容を話し合う時間に充てられる。ミネルヴァ大学では、1つのことを徹底的に考える時間を「Think through」と呼び、発想を広げる思考をする時間を「Far transfer」と呼ぶ。

1回の授業のおおよその流れはこうだ。まず約10分間で事前課題のチェックをする。それぞれが事前に学んできたことを共有し、前提をそろえる。ここでは間違ってもいい。その後、的を絞った深い議論を行ったうえでブリーフィングを行うという10〜20分のアクティビティを数サイクル回す。授業の最後には毎回ミニエッセイを書いて提出する。授業で扱った単元について、自分の修練度をメタ認知する目的だ。授業とは別に、3000〜4000語レベルのエッセイ提出が月2回ほどある。さらにインタビューやリサーチ、グループワークなどを個別に行う「フィールドスタディ」の課題、そしてもちろん修論もある。

授業の展開も学生の主体性に任せるのかと思いきや、実はその点についての教員の介入度合いは大きい。授業は分単位で設計されており、テンポがいい。教員が次々と発言者を指名し、アクティビティに取りかからせ、常に考えさせる環境を整える。興味深いのはALFというアプリに、各学生の発言時間を随時可視化し、発言の少ない学生に発言させるなどのしくみも実装していることだ。それによって声の大きい学生に議論が支配されることを防ぐ。それだけでなく、なんと、教員の発言時間もアプリ上で制限がかかる。公正さをアプリの側でも担保している。

「アクティブ・ラーニングはすごくつらい」と植山さんは証言する。各単元の中で身につけるように設定された「思考習慣」を、各学生が授業の中で実践・習得し自分なりに身体化するのをサポートするのが教員の役割である。ミネルヴァ大学では「teach(教える)」が禁句とされており、教員はファシリテータに徹する約束であり、最適解を与えるようなことはしないが、授業をかなりの度合いでコントロールする。そうやって、各単元で設定された思考習慣を各学生に焼き付けるために、授業の中で思考の負荷をどんどん上げるのが教員の腕の見せどころ。「そこは教員の力量によるところが大きく、テクノロジーではカバーできない部分ではないか」と植山さん。

ミネルヴァ大学大学院で教育を受けた経験を踏まえ、いま突然オンライン化を迫られている日本の学校において何をすべきだと思うか。植山さんの意見は以下だ。

「オンラインで何を実現するのかをまず選択する必要があるだろう。一気にミネルヴァ型を目指すのか、まずはあくまでも旧来の伝達型の授業の代替手段とみなすのか。どちらが正解という話でもない。それを選択した上で、生徒たちに対して協力してほしいことを明確化すべき。たとえば『反転学習にするので宿題を100%やってくるように。ただしわからなかったらわからないと質問していいですよ』というように、授業に臨む姿勢を具体的に示す必要があるだろう」

新しい学校の姿を実現するには、教員だけでなく生徒たちにも道標を示す必要があるという指摘だ。

植山智恵さん(写真:本人提供)
植山智恵さん(写真:本人提供)

インタビュイープロフィール:植山智恵(うえやま ともえ)2007年津田塾大学卒業後、ソニーに入社。2015年渡米。現地でソニーの新規事業である教育系スタートアップで米国市場進出支援、主にシリコンバレーの教育テクノロジー事情の調査に従事。2019年ミネルヴァ大学大学院修士課程を修了(Master of Science in Decision Analysis専攻)し、現在は日本のミドル・シニアキャリア層がそれぞれの特性、経験、志向をもとに目的に沿ったキャリアを創ることや、日本社会が年齢層多様な人財を原動力にして新しい未来を創造することを目指す事業、Project M’INTのファウンダー。EdTechWomen Tokyoファウンダー。

Forbes Japanオフィシャルコラムニスト。Forbes記事一覧:https://forbesjapan.com/author/detail/973

Minerva大学大学院情報:https://www.minerva.kgi.edu/graduate-programs/mda/

Project M’INT情報 :https://www.projectmint.net

■事例研究2 新渡戸文化学園

制約下だからこそ実現した「未来の学校」のあるべき姿

新渡戸文化学園は、生徒を学びの主体にする学校改革の一環として、中学校ではもともと2020年4月から1人1台のiPadを前提に教育を行うことになっていた。そこに新型コロナウイルス感染拡大防止の休校が重なった。改革の旗振り役である山本教諭に聞いた。

現在巷では、どうやったらオンラインでも普段と遜色のない授業が行えるかというテクニック論に終始している感がある。しかし芸人でもないしYouTuberでもない教員が、オンライン授業で生徒を常に引きつけるのは至難の業であることを認めるべきだと山本先生は指摘する。

また、約40人が教室に集まっていっしょに学ぶことを前提にした1日6時間の時間割をオンラインで再現しようとすることはナンセンスであるとも山本先生は指摘する。「オンラインの授業は3時間でもヘトヘトになる。それを1日6時間やるのは合理的ではないので、時間数の緩和などを文科省が指針を示すべき」。

「休校期間への対応としてまず全教員で考えたことは、これまでの教育がリセットされた何もない大きな部屋があったとして、そこに何を入れるかという発想でこれからの教育を考えていくということでした。休校明けに、結局もとの状態に戻しますか? 要するに、月曜日から金曜日の1時間目から6時間目までびっちり授業で埋められた時間割通りに学習を進め、行事やテストで敷き詰められた年間計画を立てますか? ということです。また休校になって期末考査ができなかったから評価ができないというようではダメですよねということを前提にしました」

学校改革の一環として、もともと次のような変革を研修を通して、全教員で考えていた。「教員主導の一斉授業から子どもが主体的にそれぞれのペースで学ぶ授業」「知識を教える授業から自分なりの学び方を発見する授業」「教員がすべてを評価するスタイルから子どもがメタ認知して自己評価するスタイル」「全員が一斉に参加する行事設計から生徒が参画し、主体的に選択できる行事設計」。

極論を言えば、ミネルヴァ大学よろしく、学校の中にいても、教員は好きなところから授業を配信し、生徒それぞれが自分の居心地の良い場所から好きな授業に参加する、「場所に縛られない教育」の実現を想定していた。それが新型コロナウイルス禍で、現実的なニーズとなったのである。

通常であれば教員の意識改革に数年かかるところが、今回はすぐに前提をそろえることができた。休校要請以来4月3日の1日のみ生徒を登校させ、iPadを配布、学校からの情報発信の場となる「コミュニティサイト」の使い方について説明した。ちなみに、小中のコミュニティサイトにはGoogle Siteを、高校のコミュニティサイトにはClassiを使用。小中高で、授業にはZoomを、課題配信・提出にはGoogle Classroomを利用する。

最初の1週間はオンラインで学校や友達とつながったという安心・安全を認識してもらうコミュニケーションに費やした。慣れない環境に子どもたちが不安を抱くことは自然であるからだ。すると、たとえば不登校気味だった生徒がオンラインで元気になったり、学校では控えめな生徒がチャットでは積極的に発言するなどの変化が見られたという。

2週目にはHR(10:00〜)、1限(10:30〜)、2限(11:30〜)、3限(13:15~)の時間割を設定した。各教科の授業内容は各教員に任せるが、板書してノートを取らせてテストするような授業では全てを「教える」ことは時間的に不可能であると伝えた。基本的な設計として、「子どもたちの学力の今」と「なりたい自分」と「それに対して教員はどんなアプローチをできるのか」という3つの問いを子どもたちに常に投げかけ、主体的に学ぶことを先生が支援するスタイルを全教科で行いたいとお願いした。

実際には、答えのない問いを投げかけてアウトプットのデザインをさせて提出させるという授業が多い。たとえば英語の授業では、英語の楽曲の中から"Stay Home"に関連するフレーズを抜き出して、それにあったビジュアルを探してポスターをつくる課題を出した。教員はその手順を10分くらいで説明して、あとは子どもたちがそれぞれに活動する様式だ。

水曜日の1〜2限は「クロスカリキュラム」という授業を設定している。見ず知らずの大人と対話するプログラムだ。つい最近も、海外在住者も含めて50人以上の大人とのセッションを行った。まるで「どこでもドア」で、普段なかなか会えない大人に会いに行くということが、授業の中で実現できた。「魔法を見ているようだった」と山本先生。

「オンラインを活用することによる最大のダイナミズムはこれだ。学校がこれをやらなきゃもったいない」と山本先生は力説する。オンラインを活用することで、これからの時代の学校の役割は、学校の枠組みを超えた出会いのハブになることではないかということだ。

ただしそのような授業ばかりでは、いわゆる認知能力と呼ばれる基礎学力的な部分のインプットが弱くなってしまうので、その点についてはQubenaやeboardといったAI学習システムでカバーする予定。Zoomによる双方向授業とAI学習システムによる個別学習を組み合わせるわけだ。

「学びが遅れる」のではないかという保護者の不安に対しては、シラバスと評価の可視化が重要だととらえている。具体的には、Qubenaやeboardでの学習進捗状況をもとに、「中1の学習事項の約50%はすでに1学期で終えています」などと「見える化」する。

ただし、AI学習システムを「各自自分のペースでやりなさい」と与えるだけでは子どもは動きにくい。そこで、生徒が自ら課題に取り組むためのマインドセットには時間をかける。具体的には、すべての教科において、各生徒に「学びのデザインマップ」を描かせる。

もともと新渡戸文化学園では「ハピネス・クリエイター(幸せを作る人)になろう」を教育目標にしている。これが大目標である。そのために自律型学習者である必要性を訴える。これが中目標といえる。そのために今すべきことを細分化し、小目標が定まる。

「学びは巨大なジグソーパズルである」と山本先生は言う。端から順にピースを埋めていくこともあるし、できるところからピースをつないでいくこともあって、それらをあわせるといつか全体像が見えてくる。Qubenaやeboardは端から順にピースを埋めていく作業。それをやるかやらないかという選択によって人生が作られる。それをやらなかった結果に対する責任は自分で取るしかないということを中学生にはくり返し伝える。

オンラインをフル活用した学習が始まって約1カ月が経つ。生徒たちは自分たちの要望が明日の授業のあり方に反映されるというダイナミズムを理解しつつある。「自分たちが発言すれば学校が変わる」という手応えを感じ、その状況を「楽しい」と言ってくれる声が多く聞かれるようになった。

オンラインでできることは最大限オンラインを活用した上で、学校が再開したら、やはりオフラインだからできることも復活させ、ハイブリッドな教育をデザインしたいとも山本先生は言う。子どもの心理面での安心・安全を担保するには、オンラインだけではどうしても不十分になるという認識だ。

その前提として、まず教員が思い込みを払拭する必要があると山本先生は訴える。特に学習指導要領と成績評価について。

「最低週4回授業しないと教科書が終わらないというような、大人都合の学習の進め方をやめなければいけない。学習指導要領に書かれている項目はあくまでもCan do listでしかない。どこからどう学ぶかは生徒たちが自分で決めればいいのではないか。レッスン1から順番に学ぶ子がいてもいいし、自信がある子は難しいところにいきなり取り組み必要に応じて学習項目を戻る方法でもいい」

「たとえばA君が1学期の目標を自分で設定し、その目標に対して8割が達成できたのであれば、4とか5の評価を与えていいはず。さらに、Bさんが仮にA君よりも低い目標を立てていても、それを8割達成できていたのであれば、やはり4とか5の評価を与えていいのではないか。要するに自分で設定した目標に対する達成率を絶対評価とする。これは文科省が推奨する形成的評価や自己評価を取り入れた多様な評価ということになるのではないか」

今回の混乱を機会に、学習指導要領や成績評価に対しての社会的認識が変われば、日本の教育全体が大きく前進する可能性がある。

山本崇雄さん(写真:本人提供)
山本崇雄さん(写真:本人提供)

インタビュイープロフィール:山本 崇雄(やまもと たかお) 新渡戸文化小中学高等学校(統括校長補佐・中学教育デザインチーフ・英語科)横浜創英中学校・高等学校(教育アドバイザー)の他、日本パブリックリレーションズ研究所主任研究員、Clearコミュニティーデザイナー、ゲイトCSR教育デザイナーなど複数の企業でも活動。未来教育デザインConfeito共同代表。ADE(Apple Distinguished Educator)、LEGO(R) SERIOUS PLAY(R) メソッドと教材活用トレーニング終了認定ファシリテータ。東京都立中高一貫教育校を経て2019年度より現職。「教えない授業」と呼ばれる自律型学習者を育てる授業を実践。教育改革やCBL、生徒の自律などをテーマにした講演会、出前授業、執筆活動を精力的に行っている。検定教科書『NEW CROWN ENGLISH SERIES』(三省堂)の編集委員を務めるほか、著書に『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』(日経BP社)、『「教えない授業」の始め方』(アルク)、『学校に頼らなければ学力は伸びる』(産業能率大学出版部)ほか、監修書に『21マスで基礎が身につく英語ドリルタテ×ヨコ』シリーズ(アルク)がある。

「学校再構築」という究極のプロジェクト・ベースド・ラーニング

筆者個人としては、ミネルヴァ大学大学院の卒業生植山さんの「生徒たちに対して協力してほしいことを明確化すべき」という指摘と、新渡戸文化学園での「『自分たちが発言すれば学校が変わる』という手応えを感じ、その状況を『楽しい』と言ってくれる声が多く聞かれるようになった」という話が特に印象に残った。

新型コロナウイルスは、私たち人類を文字通り「正解のない世の中」に陥れたが、おそらく子どもたちはこの状況を乗り越える力をもっている。大人たちの予想の斜め上を行く発想で、子どもたちは自分たちが生きていく世界を築き上げるはずだ。人類は常にそうやって新しい時代を切り拓いてきたのだから。そうやってできた未来は、大人が恩着せがましく用意した未来よりも、彼らにとってはよほど生きやすい世界だろう。

旧来の学校には「学校とはこういうもの」という「常識」があった。しかしそれが揺らいだ今、学校のあるべき姿について、ゼロベースで生徒たちと対話し、生徒たちの思いを実現するという視点に立つことが重要な鍵になるかもしれない。つまり、「withコロナ」の時代におけるまったく新しい学校のあり方を模索するという「お題」に、教員と生徒そして保護者もいっしょになって取り組むのだ。それこそ究極の「プロジェクト・ベースド・ラーニング」ではないだろうか。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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