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米人気番組出演ゆりやんはどうしたら勝てた? 優勝者・蛯名健一さんに聞いた

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
ゆりやんレトリィバァさん。2018年、外国人特派員クラブにて。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

アメリカの人気テレビオーディション番組『アメリカズ・ゴット・タレント』(America's Got Talent、以下AGT)に出演し話題をかっさらった、お笑いタレントのゆりやんレトリィバァさん。

彼女のパフォーマンスに対しては賛否両論あるようで、彼女自身も「アメリカの仕事のオファーはきていない」と漏らしている。

だが私は、まずあのような大舞台に立った並々ならぬ度胸を褒め称えたい。英語の発音はアメリカ人には比較的聞き取りやすく、話の間の取り方もうまく、(編集もあるだろうが)審査員とうまくコミュニケーションが取れていた。地道に積み重ねてきた(であろう)努力が語らずとも伝わってくる。

私自身、今回の番組出演のニュースで彼女の名前を初めて知った。残念ながら不合格に終わったが、日本をはじめ世界中への存在感のアピールという点で、出演した価値は十分にあったと評価するべきだろう。

YouTubeのビューワー数は現時点で600万超え。多くのコメントもついている。

AGTで優勝した唯一の日本人パフォーマーに「7万人に勝つコツ」を聞いた

AGTで過去に優勝した日本人がいる。2013年、同番組で日本人として初めて頂点に立ったパフォーマー、蛯名健一(えびなけんいち)さんだ。

筆者は蛯名さんがAGTに出演し、初回放送後すぐにアメリカで話題になったので、毎回彼の出演を固唾を呑んで見守っていた。シーズン後半になり優勝しそうな風向きになってきたところでコンタクトを取りはじめ、いよいよ優勝が決まった翌日、ニューヨークでインタビューをすることができた。

蛯名さんと一緒にいると、次々と周りの人々が彼に気づき「一緒に写真を」と声がかかった。AGTの影響力と、その頂点に登りつめたことがいかに名誉なことかを目の当たりにした。

蛯名健一さんがAGTで優勝した翌日、筆者が地元の新聞向けにインタビューした記事

  • 「優勝すると忙しくなり家族の時間が持ちづらくなるので、トップ2か3ぐらいになれたらと考えていた」のに優勝してしまったというエピソードが印象深かった。

優勝から5年後にAGTに再登場したときの様子

AGT優勝者である蛯名さんに、ゆりやんレトリィバァさんの今回のパフォーマンスについて話を聞いてみた。

◆米エンタメで勝つコツ

── お久しぶりです!蛯名さんは2013年、AGTで75,000組の頂点に立ちましたね。優勝できた勝因はズバリ何だとご自身で思われていますか。

AGTで勝ち進む要素には、「圧倒的な技術」「演出」「驚き」「キャラ(個性)」「感動秘話」の中で2つ以上が必要です。

ダンスや歌などジャンルによって戦略は違いますが、これらの組み合わせや使い分けで、僕はなんとか優勝できたと思います。

そもそも、僕が出場した当時のアメリカ版(AGT)は他国のゴット・タレントとは違って、それまで優勝していたのは歌や音楽など「聴覚系」のパフォーマーがほとんどで、僕のダンスのような身体表現の「視覚系」のパフォーマーは苦戦していました。

それには、視聴者に選ばれるということと、優勝までの審査の回数などが関係しています。(以下参照)

  • ゴット・タレント(Got Talent)は、もともとアメリカ版から始まり、現在60ヵ国以上でフランチャイズされている。

優勝までのプロセス

他国のゴット・タレント(4回通過したら優勝)

  1. 放送前のプロデューサー・オーディション
  2. セレブ審査員による評価(ここからオンエア)
  3. 視聴者投票の本選
  4. 視聴者投票の決勝

アメリカのゴット・タレント(優勝まで7回勝ち続けなければならない)

  1. 放送前のプロデューサー・オーディション
  2. セレブ審査員による評価 (ここからオンエア)
  3. 2度目のセレブ審査員による評価
  4. 視聴者投票の本選
  5. 視聴者投票の準々決勝
  6. 視聴者投票の準決勝
  7. 視聴者投票の決勝

このようなシステムの中で、聴覚系のパフォーマンスの場合、 素晴らしい歌唱力や演奏技術があれば、聴衆を魅了しやすいです。出演回数を重ねていくにつれ、どんどん(勝ちを決める視聴者から)好かれる傾向があります。

でもダンスのような視覚系のパフォーマンスは、はじめのうちはすごい技術で聴衆に衝撃を与えられても、勝ち進んでいくにつれて難しくなります。曲や舞台セット、衣装などを変えて玄人が見ると違いが分かっても、一般の人にはこれまでのパフォーマンスと同じように見えてしまい、飽きられちゃうケースが多いんです。それが視覚系でなかなか優勝者が出なかった理由と考えました。

勝ち進む要素の話に戻りますが、僕の場合「キャラ」「感動秘話」がないので、はじめのうちは「技術」と「驚き」にフォーカスし、次第に「驚き」「演出」にシフトしてパフォーマンスをしました。

例えば『エビケンゾンビ』(後ろに倒れ手を使わず起き上がる蛯名さんオリジナルの技)の「技術」や『首落ち』の「驚き」でインパクトを与えましたが、それ以上の技術は難しかったので、次第に映像と合わせる「演出」で「驚き」のインパクトを出していきました。照明も駆使し、観衆の予想を裏切るよう「演出」を工夫しました。

── 今回のゆりやんさんのパフォーマンスはご覧になりましたか?

はい、拝見しました!ゆりやんさんが勝ち進むことを狙って出場したのかどうかが分からないので何とも言えないですが、キャラから想像するに(ご本人には大変失礼ですが)おそらく番組側からは「ブー・アクト」(Boo Act)枠で期待され、出演が決まったような気がします。

ブー・アクトとは、AGTの初戦の段階で、審査員が「これはダメだ」と判断したものにXボタンを押したり、辛口コメントを言ったりするものです。実はこれも番組の見所の一つなので、ブー・アクトとして放送されてもパフォーマーにとって宣伝効果が十分にあります。それ狙いで出場する人も実は多いんです。僕が出場したときは応募者が75,000組もいましたが、今はおそらく倍以上になっていると思うので、ブー・アクト枠に選ばれるのも相当ハードルが高いんです。

多くのブー・アクト狙いがいる中でステージに立てたのはすごいことです。そして、単なるブー・アクトだけではなく、審査員とのやり取りで、彼女の「キャラ」とトークが上手くハマって大爆笑につながっていました。パフォーマンスというより前後のトークにかけて、彼女は色々と策を練っていたのでは、と想像します。だからこそ6分半という、AGTの予選としてはかなり長い尺の放送につながったのではないでしょうか。結果は不合格でしたが、確実に爪痕を残したと思います。

── ゆりやんさんは、どうしたら勝ち進めたと思いますか。

出演者に与えられる90秒の間にメリハリをつけたら良かったと思います。面白いダンスで始めたのは掴みとして良かったですが、途中から急にキレのあるかっこいいダンスに切り替える、など。すごい技術を見せると、そのギャップでアメリカ人は確実に盛り上がりますし、笑いもさらに増すので、その後のあの絶妙なトークと合わせて、次に進めた可能性は十分にあります。

◆AGT優勝が人生にもたらしたもの

── 蛯名さんはAGTで優勝され、その後人生がどのように変わりましたか?

非常に影響力のある番組ですので、世界中から仕事の依頼がすごく増えました。ギャラの相場もぐっと上がりましたので、妻は「将来の安心感が上がった」と言っています(笑)。あと、僕は誰もが知る有名人ではないので頻繁ではないものの、どの国に仕事に行っても、街中を歩いていると必ず一度は声をかけられるようになりました。

── 今は世界中を飛び回る日々ですか。

日本を含め、さまざまな国から依頼をいただく中で、お仕事として成立したものをさせてもらっています。企業パーティーなどイベントのゲスト出演が多いですが、たまに2時間ほどの単独公演をさせていただくこともあります。

── 最後に今後の目標を教えてください。

訪日外国人も増えていますし来年オリンピックもあるので、今後はインバウンド向けの定期的な公演もできたらいいですね。日本にはジャンルごとのコンテストは数多くありますが、オールジャンルの年間通したコンテストがあまりないので、そういうものの登竜門的なコンテストや、インバウンドにつながるもの、誰もが楽しめバラエティアクトショー、お客さんが参加するゲームショーなど実施できたらいいなと思っています。

── ありがとうございました!

蛯名健一さんの演目ダイジェスト

(Interview and text by Kasumi Abe) 無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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